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noteで結んだ縁の先で。

――noteで結んだ縁の先で、ひとつの出逢いがひとつの記事を生み、僕の大切な人と場所に恩返しをすることができました。


人生は物語。
どうも横山黎です。

作家として本を書いたり、木の家ゲストハウスのマネージャーをしたり、「Dream Dream Dream」という番組でラジオパーソナリティーとして活動したりしています。

今回は「noteで結んだ縁の先で。」というテーマで話していこうと思います。


📚migiwaの決起会

5月11日の夜、僕はシェアベースmigiwaの案内人のメンバーたちの決起会に参加しました。

シェアベースmigiwaとは、茨城県水戸市上水戸に生まれくる場所で、地域の人が自由に利用できる交流拠点。私設図書館、コワーキング、イベントスペースとしての機能を持ち合わせます。

併設しているシェアハウスは「はちとご」といって、僕が1年以上前からお世話になっている場所です。半年前に今の上水戸の物件に引っ越しをしてから、管理人のはやぶささんがずっと温めてきた野望がシェアベース「migiwa」の立ち上げでした。

前の物件のときから、はちとごには「はなれ」と呼ばれる場所があって、子どもも大学生も社会人も誰でも立ち寄れるように地域に開放していたんですが、新しい物件に移り、シェアベースmigiwaをつくることで、「住む」と「交流する」に柔らかな線引きをすることになったのです。「柔らかな」という言葉を使っているのは、今後も家を住み開くことはあるし、施設自体もつながっているという背景があるからです。

さて、そんなシェアベースmigiwaには何人かの案内人がいます。お店番をはじめ、運営に携わる人たちがいるのです。11日の夜は、初めてその案内人たちが一堂に会する日でした。ロゴの最終決定をしたり、お互いの人となりを知ったり、今後のmigiwaのことを語り合ったりしました。


📚はちとごの温度が宿る記事

同じく11日のこの日、とあるひとつの記事が世に出ました。「図書館のあるシェアハウス。ご近所さん、夢追い中の人、疲れた人などが多様に学び・癒される場所『Co-Livingはちとご』管理人・板谷さんに聞いた 茨城県水戸市」というsuumoジャーナルの記事です。はちとごの住人に対するインタビューを通して、実態と魅力を掘り下げていっています。


記事のなかで、はやぶささんはこう語ります。

「はちとご」は僕にとって「やりたいこと」ではなく「見たい景色」だと思っています。

引用:https://suumo.jp/journal/2024/05/11/202534/

「みんなが楽しげにしていて、学びや気づきがあって、回復できる場所。誰かが自分から何かを『やってみたい』と言って、それが形になるのを見ているのが好き」だから、必要以上に手を出さないことに重きを置いているんです。

だから、集団を先導したいわけでも、集団の中心にいたいわけでもない。集団が盛り上がっているのを傍から見ていたいと願う人なのです。それが裏目に出て、はちとごの写真にはやぶささんが映っていることが少ないんですよね(笑) それでも、はやぶささんは「見たい景色なので僕がその中に入っていなくいい」と話しています。

これが、はやぶささんの真実であり、はちとごの心臓のような気がしました。

はやぶささんの言葉だけじゃなく、住人や僕のような通い人の言葉も載っています。

住人のえりかちゃんは忘れられない思い出に「鍋パーティ」を挙げていて、初めて自分で周りの人を巻き込んで何かを成し遂げた当時を振り返っています。元住人のまっきーは「何歳になってもチャレンジする姿勢を『はちとご』の12畳のスペースから、感じ取ることができて、住人になろうと思いました」と語っています。また、はちとごが生まれたときからずっと住んでいるゆうきくんは、はちとごを「実家」と呼び、はちとご民を「家族」と呼んでいます。

記事のなかにある言葉や写真たちには温度が宿っていて、それは僕が1年前に初めてはちとごを訪れたときから感じているあたたかさ。是非、記事に触れてみてください。あたたかさが伝わるはずです。


📚noteで結んだ縁の先で

さて、そんな記事を書いてくれたのは、ライターの内田優子さん。僕がnoteで知り合った人です。そうなんです。実は、今回のはちとごの記事は、内田さんから僕にはちとごの取材をさせてほしいと連絡があり、僕が内田さんとはやぶささんを繋げたという流れで始まったんです。

公開された記事を見て、そしてはやぶささんがこの記事を紹介するFacebookの投稿を見て、「noteを続けてきてよかったな」「はちとごのことを発信してきてよかったな」と思いました。また、「小さいけれどはやぶささんに恩返しができたかな」とも感じています。

毎日投稿にどんな意味があるのか。毎日続ける価値はないんじゃないか。そんな議論は、人生に意味があるのか、生きていくことに価値はあるのか、といった議論に通じるものがあって、続けたからこそ見えてくるものがあるし、続けた先でつながれる縁もある。それが、noteだし、人生だと僕は思うのです。

そういえば、僕がはちとごのことを知って、事前にいろいろ調べていたとき、はやぶささんがnoteをやられていて、いくつかの記事を読んだんですよね。そして、コメントもしました。今思えば、あのやりとりから僕とはちとごの関係は始まったわけだし、その後、はちとご民から僕のnoteをネタにしてくれることも少なくないので、そういう意味でも、noteを続けてきてよかったなと思っています。

※この記事のコメント欄でやりとりしているのをみつけた↓↓↓


noteで結んだ縁の先で、ひとつの出逢いがひとつの記事を生み、僕の大切な人と場所に恩返しをすることができました。

この記事も、また新しい未来をつくる種になるんだと思います。そんなことを信じて、これからも毎日綴っていきますね。最後まで読んで下さり、ありがとうござました。

20240511 横山黎



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