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インガ [scene004_01]

さて、俺のことと君のお父さん…染井博士の話だったな。
切り分けて話すと却ってややこしくなる。が、簡潔にまとめるのも難しい。

というわけで、昔話をしよう。

そうさな、最初から話すとなると…8年前まで遡る。俺は当時、財善の警務部に居た。今じゃおまわりさん役なんて呼ばれているが、当時はどちらかというと軍隊的な組織でな。内輪じゃあパラミリと自称していた。

パラミリというのは市民軍のことで、俺たち会社員が武装した組織にはピッタリの名称だった。

何が言いたいかって?血なまぐさい職場だったという話さ。

まだ政府にある程度の力が残っていて、大手企業群が国と自治権の奪い合いをしていた頃の話だ。

形骸化が進んだ国家は、国民の生活や安全を保障できるだけの体力を失っていたが、そのくせ体裁にはこだわり続けていた。
経済抑制で疲弊していた各企業はそんな政府に見切りをつけた。まともな補償を受けられないまま従い続けていたんじゃ、利益どころか社員の生活すら守れないってな。

最初に事が起きたのは、沖縄の小さな離島だった。というのも、当時は流通が機能不全を起こしていて、その割を食っていた奴らが島をあげて政府に噛み付いたんだ。
マズかったのは、国がそれを暴力で鎮圧したこと。

自国の民を守るどころか傷つける政府に、何の意味がある。
事件が起きたのは俺が学生のときだったが、世間は一気に反体制的な流れに突き進んでいった。

…あのころはカオスだった。IMGが無かったからな。機能不全を起こした政府と、それに成り代わる形で自治権の獲得を進めた大企業。どちらを信じればいいのか、市民も決めあぐねている状況だったんだ。

俺か?俺は、統治するのが国だろうが企業だろうがどちらでも良かった。
ただ、その争いで民間人が傷つくのが我慢ならなかった。ただ安心して暮らしたいと願う人達があげた声を、暴力で黙らせる奴らが許せなかった。

…有り体に言うとだな、俺は正義の味方になりたかったんだ。

チープで青臭い動機に聞こえるだろうが、本気でそう思っていたんだよ。

ん、なんだハル?…ははは、「オモチャを作るのが好きだったから」か。お前らしい志望動機だ。

ああ、そうだよな。誰だって、何かをやろうとする動機は単純なものだ。

しかし現実ってやつは、その青臭い初心をあっという間に泥だらけにしてくれた。

俺が配属されたのは、警務部の中でも現場仕事がメインの第3部隊。部隊長のハナヤシキ先輩を含む4名および技術サポート役1名———それがハルだったわけだが———計5名で組織された小隊が、俺の居場所になった。

ふふふ、気の良い奴らだったよ…先輩は当時から堅物だったがね。
斥候役のタカハシはドローン操縦のプロで、ハルと仲が良かった。爆薬の専門家でもあるワタナベは、口数が少ないが良い酒を知っていて、訓練後よく飲みに連れて行かれた。ハルはご存知の通り。

彼らは新人だった俺を対等な人間として扱いつつ、仕事のイロハを叩き込んでくれた。

最初の3ヶ月は訓練ばかりで、多少は豊田市内の巡回も行っていたが、それらしい仕事は無かった。だが、7月の半ばに大きな事件が起きた。

君も聞いたことがあるだろう。
首都東京で起きた、都民暴動。

当時の東京には複数の大企業が本社を構えており、政府と各社とで自治権を奪い合っていた。

政府とそれに連なる自治体は、毎日のように法制度や条例を打ち出して治世を維持しようと必死だった。それに振り回された各企業と都民には不満が積もりに積もっていて、そこら中で小競り合いや軽犯罪が起きていた。

そんな状況で企業自治の大流は歯止めがきかなくなったが、その企業も互いに牽制しあって手を取り合おうとはしない。争いの中で倒産した会社は数えきれんが、生き残った企業にも受け皿になれるほどの資金が無い。

