鯵五郎

SP盤時代の歌謡曲や、深夜アニメ、Nゲージなどが好きな中年後期のオッさんです。何卒宜し…

鯵五郎

SP盤時代の歌謡曲や、深夜アニメ、Nゲージなどが好きな中年後期のオッさんです。何卒宜しくお願いします。

最近の記事

幌馬車の唄 (和田春子)。

和田春子の歌う「幌馬車の唄」。山田としを作詞、原野為二作曲で、日本では短命に終わったパルロフォンレコードから出た新譜では、最大の売り上げを誇った一曲です。同社は前々世紀末にドイツで設立された歴史ある会社であり、後に英国コロムビアに買収されます。日本では昭和4年にイリス商会の手で立ち上げられて、昭和8年までほぼ4年間存続しました。途中、早々に店仕舞いした日本オデオンの音源を引き継いで、クラシックから純邦楽に至るまで幅広いジャンルのレコードをリリースし続けたのです。日本ではコロム

    • 今宵はいかが (奥田良三)。

      奥田良三の歌う「今宵はいかが」。サトウ・ハチロー作詞、山田榮一編曲、彼が歌った外国映画主題歌の一つです。原曲は1931年のオーストリア映画「今宵こそは」の主題歌で、主演は歌手でもあるヤン・キープラ、マグダ・シュナイダー、オットー・ワルグなど。監督はアナトール・リトバク、音楽と主題歌はミッシャ・スポリアンスキーが担当しました。当時、オーストリアの映画はドイツのウーファー、或いはフランスのトビスなど会社を経由して、日本へと伝わって来ました。音楽と芸術の都たるウィーンを擁する同国の

      • センチメンタル・キッス (渡邊はま子)。

        渡邊はま子の歌う「センチメンタル・キッス」。サトウハチロー作詞、仁木他喜雄作曲で、ライトなブルースの旋律で書かれております。長い戦争が終わり、ようやく歌の世界にも平和なムードが溢れて来たのですが、意外や流行歌などのレコード検閲は続いていて、そのチェックする相手が内務省からGHQに変わったに過ぎませんでした。それまでは厭世的で時局に背く様な感じの歌、何よりも米英的な歌が取り締まれていたのですが、一転して其れ等の歌が息を吹き返して続々と姿を見せ初めるのです。さて此の歌にもある「セ

        • どちら向いても=街のSOS (二村定一)。

          二村定一の歌う「どちら向いても」。竹内草路作詞、八坂一郎作曲とありますが、この歌は元々「街のSOS」と云うタイトルで発売されていて、販売元の彌生レコードとは東京のマイナーレーベルである太陽の後身です。此の独立系レーベルはレコード一枚を一円とし、流行歌以外は落語や漫才、浪花節や民謡など大衆向けのレパートリーを主としていました。昭和7年から新譜のリリースを開始するのですが、その販売先はレコード店ではなく銀座などの繁華街に並ぶ夜店であり、また資金力からして大した宣伝も出来ない為、流

        幌馬車の唄 (和田春子)。

          噫井上中尉夫人 (丸山和歌子)。

          丸山和歌子の歌う「噫井上中尉夫人」。島田芳文作詞、近藤政二郎作曲ですが、このトリオでの時局歌謡は大変珍しいのではないかと思います。島田は「丘を越えて」や「野分の唄」など、青春歌謡や抒情歌がメインでしたし、昭和一桁には数多の録音を残した丸山も日華事変勃発の頃にはレコード界からは身を引いています。勿論この歌はそれよりも前の録音で、夫の出征に際して後顧の憂いなき様にと自刃した若き妻を讃える内容です。昭和6年12月12日、大阪に在る陸軍歩兵第四師団第三十七連隊付士官井上清一中尉の妻で

