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いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP ③ part.5

みなさん、こんばんは。禧螺です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


ここの所、立て続けに新しい出会いや、新しい自分がいられる場所を見つけることができ、随分慌ただしく動いています。

しかし、やはりnoteがSNS上ではマイホーム感が強いので、少しずつ発展させながらも、いつも通り運営していきたいと思います。


本日は予定を変更させていただき、HSP記事の更新をさせていただきます。

土曜日ではありませんので、くれぐれもお間違いなきよう。

そして新章に入ります、

「いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP」

の日です。

現在は、様々な度合いでのHSPが出て来ていますが、自分の感覚と似ている、もしくは限りなく近い度合いのHSP仲間捜しって、結構重要なのではないだろうかと、考えています。

みなさんは、どのように考えられるでしょうか。


それでは、参ります。


読み進めていく書籍は、

イルセ・サン
「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」 
2016年,株式会社ディスカヴァー・トゥウェンティーワン

です。

「前回って、どんな話題だったっけ?」な方に向けて、前の記事を貼っておきます。


また「バックナンバーが見たいです!」な方に向けても、マガジンを貼り付けますので、好きな記事をご覧ください。

ナンバリングが続いていますが、原則1記事完結で読めるように書いていますので、よろしければご覧ください。

「HSP関連」の記事を収納しているマガジン↓



💟

はじめに


最初にお断りしておきます。


この記事は、「HSP」や「生きづらさ」に関連した本の、

レビューではありません。


この連載の構成は、

・読んだ部分の「感想」
・読んで「学んだこと」
・学んだことを「自分にどのようにいかすか」

という

個人の主観、思考や感性に基づいて、紹介する本を、みなさんに

「感じたよ」「学んだよ」「ここの部分をいかしたいと思うよ」

という「表現」を、共有させていただく記事です。


ここで書かれたことだけを鵜呑みにせず、少しでも、自分の中で、

何か「ひっかかった」・「気になって仕方ない」

と感じられた時は、

ご自身で、その書籍をご覧いただくことを、強くおすすめします。


ですので、

「HSP本の、それぞれの評価が知りたい」
「HSP本で、どれが読みやすいか、わかりやすいかを知りたい」
「HSP本の、本の中身を教えて欲しい」

という方は、申し訳ないですが、

・他のクリエイター様によるレビュー記事や、レビューサイト

・出版社のホームページ

で、お探しください。


以上の点をご検討いただいた上で、ご覧くださいますよう、

よろしくお願いいたします。


標記説明ついて:
【】の中にある題名部分が、当記事のメインとなります。



💟

【感想:第2章 「敏感な人」が抱えやすい心の問題 「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」(1)】


「これって、高い基準なんですか?」

「私の基準は高くないですよ。……みんなそれが出来ているのですから。できて当たり前でないと、いけないんです。」

以前の私が、人に「敏感さ」を相談して「誰にでもできないことがあるよ」と言われても、その言葉が信じることが出来なくて、放った言葉。

それからその人は黙ってしまった。

今からふりかえれば、その人も言わなかっただけで、心当たりがあったのかもしれない。

「今、自分の周囲に居る人は、自分の鏡」といわれることは、あながち間違いないではないと思える。


「自分の持っている能力を引き出してくれたらいい」

「自分の得意なことを延ばせばいい」

その言葉通りにどうにかなるのであれば、どうしてこんなにも「自分には何もない」と「生きる価値がない」という思いが蔓延するのか。

もはや蔓延どころか、一人ひとりが育っていく環境の中で、誰もが同じことができるように、教育されてゆく。

同じことができるにしても、そこからさらに、社会が求める能力を延ばせる者に、支援の手が差し伸べられる。

社会が定義した、いわゆる「能力」「得意なこと」からはみ出した者に関して、今の所、具合的な拠り所は自分で探すしかない。

「敏感さ」が認知されてきているとはいえ、まだまだ自助努力の考え方が根付いている部分は、広く深い。


私の周囲にいるHSP気質の強い方は、びっくりするくらいに共感力の高い方や、さりげない心遣いが光る方、私が発言したことに対して、違う視点からの見解を共有してくれる方が多い。

そんな中で、総じて感じるのが「自分なんてまだまだで……」という姿勢。

「そんなことないのに、私は十分助けられているのに……」と思いつつ、私にも、どこかでそうした場面があるのかもしれないと思った。


すでに、私に関わって、何かしら協力してくれたり、支えてくれるだけで、その人には大きな力をいただいている。

そう伝えるのには勇気がいるけれど、その気持ちは伝えないと相手には届かない。

だから、不器用でも表現に詰まっても、伝えていこう。

「いつも応援してくれて、支えてくれて、会ってくれて、ありがとう」と。



💟

【学んだこと】


(後日記事にしますが)最近「初めて出会う人」を含めたHSPのお話会に行って来ました。

その空間に居て、話していなくても気まずくならない雰囲気を作れるのは、HSP気質を活かされている方達のすごいところだと実感します。

これって、本日の学びの「自分自身に高度な要求をしてしまう」傾向が仕事でも人間関係でもあることを、お互いが把握できているからこそ、優しい距離感が保てる一因になっているのではないだろうかと、感じました。


