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インガ

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世界規模の感染症パンデミックにより、国家という枠組みが瓦解して企業自治体が乱立した世界。 感情を表層化するIMGシステムにより管理された社会で、謎の人型ロボット「インガ」に命を狙…
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インガ [scene003_01]

IMGのチャットログは、カオリと私を気遣う同級生の声で埋め尽くされていた。 昨日のPALCO襲撃事件がニュースアプリのトップを飾っており、クラスメイトのIMGインターフェイスの「あなたの関連」欄に、被害者として私たちの名前が上がっていたのだ。 安否も併せて通知されているはずだけど、彼・彼女らは本気で心配してくれているようで、「大丈夫?」「何ともない?」「とにかくレスしてくれ」などといったメッセージが、画面を4スクロールしても起点に遡れないくらい寄せられている。 驚くこと

インガ [scene003_02]

バイパスを使えば25分、というのは地図アプリの統計データで、実際にかかった時間とは少し乖離があった。 というのも、私がうたた寝する間もなく、車はおよそ15分程度で目的地に到着したのだ。 『君、法定速度って知ってるかい』 「5年前の常識がまだ通用するなら、ただの道路標識だ」 睦月のスピーカーから、これみよがしに大きな溜息が聞こえてくる。 『そう認識しているなら、書かれていることを守れよ…』 そんなハルさんのうんざりした声を無視して、建物から少し離れた位置に車を停める

インガ [scene003_03]

滞在を黙認された私たちが最初に取った行動は、食事だった。 というのも、エレベーターに乗り込んだ途端、空っぽになって久しい私の腹の虫が「これ以上放置するな」と抗議の声をあげたのだ。 真っ赤になって俯く私に、思い出したように早めの昼食を提案してくれた大人2名。 聞こえないフリをしている気遣いがわかるので、却って羞恥心が煽られたけど、そこはもう黙っておくことにした。 「食事をするなら2階だ。私もご一緒させて頂こう」 ハナヤシキさんの案内で通されたフロアには、いくつものテナ

インガ [scene ???]

———…ここに居たのか。 ———ああ、少し外の空気を吸いたくてな。 ———コーヒー、飲むかい? ———いや、いい。お前が淹れたのは苦すぎる。 ———変わらないな。これなら、お気に召すんじゃないか? ———ん?…おおタバコか、よく持ってたな。この街じゃ、もう売られてないはずだが。 ———よく知ってるね。 ———目が覚めたとき、ネットで色々と確認したからな。…うまい。 ———感謝してくれよ?君のデスクに残っていたそいつを、廃棄される寸前に救出したうえに、しっかり乾

インガ [scene003_04]

歪な凹凸に包まれた、真っ白な球体。 それ自体にはこれといった意匠を感じないけれど、その役割がこの物体をモニュメントたらしめている。 財善メディカルセンターが抱える、数えきれないほどの患者たち。 生者も死者も分け隔てなく集ったこの場所そのものが「医療の象徴」だった、と。そういうことなのだろう。 「…聞きそびれていたんですが」 ハルさんが言っていた、ちょっぴりえげつないIMGの改造。ヒバカリさんの、モルモット仲間という言葉。 局長職という肩書きと立場には似つかわしくな

インガ [scene003_05]

「正気ですか?」 という言葉が思わず口をついたけど、シャツの袖を捲って準備体操をするハナヤシキさんは、明らかにヤル気だ。 「これでも私は、財善の警務部きっての武闘派…エースだったのだよ。 少なくとも、組手で私に敵う者は居なかった」 警務部というのは、企業自治体における治安維持部隊…つまり警察組織のようなもの。 そこのエースだったというのなら、確かに腕が立つのだろう。筋骨隆々という四字熟語がピッタリな肉体は、伊達ではないらしい。 そうは言っても… 「相手は人間じゃない

インガ [scene003_06]

右手で拳銃を構えながら、左手をドアノブにかけるハナヤシキさん。 こちらを見て小さく頷くと、ゆっくりドアを開けて室内に侵入した。 「…クリア」 そう呟いて手招きするハナヤシキさんに従い、私も後に続く。 部屋には相変わらず弥生が鎮座していた。さっきと違うのは、エレベーターがある通路側の鉄扉が吹き飛んでいることくらい。 部屋の端を見ると、ボコボコに歪んだ鉄扉の残骸が無惨に転がっていた。 さっきまでの私なら、その様子からインガの破壊力を想像して冷や汗をかいていただろう。 でも