          噫井上中尉夫人 (丸山和歌子)。

          「青い小経で」 (灰田勝彦・吉岡妙子)。

          灰田勝彦と吉岡妙子の歌う「青い小経で」。鈴木由美子作詞、松田十蔵作曲で、ラベルには“第一回ビクター賞作品”とあります。確かに作詞作曲者は全く聞いた事がない人ですが、恐らく鈴木由美子とは一般からの応募者。かたや松田十蔵と云う人にはキャリアがありまして、元々は昭和一桁の頃に歌手として活躍した春山一夫の本名でした。主にポリドールやキングで歌っておりましたが、後進歌手らの活躍であまり目立たないまま、いつしか裏方へと回りました。同好の先輩のお話では、この時期は楽士として活動していたそう

          「青い小経で」 (灰田勝彦・吉岡妙子)。

          「山蔭の道」 (若原一郎)。

          若原一郎の歌う「山蔭の道」。高橋掬太郎作詞、飯田三郎作曲で、正統派流行歌手の一人である若原のヒット曲のひとつです。若原は本名を田野倉仲義と云い、昭和6年8月に横浜市に生まれましたが、その年は生涯お世話になるキングレコードが創業しており、それだけでも縁と云うものを感じます。17歳の時に出場したNHKのど自慢大会で入賞して、早速キングがスカウト。翌年に「船に灯がつきゃ」を歌って御目見するのですが、当時としてはかなり若い年齢でのデビューだったと言えるでしょう。新人故まだ特徴がない歌

          「山蔭の道」 (若原一郎)。

          守備隊月夜 (霧島昇・日蓄合唱団)。

          霧島昇と合唱団の歌う「守備隊月夜」。西條八十作詞、服部良一作曲で、東宝・満映が提携して制作した国策映画「誓いの合唱」の主題歌です。本作は島津保次郎監督がメガホンを取り、当時日満双方ナンバーワンの人気女優だった李香蘭の主演、黒川弥太郎、鳥羽陽之助らスターに加え、人気歌手の灰田勝彦も兵士の役として出ていました。彼は少し前に同じ東宝映画「燃える大空」にも出て好演し、続いて「ハナ子さん」にて轟夕起子の相手役を務めており、役者としても認められていたのです。「誓いの合唱」は大陸に暮らす一

          守備隊月夜 (霧島昇・日蓄合唱団)。

          東京戀しや (勝太郎)。

          勝太郎の歌う「東京戀しや」。西條八十作詞、中山晋平作曲で、まだ「島の娘」を吹き込む前に勝太郎姐さんが入れた一曲です。明治37年に新潟県新潟市に生まれ、幼くして料亭の養女になるなど早くも只ならぬ人生を歩み出します。小学校を出ると芸者の道に邁進する日々が始まり、地元の沼垂で清元や端唄など純邦楽の稽古に明け暮れました。二十歳を前にして地元では有名な芸妓となり、年季が明けた24歳の時に上京。葭町の検番のお世話になって以降も勝太郎は御座敷稼業の傍ら、純邦楽の修行を続けており、また売れっ

          東京戀しや (勝太郎)。

          一寸はづかしや (高坂幸子)。

          高坂幸子の歌う「一寸(ちょいと)はづかしや」。作詞作曲者未記載であり、正体不明の一曲です。先ずキリンレコードなど、殆どの方が存じていないと思われます。このキリンとは兵庫県西宮市に在ったタイヘイレコードのサブ・レーベルでして、恐らくは当初出しても売れなかった歌を、オリジナルとは違う組み合わせで再販していたのでしょう。タイヘイの本社は西宮ですから、主に関西圏の繁華街にある夜店などで一枚70銭程の価格で流通していました。初期のテイチクや東京の太陽にも言える事ですが、最初に出して売れ

          一寸はづかしや (高坂幸子)。

          街の姫百合 (ミス・コロムビア・瀬川伸)。

          ずいぶんと空いてしまいましたが、久しぶりにレコードレポートを。今夜はミス・コロムビアと瀬川伸の歌う「街の姫百合」を。松竹大船作品「春雷」の主題歌で、出演は夏川大二郎、川崎弘子、田中絹代、木暮三千代など。佐々木啓祐監督で、音楽は早乙女光が務めております。昭和14年4月13日に前編、続いて後編も公開されており、合わせて2時間余りの大作でした。当時松竹制作の女性向けメロドラマの数々は「愛染かつら」を筆頭に興行は上々でして、その主題歌を提供するコロムビアの台所も大いに潤ったのです。本

