(読書)プレゼントにも最適な絵本「メメンとモリ」が秀悦すぎた
おはようございます!
今日は、ヨシタケシンスケさんの「絵本」のような、哲学本です。
ヨシタケシンスケワールドとは
多分、子どもが手がかかる年齢のいっぱいいっぱいなママに見せたら、1章で号泣すると思います。
育児が大変な方向けの、プレゼントに最適な本です。
ヨシタケシンスケさんは、本質をついていなそうで、実はついてる感じが好きです。
ヨシタケシンスケさんの著書とは、アメリカで出会いました。ある講座を受講している際に、先生がこの本を紹介してくれました。
実は「りんご」だと思っているものが、「りんご」ではない可能性がある。
当たり前だと思っているものが、実はそうではないかもしれないという発想力。ビジネス本か?と思うようなハッと気づかされる内容でした。
普段当たり前だと思っているものが、実はそうじゃない。
子供のころ、確かにこんなこと考えていたな・・・自分が消えたら世界が全部消えると思っていたな・・・みんな演技している宇宙人だったらどうしよう?などなど。皆さんも経験ありますよね。
宗教や宇宙の分析本な「スピリチュアル本」に近いものがあります。
「メメンとモリ」という哲学
ヨシタケシンスケワールドへの一定の理解がありつつ、病院の待合室にこちらの本が置いてあり、読みました。「メメン」と「モリ」というキャラクターの対話で進みます。
絵とかなり深い言葉のセットになっているのですが、秀悦すぎるのが、子どもが破壊したものについて、
「オンドリャー何ぶち怖しとんじゃ、ワレ!」
と心の中で呟きながら、ワーママならぶち切れつつ、「なんでこんなときに限って夫がいないんだ、この役立たず」とひどいことをつぶやきながら、黙々と子供が壊したりこぼしたりした残骸を片づけるところ、
メメンとモリは、「ものはいつか壊れる」、それならいまできることを楽しもう。
と、一緒にものを再構築していく場面です。
それこそ、子どもが小さいころは「こんなこと起きそうだな」と思ったことは、だいたい起きます。
皿を割る、牛乳をこぼす、汁物の食事をひっくり返す、
わたしの中では「想像するから、起こる」のではと思うくらい、よく発生していました。
仕事もあり、そのたびにキレまくっていた過去の自分に読ませたいです。
ま。いつかは死ぬことですし。
本からは逸れますが、個人的にはとても気合を入れて書いたこちら↓の記事。
みなさまにはたくさん読んでいただいて大変嬉しいのですが、こちらの本にも「メメント・モリ(死を思う)」という概念が出てきます。
死ぬときのことを考えて生きる、ということがいかに一日一日を豊かにするか。という内容です。
自分だけではなく、妻や子供や孫、母親の死を常に意識する。
そうすると、相手がかけがえのない存在であることに気づき、
毎日自分が過ごしている日々もかけがえのないものだと思う。
たまに子どもに激怒することがあっても、
子どもが何かいろいろと壊すことがあっても、
子どもが壁に落書きしたり、床に穴をあけても、
最後は親が先に死ぬので、そんなに怒らずいくのが良い。
子どもにどんな思い出を残せるのか?を考える。
大事なものは、いつかは壊れてしまう「モノ」ではない。
財産は多少残せるかもしれないけれど、子どもはそんなものより親が幸せである方が嬉しい。
だとしたら、セカセカと働き、家族を養い、子どもを育てている人間は何のために生きるのか?と話は進んでいきます。
人間が生きる意味って何?
世界の「中二」がぶちあたる質問ですが、私も中学校から高校にかけては哲学書をたくさん読みました。
なぜ生きるのか?ということへの回答を探していました。
こちらの本では、その1つの回答を示しています。それは、よくある解答「楽しむため」などといったものではない。
ヨシタケシンスケさんの本に対しては、いろいろな解釈が可能だと思いますが、私は、「人間が進化するため」だと受け取りました。
直接的に本はそう言っていないのですが、新しいことを発見したり、意外なことが起こったり、そのなかで苦しんだり楽しんだりする。
それって、方向性としては挑戦し、新しいことを学び、人として進化するための流れの1ピースなのだ、と。
それが「進化」と呼べるかどうかは分かりませんが、それぞれがいろいろな生き方をしながら、新陳代謝していく生物としての仕組みなのだと。
こちらの本↓の内容を基に、考えた私なりの解答です。
「いろいろな生きる目的」の表現方法
ヨシタケシンスケさんは、おそらく個々人レベルで考えると、いろいろな生き方や頑張り方があるけれども、それはそういうものなのだ!でも一生懸命生きるのだ!
とおっしゃっているのだと思います。
一方で、私は普段から絵画鑑賞が好きなのですが、「一人の人の人生とは、絵を完成させていくようなもの」だという哲学を持っており、それが古典絵画なのか、日本画なのか、コンテンポラリーアートなのか、とにかくその一筆一筆、何層にも重ねた色や陰影など、「絵を完成させる」ことに向けて個々人が歩いているような気がしています。
もしかしたら、この人生は、だれかが考えたプログラムの一部だったり、ゲームの一部だったりするかもしれません。
もしかすると、進化した人類は、将来、核戦争や隕石衝突により、泡のように消えるだけの存在かもしれません。
個々人が必死に生き、素敵に描けた人生の「絵」が完成して死を迎えたら、天国のギャラリーに解説付きで飾られているのかもしれないですね。
ということで、気軽に読める、とても深い哲学絵本のご紹介でした。
お子さんと一緒に、読むのにもとても良いと思います。
みなさんなりの解釈があれば、ぜひ教えてくださいね。
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