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インガ [scene003_05]

「正気ですか?」

という言葉が思わず口をついたけど、シャツの袖を捲って準備体操をするハナヤシキさんは、明らかにヤル気だ。

「これでも私は、財善の警務部きっての武闘派…エースだったのだよ。
少なくとも、組手で私に敵う者は居なかった」

警務部というのは、企業自治体における治安維持部隊…つまり警察組織のようなもの。
そこのエースだったというのなら、確かに腕が立つのだろう。筋骨隆々という四字熟語がピッタリな肉体は、伊達ではないらしい。

そうは言っても…

「相手は人間じゃないんですよ」

「モニュメントに使っていたインガは、あくまでもメタバースにアクセスするための媒介に過ぎん。
戦闘力や耐久性は、睦月や弥生に及ばない」

「で、でも…鉄のドアが歪むくらいには強かったじゃないですか」

「安心なさい。どれだけ強力な打撃も、躱せばどうということはない。
それに、奥の手もある」

「奥の手…?」

ガシャン、という騒音がフロアに響いた。

反射的に身を屈めて息を潜め、恐る恐るカウンターテーブルの影から様子を伺う。

白いインガだ。
数は1体…手分けして私を探しているらしい。

その手には鉄棒———通路の手すりを捩じ切ったものだろう——が握られていて、蛮族のような恐ろしさがある。

「隠れていなさい」

と、ハナヤシキさんが小声で言い、姿勢を低く保ちながらインガに近づいていった。

カウンターからおよそ15メートルほど先で、頭部を上下左右に動かしながら徘徊する人型の機械。時折り体の向きが変わるそれの背後に、完璧なタイミングで位置取りしながら距離を詰めるハナヤシキさん。

次の瞬間、白いインガの首が飛んだ。
彼は一瞬も気取られることなく、白いインガに背面から組み付き、その太い腕で機械の首を捻じ切ってしまったのだ。

鮮やか。

熟練された攻撃というのは、こうも静かで滑らかなのか。こんな状況にありながら、私は一連の動きに見惚れていた。

「ふむ、こんなところだろう」

「す、すごいですね」

「なに、これらは私の創造物…構造も弱点も、誰より理解している」

だとしても、掠るだけで致命傷を負うような打撃を繰り出せる怪物を相手に、躊躇なく肉弾戦を挑めるなんて。
あまつさえ、その結果は瞬殺の一言だ。

断頭されたインガは完全に機能停止したらしく、胴体も糸が切れたようにくずおれている。ハナヤシキさんはゆっくりとかがみ込み、その手に握られて振われることのなかった鉄棒を取り上げた。
そして確かめるように数回素振りして、こちらに寄越す。

「持っていなさい。使わせるつもりは無いが、無防備でいるよりマシだろう」

受け取った鉄棒は思ったより軽く、私の細腕でも振り回せそうだ。
でも、身を守るための道具———すなわち武器を手にしたことで、かえって危機感が煽られた気がした。

いざとなったら、自分の身は自分で。そのときはこれを使って、ヒトの形をしたあのインガを…。

太刀打ちできる気はしない。こんな軽い鉄棒ひとつで敵うはずがない。
実際に会敵したら、私なんてなす術なく弄ばれてしまうだろう。

けれどそれ以上に、暴力を振るわざるを得ない状況に立たされるかもしれない、という可能性が大きなプレッシャーになった。

ヒバカリさんもハナヤシキさんも、私のことを「度胸がある」「肝が座っている」と評していたけど、買い被りだ。当事者を自覚していたつもりでいながら、危険に晒されたときに自力で助かる覚悟すらままならない。

この現状を打開する策すら人任せ、思考停止もいいところ。

…いや、こんなネガティブな思考こそ無駄だ。
ハナヤシキさんが言う通り、今この場で目標とすべきは地上への脱出。
それを達成するために何をすべきか、今はそれだけを考えよう。

「さて、今ので我々の居場所が奴らに知れた。移動しようか」

膝の埃を払いながら、ハナヤシキさんが言った。私もそれに頷いて返す。
常にIMGでつながっているインガを破壊したとはいえ、ドライバーを排除したわけじゃない。この位置に派遣した尖兵が潰れたのだから、当然応援を寄越しているはず。長居は危険だろう。

