【書評】『高慢と偏見』を読む。やっぱり結婚が最強のキャリアアップ?
ロッシーです。
ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』を読みました。
今でも新しい作品
まあ、読む前は正直いって侮っていましたね。
どうせイギリスの一地方における惚れた腫れたの物語でしょう?と。
すみません。完全に勘違いしていました。
めちゃくちゃ面白いやん!(なぜか関西弁)
この本は、1813年に刊行されたとのことです。いまからざっと200年以上も前のことですが、
全くその古さを感じさせない!
そういう作品です。
普通に、現代のドラマに使っても違和感はないレベルです。
このような作品を若干20歳頃に書いたジェイン・オースティンは、天才ですね。
当時のイギリス社会は、現代と比べその社会構造や習慣が異なります。しかし、やはり人間そのものは変わらないわけです。
そういった人間の機微を時には皮肉に、時には滑稽に描いているからこそ、現代の私達が読んでも共感できる内容になっているのだと思います。
ざっくりいうと婚活物語
『高慢と偏見』は、ものすご~くざっくり言ってしまうと、
「婚活物語」です。
当時は、女性にとって結婚というものは今と比べてその重要性に雲泥の差がありました。
自分の娘を、いかに良いところに嫁いでもらうのかが非常に重要だったわけです。良いところというのは、お金持ち、資産家、身分の高い家です。
いまでこそ、「結婚はしたければすればいい」的な見方が強いですが、そういう感覚でこの作品を読むと、なかなか入り込めないのではないかと思います。
当時の女性にとっての結婚というものは、その後の自分の人生(そして家族も)が決まってしまうイベントであったと考えて読むと、より共感して読めると思います。
結婚はオワコン化するのか
さて、さきほども書きましたが、最近では「結婚はしたければすればいい」的な位置づけになっているといえます。
しかし、そういう言説はよく聞きますが実態としてはどうでしょうか?
やはり、結婚をして子育てをして一人前みたいな見方が根強く残っているのも事実です。
そういうことをおおっぴらに言うと、ポリティカルコレクトネス的にマズイので、誰もが「結婚はしたい人がすればいいんだよ」と言っているのかもしれませんが、本音では、自分の子供には結婚してほしいと思う親が多いのが現実ではないでしょうか。
なぜ、そこまで結婚をしてほしいと思うのか?ですが、それは単純に、「いままでそうしてきたから」という社会制度上のならわしに起因する部分が多いように思います。
ただ、もっと深く掘り下げ、そもそもなぜそういう社会制度になっているのかを考えてみます。
太古の大昔を想像すると、結婚を奨励する集団と、そうでない集団があった場合、当然ながら前者の集団のほうがよりサバイバルに適していたでしょう。
結婚というかたちではなく、ある種フリーセックス的に子供を作り、そして集団で面倒を見るという形態もあると思いますが、そのやり方だと、社会が豊かになり所有権という概念が発達してきた場合、自分の財産が不特定の子供に継承されてしまうという問題がありますから、やはり結婚という制度のほうに軍配が上がるわけです。
そのようにして、結婚という制度をベースに子孫繁栄をしてきた結果が私達ですから、なんのかんのいっても、やはり結婚によって子孫繁栄を図ろうとする性向はまだまだ維持されているわけです。DNAに刻み込まれているといってもいいでしょう。
結婚はしたい人がすればいい、というスタンスがOKになってきたのは、それくらいに社会が豊かになり、一人でも生きていけるという人類史上まれにみる環境が整っているからこそ言えるわけです。
『高慢と偏見』を読めば明白なように、200年ちょっと前では、結婚はマストであって、すれば良いというオプション的なものではなかったわけですし、それ以前の歴史においても同様だったでしょう。
ただし、今後さらに社会が発展し豊かになれば、結婚というものはそのうち「オワコン」化していく可能性はあると思っています。しかし、その場合でも、自分の財産を誰に承継させるのか問題は残りますので、結婚という制度がオワコン化しても、それに代わる制度ができるのではないでしょうか。相続という問題までがオワコン化するとは思えませんからね。