インガ [scene003_07]

『ヨシノくん、さっき君らを襲った2体のインガは先輩が潰した。けれど、まだ1体残ってる。 先輩が弥生で護衛してくれているけど、注意してくれ』 耳の裏に張り付けたシールが耳小骨を揺らし、ハルさんからの忠告が聞こえてくる。 「ヒバカリさんはどこに居るんでしょうか」 『IMGの反応は、まだあいつが空中庭園に居るって言ってる。正直、どこにいるのやら…』 こうなったらシラミ潰しに探すしか…でも、ハナヤシキさんの弥生がついているとはいえ、1人でこの広大な敷地内を隈なく探すというのは

インガ [scene003_08]

このとき私の脳は、完全に思考を止めていた。状況が全く飲み込めなくて、自分が生き残るための結論なんてすっかり見失われてしまったから。 足元で膝を折っているのは、ついさっきまで私を護ってくれていた命の恩人。 その人に銃弾を撃ち込んだのも、昨日から私を護ってくれている命の恩人。 信じていた人が、信じていた人に撃たれた。 この状況は一体どういうことなのだろう。ヒバカリさんは…この人は、一体何をしているのだろう。 「…ヒバカリ、貴様……これはどういう事だ」 銃身越しに鋭い視線

インガ [scene003_09]

鉄棒の端から、ドクドクと鮮血が流れ出している。鉄棒の空洞を通って放出されていくそれは、ハナヤシキさんの生命だった。伴い、見る見るうちにハナヤシキさんの顔が青ざめていく。 「…意識が薄らいでいく」 ハナヤシキさんが呟くと同時に、睦月と組み合っていた弥生も糸が切れたマリオネットのように崩れた。 勝負がついた。 ハナヤシキさんは…もう、助からないだろう。 それを悟ったヒバカリさんが鉄棒から手を離し、支えを失ったハナヤシキさんは壁を背に座り込む。 「…先輩」 「…憐れむ

インガ [scene004_01]

さて、俺のことと君のお父さん…染井博士の話だったな。 切り分けて話すと却ってややこしくなる。が、簡潔にまとめるのも難しい。 というわけで、昔話をしよう。 そうさな、最初から話すとなると…8年前まで遡る。俺は当時、財善の警務部に居た。今じゃおまわりさん役なんて呼ばれているが、当時はどちらかというと軍隊的な組織でな。内輪じゃあパラミリと自称していた。 パラミリというのは市民軍のことで、俺たち会社員が武装した組織にはピッタリの名称だった。 何が言いたいかって?血なまぐさい職

インガ [scene004_02]

都民暴動で武器を取った民間人は、そのほとんどが職を奪われた20代後半から40代の成人だった。 しかし、企業側にとって真に脅威となっていたのは少年少女たち。 「お察しいただけるとは思いますが…年端もいかない子供たちを前にして、無感情に引き金を引けるエリートは我が社に居ませんでした。 彼らの要求は、我々が制圧したエリアで路頭に迷った都民らの雇用受け入れ」 眉間にしわを寄せてそう言うアドワークス警務部長は心底やるせないといった様子で、俺たちは何と声をかけたらいいかわからなかった

インガ [scene004_03]

「何があった、タカハシ」 『ガキどもがホテルから出てくる…次々と。まるで撤退しているようだ。 目標に爆弾つけられてんだろ?何かある…ヤシキさん、今すぐ避難した方が良い!』 嫌な想像が俺たちの脳裏を過った。 子供たちの動きは、露骨に目の前の爆弾が秒読みに入ったことを表しているようだった。 「ワタナベ、お前の見立てを聞かせろ」 慌てる様子も無く、ハナヤシキ先輩が言った。いや、内心はどうだったことか…小隊長殿の手前、冷静を装っていたのかもしれん。 「時限性の装置はついてい

インガ [scene004_04]

「全くよう、ワタべぇも肝っ玉が座ってやがるぜ。なあ、ヒバカリ」 回収したドローンをバックパックに片付けながら、タカハシが言った。 ワタナベは別行動を始めていて、モブに送られてくる位置情報を見るに中野エリアへ向かって子供たちと移動しているようだった。 アドワークスの本社は歌舞伎町と中野のちょうど中間辺りに位置しているので、大きく迂回しながら子供らの本拠地に戻るらしい。 時刻は既に18時を回っていて、夕闇が俺たちを包み始めていた。ワタナベたちが本拠地に着く頃には、完全に陽が落ち