しかしハナヤシキさんの判断で、大きく場所を換えることはしなかった。私たちが「察知していることを察知」して移動するだろうことは、敵ドライバーの予想の範疇…裏をかいて、2階のナースセンターに身を隠すことにしたのだ。

周囲にインガの影が無いことを確認して、ハナヤシキさんが話し始める。

「お嬢さん、繰り返すがここを脱出するには来た道を戻るほかない。
そのためにはモニュメント用のインガを排除しなくてはいけないが、さしもの私も複数体から同時に襲撃されて無傷では済まん。
そしてアレらは…いや、そのドライバーは我々の退路がひとつしかないと知っているだろう。
つまり、一直線にゴールを目指したとて、待ち伏せされて袋叩きにされると見ていい。
先ほどのフロア…エントランスに来たのが1体だけというのが、それを裏付けている。あのインガは恐らく捜索要員…最低でも2体は脱出地点で待機しているはずだ」

確かに、それは想像に難くない。道がひとつしかないなら、そこで叩けばいい…私でもそう考える。

でもそれって、どん詰まりということじゃないのだろうか?
見たところ、この旧メディカルセンターは一般向けに公開されていない、秘密の部屋———と言うには広大すぎるけど———だ。

ここで助けを待っていても、救助が来ることはないだろう。ハルさんがヒバカリさんに連携してくれているだろうけど、局長室の隠し扉に気づくまでどれだけ時間がかかるのか。
そもそも、地上が無事かどうかすらわからない。

「というわけで、ゲリラ戦を仕掛けたい」

「ゲリラ戦?」

ハナヤシキさんがポケットからスマートモブを取り出し、何度か画面をタップしてこちらに向ける。
そこには、旧メディカルセンターの施設内マップが表示されていた。

「昔の仕事がこんな形で役立つとはね…ここを任された際にインストールしたデータだ」

ハナヤシキさんが画面に指を走らせると、マップ上に赤ペンで記したような円が描かれる。
囲まれた場所は、細い通路の突き当たり…地上へのエレベーターがあるゴール地点だ。

「おそらく、ここに2〜3体のインガを残して、他は我々の捜索に出ている。
捜索要員は単騎で動いているようだから、まずはそれらを各個撃破しよう」

「単騎で動いているって、確実なんでしょうか?さっきのは1体だけだったから奇襲が効いたけど、もしペアで動いてたら…」

いや、もしかしたら待ち伏せなんてまどろっこしい真似なんてせず、総動員で私を探してるかも。
そうだ。エレベーターを破壊して退路を断てば、私たちは袋の鼠も同然。だとしたら、もう逃げるという選択肢がそもそも…。

「それはない。まず、敵に君の命を奪る気はない。
希望的観測ではない…むしろ当然の結論だ。
もし奴らが君を殺すつもりなら、回避しようのない方法で致命的な方法をとっているはず。
そうなると、奴らの勝利条件は君の確保と考えられる。
つまり、退路を断つわけにはいかないのだよ。そんなことをすれば、奴ら自身の逃走経路を潰してしまうのだからな」

「…おっしゃることはわかります。でも、だったら残りのインガ全部で待ち伏せている可能性は?」

「それもない。なぜなら、奴らには時間がないからだ。
ここは誰も知り得ない秘密の部屋だ。本来なら、ここに我々を閉じ込めた時点で奴らの勝利は確定した。
しかし、新川やヒバカリが居る。君を通じて、君を見守っている者達が異変に気づいた。
つまり奴らもまた、君の守護者による反撃のタイムリミットに迫られているのだよ」

えっと…この場所で私が襲われたことを知っているあの人たちが、遅かれ早かれ救出にくるだろう、と。
そういう話なら、ここで待っていればいいんじゃないだろうか。

「そうだな。私の愛すべき後輩共が、本当にここまで来られるなら、そうするべきだ」

「え?」

「我々は実際のところ、すでに袋の鼠なのだ。
あのエレベーターは、内側にしか昇降ボタンをつけていない…つまり、いま地上から呼び戻して乗り込むことは不可能なのだよ」

「そんな…」

「私のモニュメントを奪った者共がそれに気づいてしまったら、我々に勝ち目はなくなる。君が言った通り、巣を張る蜘蛛のようにゴール地点で待ち伏せられることになろう。
しかし、先ほどのインガを思い出したまえ。単騎で我々を探しに出た、捜索要員。
あれが来たこと自体、奴らが真実に気づいていないことを示唆している」