生活が脅かされる不安と目まぐるしさは、都民の日常を急速に蝕んでいった。

中小企業の統廃合、自営業者の孤立と廃業。
暴動を起こしたのは、そんな零細と類される人々だ。

地方ではすでに企業自治が進んでいるところもあり、警務部が整備されている会社も少なからず存在していた。東京の各企業は、もはや自力での暴徒鎮圧は不可能と判断し、それら警務部に支援要請を出すことになる。

財善コーポレーションにも支援要請があり、俺たちは渦中の東京に駆り出されることになったんだ。

「初陣としては規模と騒ぎが大き過ぎる現場だ。良い働きをしろとは言わん。
ただ、何があっても生き残れ。本能に従え。
貴様の脳は、貴様を生かすために思考する」

出発前夜に聞かされた、ハナヤシキ先輩の言葉だ。
甘く考えているつもりは無かったが、身震いした。これから行く場所は戦場なんだ、と。

———いや、やはり俺は甘かったな。

東京の惨状を見て、眩暈がしたのを覚えている。

「いいか諸君、まずは我々に支援要請を寄越したアドワークスの警務部と合流する。
ここから先は徒歩…道中の厄介ごとは可能な限り回避だ」

移動用のトラックから降りた俺たちに、先輩が言った。
道中の厄介ごとというのが何を指しているのかは、すぐにわかった。停車位置の郊外は静かなものだったが、都心部に足を踏み入れると様相が一変したからな。

至る所で火の手があがり、悲鳴と怒号が銃声で掻き消され、老若男女を問わず屍になって路傍に転がっている東京———俺はその光景を見て、初めて国家の終わりを実感したよ。

辛かったのは…怪我をして投げ叫ぶ子供や一方的に暴力を振るわれる人々を、見捨てなければならなかったこと。
無視しろと命じられた“厄介ごと”というのは、それさ。

「ヒバカリ、隊列を乱すな」

頭から血を流してぐったりしている子供に駆け寄ろうとして、先輩に一喝された。

「隊長、あの子はまだ息がある…せめて安全な場所まで運んでやりたい」

「…ダメだ、我々の役割を忘れるな。
我々はアドワークスの要請で、財善の警務部隊としてここに居るのだ」

「役割だと?そいつには、あの小さな命を見捨てるだけの価値があるのか!?」

先輩の胸ぐらを掴んで食ってかかる俺を、ワタナベが引き剥がす。それでも収まりがつかなくて睨みつける俺を、先輩が嗜めた。

「ヒバカリ、貴様ひとりで責任を負えるというなら、もう止めはせん。
あの子供を抱えて、さっき素通りした救護施設まで戻ればいい。急拵えで大した設備は無さそうだったが、生存率を1パーセントは高められるだろう。
しかし、貴様はこの東京すべての人たちに同じ施しをし尽くせるのか、ひとりで。
貴様が救えたであろうアドワークスの警務部隊員の命が失われたとして、その責任から目を背けられるのか」

「詭弁だな。あんたは命の選別をしろと、それもビジネスとして処理しろと言っている!」

「私の言葉を詭弁と言うなら、貴様が主張しているのは偽善だ。
…いや、私自身も決して善ではない。
この場における理想は、あの子供のみならず全ての命を救うこと。
しかし現実を見たまえ。この荒廃した東京を、我々だけで何とかできると思うのか」

先輩の言葉を受けて、俺は周囲を見渡した。
目につく範囲だけでも複数の遺体が転がっていたし、遠くからは爆発音や銃声が轟いてきていた。それは人が死ぬ音だと思った。

とても…できるとは言えなかったよ。
感情は居ても立っても居られないと喚いていたが、理性は先輩の言葉に頷いていた。

「ヒバカリ。貴様の脳みそが出した結論は尊重する。
しかし今貴様が言ったことは、自らを蔑ろすることすら厭わない意思決定だ。
それだけは容認できん。許容できん。
…諸君、改めて言う。厄介ごとは可能な限り回避だ。
アドワークスの本社にたどり着くまで、己が身の優先度を下げることは許さん」