サン博士は、ご自身がカウンセリングされてきたHSPの方たちの思考パターンを、次のように挙げられていました。

●いかなる状況においても、100%ベストを尽くさなくてはならない いや、できることなら120%の力を出し切らなくてはならない

●まわりの人に弱みを見せないようにしなくてはならない

●自己中心的であってはならない

●一緒にいる人にいつでも100%注意を向け、楽しませなくてはならない

●ほかの人がいるところで、自分個人のことに気をとられるのは無礼だ

●失敗をしてはならない

私にとっても、自分以外の人間が関わって来る出来事は、すべてこの傾向で考えてしまうことがあります。

現在は意識的に、この思考傾向があることを、自分で自覚できている部分があるので、堂々巡りに陥ることは少なくなりつつあるのですが、急な対応を迫られた時、自分の中での情報処理が追いついていない時に、さらに用事がかさんでくると無意識でこの傾向が出て来ます。

長年のクセなので、根気強く付き合って変えていくことが一番の近道だろうかと考えています。


あと

深く共感したところが「自分がどうあるべきか、高い基準を設けている」という項目なのですが、項目の分け方のニュアンスが、私の感覚と似ているなと勝手に親近感をもってしまいました。

その項目というのが、

●親切心

●もてなしの心

●気遣い

●相手への注意

●思慮深さ

●責任

●ほかの人への関心

というものです。

見る人によっては「いや、どれも一緒じゃん。」と思われる方がいらっしゃるでしょう。

でも、もしかしたら、これがあなたに伝えられていないだけで、身近なHSP気質の強い方は、これが定説とは言いませんが、上のように分けて考えておられるかもしれません。

実際に私も、自分の中でですが「相手への注意」と「ほかの人への関心」は分けて考えています。

禧螺の場合
「相手への注意」:
実際に、今、自分の正面で交流している相手に注意・注目すること
 
「ほかの人への関心」
自分と相手に共通する知り合いの中で、現在の状況は今後の関係性にどう影響してくるか予測、分析、シミュレーションする

これを際限なく続けていくと、自分の心身は他人であったり、世間の目といった、外の基準に侵食されてしまいます。


サン博士が言われるには、

「勇気を出して、自分が何者かを示すこと」

が、自分のままで生きる条件の1つとされています。

この「勇気を出して」の部分、個人的にはとても共感する部分です。

今までと違う自分を、今までの自分で付き合ってくれていた友人やパートナーに話すわけですから、もう「勇気」どころか、清水の舞台よりももっと高い所から、命綱なしで飛び降りる感覚です。

人によっては、吐き気を催すかもしれませんね。
(私がHSPを告白する際には、ずっと吐き気がついてまわってました)


それくらい、自分のままでいることを開示するのは、勇気が要ることです。

自分の気持ちを開示したHSPさん全員が、必ず、今の仲間と仲がさらに深まるとは言えません。

実際に逃げて行く人、離れて行く人もいます。


ですが、個人的には、開示して別れることがあっても、求め続ければ、出会う人には出会えるのかなと、思っています。



💟

【自分でどのようにいかすか】


「自分自身に高度な要求をして」それが達成出来ればできるほど、世界も広がり、その世界で知り合った人が集まってきます。

ですが、行った先の世界が、自分自身の心身を犠牲にして行った世界であり、しかもまたそこで、さらに自分を蝕む高度な要求をされた場合、あなたは一人にならないためなら、頑張れますか。

頑張るというよりは、有無を言わずしますか。

以前の私は「有無を言わず」状態でしたが、結果として、人間関係も仕事も手放すことになりました。

今はこうして記事に書くことができますが、当時は「高度な要求=みんな自分も含めてできて当たり前」だと考えていたので、出来なかった現実を目の前に、何度も自分を肉体的にも精神的にも責めました。

それでも、私は私でしかありませんでした、悲しいけれど。


でも、当たり前ができない悲しさを知ったので、出来ないから直すではなく、他の方法を探す、違う視点を探してその方法を試すといった、

「視野は広まった」

感覚はします。


「自分自身に高度な要求」は探究心のあるHSPさんには、適度な範囲であれば、いい刺激になると思っています。

これを、自分自身の気質や生き方に課すのではなく、

自分の極めたい趣味、少しずつ楽しんでいる特技等で「もっといろいろな表現ができるようになりたい!!」と思った時に適用すれば、

思いもよらぬ嬉しい効果を発揮するのではないかと、思っています。

現在私自身が、その名目の下、その考え方で試行最中です。

今の所、きついと感じながらも、楽しいです。


高度な要求は、自分の好きなことだけで十分です。

そうすることが、自分にも、相手にも、社会にも優しい人間になれると信じています。



💟

みなさんからのスキに、今日も感謝です。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!


それでは、今日はここまでです。

みなさん、よい週末をお過ごしください。

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