…ダメだ。ハナヤシキさんの頭は、この状況がとてもロジカルに整理できているみたいだけど、私にはさっぱりだ。
ほんの少し言葉を交わしただけなのに、丸一日真剣に授業を受けた後のような頭痛がする。

眉間に皺を寄せる私を見て、ハナヤシキさんがクスリと笑った。

「お嬢さん、肩の力を抜きなさい。無用な緊張は視野を狭窄させ、的確な状況判断を鈍らせる。
今重要なことは、これからどう行動するかの把握だ」

と、スマートモブの画面を拡大して見せてくるハナヤシキさん。

「我々の現在地はここ、旧メディカルセンターの2階、ナースセンター。
ここから、奴らを潰しつつゴールに向かいたい」

これからの行動方針を改めて聞かされ、私は頷いて返した。

「反対に、奴らの目標はお嬢さん———染井芳乃の確保。
襲撃直後、一目散に逃げ出した我々を見て、奴らは待ち伏せ要員と捜索要員に別れたのだろう。
捜索要員は、おそらく身を潜められそうなエリアに絞って1体ずつ出撃している…先ほどのエントランスが、そのひとつということだ」

と、ハナヤシキさんがモブの画面をピンチインして、メディカルセンター全域が見えるようにマップを縮小する。そして5階のラウンジスペースと3階の食堂に赤い丸をつけた。

「この2箇所が、1階エントランスとほぼ同条件で”身を潜めやすい”。おそらく、それぞれに捜索要員が配置されているだろう。一方には2体いるかもしれんな」

「じゃあ、そこを避けていけば…」

「いや、その反対だ。各個撃破すると言っただろう、あえて各エリアを通っていく」

「な、なんで?わざわざ戦闘しにいくなんて、危険じゃ…」

「それも反対だ。捜索要員を放置してエレベーターに向かえば、待ち伏せ要員と捜索要員とで挟み撃ちにされる。
さっきも言った通り、私も残り5体すべてを一度に相手取ることはできんのでね、あの狭い通路で乱戦というのはぞっとしない」

なるほど、捜索要員の残り3体と一騎打ちを繰り返していく方が、結果的にリスクが低いのか。

でも…戦略的に正しいとはいえ、あのインガと意図的に戦闘しようとは。事も無げに即断するハナヤシキさんは、頼もしくありつつ恐ろしくもあった。

そういえば、経営基礎学の授業で習った気がする。
チームを率いる者は、誰よりも目標達成に真摯であらねばならない。
目先の損益に惑わされず、ひたすらに最短ルートを突き進めるかどうか…その判断ができるか。
社会経験のない私にはピンとこない話だったけど、今まさにハナヤシキさんの言動から血肉を得た。

「さあ、状況開始と行こう。お嬢さんは基本的に私の後ろに居なさい。
ただし、身を守らねばならんと感じたら躊躇するな。
ここから脱出するまで、自分の生存本能に従え。君の脳は、君を生かすために思考する。
思考を止めないことが、生き残る唯一の術と知れ」

さっき手渡された鉄棒を握りしめ、私は頷いた。

そこからの行動は早かった。

私たちはナースセンターから出て廊下を突き当たりまで進み、非常階段を上がった。
エントランスから2階に避難したときは広々とした中央階段を使ったけど、そこは吹き抜けになっていて目視されるリスクがあったので迂回したのだ。