結婚があるからこそ流動性が担保される
結婚というものがだんだんとオワコン化している方向にあるとしても、結婚というものがあるからこそ、社会に流動性が担保されているという面もきちんと見る必要があると思います。
お金持ちはお金持ち同士で結婚し、その財産をより盤石にしていくのは一般的なのかもしれません。しかし、中にはお金持ちが一般庶民と結婚することもあるわけです。
それにより、いままでは一般庶民だった人が、お金持ちに仲間入りをするようなことが起こるわけです。つまりある種の階級間における上下移動が発生するわけです。
こういうことが起こるのは、結婚だけではないでしょうか。
一般庶民が努力して仕事を頑張って、財産を蓄積することはできますが、そこで得られる利益の大半は、株主に帰属するのが現状です。
つまり、いくら頑張ったとしても、その果実は株主に帰属する以上、その差は拡大することはあっても縮まることはないわけです。これはトマ・ピケティの『21世紀の資本』でも言われていることかもしれません。
でも、結婚というのは、そういう格差をポーンと飛び越えてしまいます。
例えば、一般庶民の女性Aさんを、大富豪のB氏が好きになり結婚すれば、Aさんはいきなり大富豪の妻としてその財産について一定の権利を獲得するわけです。そして、子供が生まれれば、その子が財産を相続するわけです。
こんなことができるのは、結婚以外になにがあるでしょうか?宝くじを当てても、たかだか数億円ですからね。
玉の輿戦略
そう考えると、いわゆる「玉の輿」を目指す戦略というのは、非常にリターンが大きいのかもしれません。
もちろん、あくまでも財産的価値に主眼を置いている話なので、いくらお金持ちと結婚しても、それで精神的にストレスフルな生活になってしまうのであれば、いかがなものかという判断もあるでしょう。
ただ、経済的な余力のない結婚生活だってストレスフルなものには違いありませんから、ある意味割り切って「私は絶対にお金持ちと結婚する」と決断し、その目標に向けてたゆまぬ努力をするというのもありかもしれません。
『高慢と偏見』の時代であれば、むしろそれが当たり前であり、あからさまにお金持ちや身分の高い人と結婚することが善、と考えられています。それを打算的だと捉えるのは、私達現代人から見たまさに「偏見」であって、彼らからすれば、自分の生活を守るためにはそれが当たり前の行動原理だったわけです。
会社で仕事をひたすら頑張る人と、玉の輿を狙って戦略的に動く人とでは、うまくいった場合に得られる果実は後者のほうが大きいのかもしれません。もちろん、これは女性だけではなく男性にもいえることです。
なんだか身も蓋もない話になっているとお考えになる人もいるかもしれませんし、「お金のために結婚なんてしたくない!」と思う人もいるでしょう。
それは私も同感です。
でも、してもしなくても良い結婚をなんとなく「みんなしているから」といってするくらいだったら、ターゲット目標を明確に定めて、それに向けて戦略的に動き、玉の輿を狙うというやり方もありなんじゃないだろうか?と『高慢と偏見』を読んで思ったわけです。
結婚候補相手が物凄く人間的に嫌でなく、ふつうに好感が持てるレベルだったら、意外にアリなのではないかと思うわけです。熱烈な大恋愛の末に結婚するほうが良いという意見も強いとは思いますが、そういうものがいつまで長続きするかどうかはまた別問題ですし。
まあ、こういった意見も偏見ですね(笑)。
というより、どんな意見だって偏見なわけですから、「偏見なくして意見はない」と言ってもよいでしょう。
ということで、この記事の内容も一つの偏見として捉えていただければと思います。
とにかく、ぜひ『高慢と偏見』を読んでみてください。本当におススメです。
なお、登場人物が色々出てくるため迷子にならないよう、私は下記のサイトを参考にしながら読みました。ジェイン・オースティン愛にあふれた素晴らしいサイトです。小説を読むうえで必要な背景知識もふんだんに盛り込まれており、非常に有益です。↓↓↓
https://janeausten-love.com/
最後までお読みいただきありがとうございます。
Thank you for reading!