「山蔭の道」 (若原一郎)。
若原一郎の歌う「山蔭の道」。高橋掬太郎作詞、飯田三郎作曲で、正統派流行歌手の一人である若原のヒット曲のひとつです。若原は本名を田野倉仲義と云い、昭和6年8月に横浜市に生まれましたが、その年は生涯お世話になるキングレコードが創業しており、それだけでも縁と云うものを感じます。17歳の時に出場したNHKのど自慢大会で入賞して、早速キングがスカウト。翌年に「船に灯がつきゃ」を歌って御目見するのですが、当時としてはかなり若い年齢でのデビューだったと言えるでしょう。新人故まだ特徴がない歌唱であり、人生経験も薄い若原青年は先輩歌手の様な力量には程遠い状態であり、年長の後輩である春日八郎に先を越される程でした。5年に及ぶ苦闘時代を送りましたが、昭和29年に「吹けば飛ぶよな」が売れて紅白に出るなど、漸く軌道に乗ったのです🎙️。
「山蔭の道」は若原一郎の伸びのある美声を活かした、青年向けの抒情的なメロディでして、下積み時代に磨き上げた歌声が曲の世界を彩ります。夏も終わりかけた高原に来た若者。今は別れた君=恋人の面影を偲びながら歩く山の小路。遠く過ぎ去った日々を一人懐かしむと云うテーマですが、🎵ああ君恋し…と高音で伸ばす所は、なかなか素人には真似できないもので、若原の修行の跡が窺える歌唱です。作曲は飯田三郎で、元々はクラシック畑志望の音楽家でした。北海道根室市に生まれ、音楽学校には通わず山田和雄らに師事。戦後、キング専属になってすぐに岡晴夫の「鳴くな小鳩よ」が大ヒット。以降映画音楽、宗教音楽と幅広く書き続け、平成15年に91年もの生涯を終えています。若原一郎はこの後「おーい中村君」が大ホームランとなり、その名を不動のものとしました😀。