俺はもう、口答えしなかった。いや出来なかった。

現場に出てたったの数時間で、俺はこの身がどれほどちっぽけなものか痛感させられた。

…子供は見殺しにした。もしかしたら奇跡的に誰かが彼を救護施設に連れて行き、奇跡的に治療できる設備があって、奇跡的に傷が塞がり、奇跡的に命を吹き返したかもしれない。

しかし少なくとも、俺という人間はそうしなかったんだ。おそらくあの子は…どうなったのだろうな。

とにかく俺たちは、それから足を進めることに集中した。道中目についた厄介ごとは、全て無視した。
…地獄を歩いている気分だったよ。あの日の東京は何もかもがクソったれで、およそどんな結末であれハッピーエンドは迎えられそうになかった。

「ああ、よく来てくれました。チームはこれで全員ですか?…いやいや、道中で欠員が出なかったかと。
できれば身体を休めて頂きたいところですが、こちらも急を要する事態で…ハナヤシキ様、こちらで打ち合わせを」

アドワークスの本社はウェスト新宿…当時で言う西新宿にある雑居ビルの一画にあった。先方の警務部長は朗らかな口調でにこやかに出迎えてくれたが、その様子が外の様子とミスマッチで気味が悪かったのを覚えている。

「警務部長殿、その前に私のチームを紹介しよう。こちらが斥候を務めるタカハシ、隣が爆発物のプロフェッショナルであるワタナベ。後ろにいるのがオールラウンダーのヒバカリだ。その他、貴殿らと関わる機会は少ないだろうが、本部にサポート役の新川という者がいる」

話を進めようとする先方を右手で制し、先輩が俺たちを紹介した。暗に、誰ひとり蔑ろにすることは許さんという牽制をかけたんだ。
…そうだな、ああいう場面では本当に頼りになる人だったよ。

「ああ、申し遅れました。私は弊社で警務部長を務める吉川です。
現在ここ新宿区の制圧を任せられておりまして、ぜひ御社にお力添えいただきたくご足労いただいた次第でして」

制圧という言葉に眉を顰めたのは俺だけじゃあなかったが、ハナヤシキ先輩が「堪えろ」と目配せしてきたので我慢した。

「吉川殿、我々も豊田市で自治権を獲得しようと動いている企業の人間だ。貴殿らの最終的な目的について、口を出すつもりはない。だが、そのために手を出すつもりもない。
我々はここに警務執行の助力に参った。全員が、その身を危険に晒す覚悟をもってここに居る。
打ち合わせの場には、彼らも同席させたい」

先輩の毅然とした物言いに、先方の警務部長が俺たちをチラリと見た。
その表情は、こいつらは物分かりが良いわけではなさそうだ、と感じているようだった。都合の良い駒にできそうにはないな、とな。

「承知いたしました、では皆さんこちらに」

と、丁寧な物腰で会議室に案内してくれたが、小さくため息を吐いたのを俺は見逃さなかった。

「さて、本来あなた方には歌舞伎町で暴れる都民の相手をお願いしたかった…が、急を要する事態が発生しまして。
今朝方のことです、当社の小隊が見廻中に襲撃を受けて壊滅。小隊長が、都民兵に拉致されました。
あなた方には、彼の救出に当たっていただきたい」

腰を下ろしてすぐ、アドワークス警務部長が言った。
壁のホワイトボードには事件が起きた場所と思われる地図の他、拉致されたという小隊長の顔写真、敵勢力と思しき者たちを遠目に撮った写真が貼り付いていた。

「詳しい状況はレポートにまとめてありますので、モブの共有設定をオンにして当社クラウドデータからインストールしてください」

促されるままモブにデータを落として詳細を確認し、戦慄した。
企業が資金力に物を言わせたハイテク武装集団、アドワークスの警務部小隊。彼らを襲い隊長を拉致したのは———

「推定年齢16歳前後の…子供?」

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