向かったのは、5階のラウンジスペース。
点在するテーブルに椅子が裏返しになって乗せられていて、身を隠すには持ってこいの死角が沢山あった。

と、フロア正面の大きな扉が開き、インガが現れた。
ハナヤシキさんに示されて、中腰でフロアの隅に移動する。

「良いタイミングだ。エントランスの様子を見て戻ってきたようだな。
ここに隠れていなさい」

そう小声で言ってから、ハナヤシキさんが素早く、かつ静かに動きだす。

数秒後、またしても呆気なくインガは破壊された。

「む?」

「どうかしましたか?」

恐る恐る近づいた私に、ハナヤシキさんが「これを見なさい」とインガの亡骸を指差す。

その手には、エントランスに現れた個体が持っていた鉄棒よりも明確な殺傷武器…拳銃が握られていた。

「…」

言葉が出ない。
これが、自分に向いていたかと思うと…。

「…甘かったのかも」

「ん?」

「私の確保が目的なんて…そ、そんなことなかったんじゃ?
やっぱり私を…こ、殺そうと…ッ」

悲鳴が漏れそうになり、口を手で覆う。
怖い。殺意を形にしたものを目の当たりにするって、こんなにも怖いんだ。

「落ち着きなさい、お嬢さん」

と、取り乱しかけた私の肩をポンと叩き、ハナヤシキさんがインガから銃を取り上げる。

「こいつは私のために用意した物だろう。…ふむ、やはりうちの警務部で使っている銃だな、貰っておくとしよう」

「で、でも…そんなのわからないじゃ、ないですか」

「だったら、なぜ最初の一体はこれを携行していなかった。
奴らはエントランスでの一戦で私を脅威と見做し、君を捕まえるうえでの障害を排除せんとして銃を持ち出したのだよ」

理屈はわかるけど、身体はすくみあがって言うことを聞かない。
逃げ場なんて無い…いや、逃げるためには進むしかないとわかってる。わかってるのに、ここから一歩だって動きたくない。

蜘蛛型ロボットや黒インガによるそれとは質が違う恐怖に、脳があらゆる選択を放棄しようとしている。

「落ち着きなさい、お嬢さん」

ハナヤシキさんが、今度はゆっくりとそう言った。

「言う通りにしなさい。まずは深呼吸だ…そう、吸って…吐いて。
一度目を閉じよう…深呼吸して…そう、いい子だ」

言われた通りにする。
視界が瞼に覆われると、やけに心拍が大きく聞こえてきた。
心臓のリズムに合わせて、耳の辺りの血管がドクンドクンと脈動している。

「イメージしよう。君は教室で窓の外を見ている。
ちょうど休み時間だ…おや、友人が話しかけてきた。
次の授業は英語だが、まだ始業まで5分はある。他愛もない話に花咲かせるには十分だ。
君はとてもリラックスしている…友人の笑顔を見て、安らいでいる」

言われるがまま、私はカオリの無邪気な笑顔をイメージした。
不思議と、本当に気持ちが和らいでいく。段々と鼓動の速さも落ち着いてきた。

「よし、目を開けよう…私が見えるか?」

「…はい」

「ふむ、平常心は取り戻せたようだ。えらいぞ」

ハナヤシキさんが微笑む。
局長室でヒバカリさんが言っていた「誰よりも献身的に仲間を支えてくれたあんた」という台詞が思い出される。
聞いたときはイメージできなかったけど、確かにこの人のことを言っていたのだと得心した。

わかりやすい凶器を目の当たりにした恐怖は、まだある。
でも、身体は言うことを聞いてくれそうだ。

持ち直した私を見て、ハナヤシキさんは小さく頷いて拳銃を検めた。
マガジンを引き抜き、本体に装填されていた弾丸を排出する。そして何度かスライドを前後させて、トリガーを引いた。
カチリという音がして、ハナヤシキさんは満足そうにマガジンを戻す。
その所作は、ヒバカリさんが車で銃を手に取ったとき見せたものと同じだった。

そして、私たちは再び行動を始める。

向かった先は、3階の食堂。例によってそこでは白いインガが徘徊しており、ハナヤシキさんは予めそう決められていたかのような恙なさでそれを排除した。

そのままインターバルを挟まず、廊下にでて直進する。やがて突き当たると、最初に居た部屋のドアがあった。

「さあ、ゴールは目前だ。この向こうに、あのエレベーターがある。
残りのインガもそこにいるだろう…おそらく、我々が次にどう動くのか、敵方も承知している」

準備はいいか?という視線を投げかけられて、私はあらためて深呼吸した。
…大丈夫。私たちは、ここから無事に脱出できる。そうに決まってる。

そう自己暗示をかけてから、ハナヤシキさんの目を見た。

「よし、行くぞ」

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