          街の姫百合 (ミス・コロムビア・瀬川伸)。

          チェリオ! (藤山一郎・小林千代子)。

          藤山一郎と小林千代子の歌う「チェリオ!」。佐伯孝夫作詞、橋本國彦作曲で、人気上昇中の二人が歌うデュエットソングです。藤山は「僕の青春」が、小林は「涙の渡り鳥」が大ヒットして以降、続々と新曲がリリースされて型録を賑わしており、先輩格の徳山璉と四家文子と並んでビクターの“車輪”と云うべき存在となっておりました。さて当時、アメリカの学生の間で「チェリオ!」と云う乾杯の音頭が流行っていて、日本でも真似する若者が現れます。此の音頭は1980年代くらい迄耳にした事があるので、結構馴染んで

          チェリオ! (藤山一郎・小林千代子)。

          靴磨きとアコーディオン (ジェームス・三木)。

          今から37年前に放送され、NHK大河ドラマ史上最高傑作と呼ばれているのが、渡辺謙主演「独眼竜政宗」。本作の脚本を担当したのがジェームス・三木、その名前は当時小学生だった私も一度で覚えてしまいましたが、まさか彼が元々は歌手だったと知ったのは懐メロ趣味を始めて、かなり経ってからの事です。本名山下清泉、昭和10年に満州で生まれた彼は終戦後に帰国して、大阪に暮らしておりました。やがて俳優に憧れて高校を辞めてまで上京し、養成所に通うのですが敢えなく挫折。そして今度は音楽に挑戦する事にな

          靴磨きとアコーディオン (ジェームス・三木)。

          ブロードウェイ・メロディ (河司晴江)。

          河司晴江の歌、エアネスト・カアイ・ジャズバンド伴奏による「ブロードウェイ・メロディ」。坂井透作詞、ナシオ・ハーブ・ブラウン作曲で、編曲はリーダーのカアイが手掛けております。原曲は今から95年前の1929年2月に公開された、同名アメリカMGM映画の主題歌であり、日本でも1年遅れで公開され大ヒットしました。ブロードウェイの舞台を描いたミュージカル大作、ハリー・ポーモント監督がメガホンを取り、出演はチャールズ・キング、アニタ・ペイジ、ベッシィ・ラブなどで、トーキーとしては初のアカデ

          ブロードウェイ・メロディ (河司晴江)。

          弾雨を衝いて (伊藤久男)。

          伊藤久男の歌う「弾雨を衝いて」。高橋掬太郎作詞、古関裕而作曲で、30年前に発売された「軍歌戦時歌謡大全集」では、映画主題歌編に収録されておりました。然しラベルにはその記載がありませんので、此のレコードは映画公開終了後のプレスかも知れません。明治43年に福島県中部に位置する本宮町の富農の家に生まれた伊藤久男は、子供の頃に音楽に目覚めて、ピアノに夢中になるなど将来の片鱗を感じさせておりました。長じて家業を継ぐ為と称して上京し、先ずは農学校に入ります。時代は昭和の御代へと移り、街角

          弾雨を衝いて (伊藤久男)。

          若き巴里の恋 (西百合江)。

          今日は遠く235年前、フランス革命が起きた記念日です。ルイ16世の治世、財政難や生活苦に喘ぐフランス国民らは遂に一斉蜂起し、王朝は倒されました。そして翌年に7月14日は永遠の記念日として制定され、長く今日に至るのです。時が流れた1932年、フランスで一本の映画が制作されまして、そのタイトルは「7月14日」。巨匠ルネ・クレールがメガホンを取り、出演はアナベラ、ジョルジュ・リゴワ、レエモン・コルディ等。パリの下町に暮らすタクシー運転手の青年と、花売り娘が主人公で、互いに想い合って

          若き巴里の恋 (西百合江)。