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インガ [scene004_03]

「何があった、タカハシ」

『ガキどもがホテルから出てくる…次々と。まるで撤退しているようだ。
目標に爆弾つけられてんだろ?何かある…ヤシキさん、今すぐ避難した方が良い!』

嫌な想像が俺たちの脳裏を過った。
子供たちの動きは、露骨に目の前の爆弾が秒読みに入ったことを表しているようだった。

「ワタナベ、お前の見立てを聞かせろ」

慌てる様子も無く、ハナヤシキ先輩が言った。いや、内心はどうだったことか…小隊長殿の手前、冷静を装っていたのかもしれん。

「時限性の装置はついていません。だが、彼の下に置かれたセンサーにどんな仕掛けがあるか…。
遠隔で起爆するのは簡単でしょうね」

その答えに悲鳴を上げたのは小隊長殿だ。
先輩とワタナベの会話は、自分の首を嵌めたギロチンの刃がいつ落とされても不思議じゃないという内容だったからな。
もしかしたら、俺たちが彼を見捨てる可能性にも怯えていたかもしれない。

しかし、

「青山殿、絶望する必要は無い。貴殿は敵側にとって大切な切り札。
子供とはいえ、企業警務部の隊長格を捉えるだけの知恵を持った人物が、何の利も無い状況で人質に手を出す筈がない」

そう。人質には生きているからこそ価値がある。
要求を通すこともなく、その命を悪戯に害するなど馬鹿のすることだ。

「ワタナベ、解体を始めろ。タカハシ、任務は続行だ。そのまま子供らの監視を続けろ」

毅然とした物言いで、先輩が指示を出した。しかし、

『いや、そうもいかないみたいだ。ヤシキさん、奴らホテルの前に集まって…何だあいつ、拡声器を持って…』

———アー、アー…聞こえますか、大人の皆さん。

タカハシの通信を遮るように、ホテルの外から少年の声が聞こえてきた。

———お気づきの通り、人質に爆弾を取り付けました。今僕は、それを起爆できるスイッチを持っています。

アナウンスを聞いて、俺たちは息を呑んで目を見合わせた。
やはり、遠隔起爆装置があったんだ。

———僕たちも彼を殺したくはありません。僕たちの要求を飲んでいただければ、人質はお返しします。

モブを開くと、ドローンが寄越す映像データが表示された。リーダーと思しき少年が、小さな筒状のスイッチを掲げている。

———アドワークスに伝えてください。彼らによって生活を奪われた僕たちの、衣食住を保証する契約書の用意を。それと、このスイッチを交換しましょう。

齢16ほどの少年が、人の命と紙切れの交換を申し出ている。モブに映し出されるその光景と、拡声器を通して響いてくる若々しい声が、何とも言えない恐怖で俺の心を揺さぶった。

「…隊長、行ってください」

解体作業を続けながら、ワタナベが言った。

「彼ら、自分たちが取り返しのつかないことをしようとしていることを理解していない。でも、本気です…この交渉に全てを賭けている」

先輩はワタナベを見つめて、動かなかった。あの人が言葉を見つけられないでいるのは、初めてのことだった。

少しの間があって、またワタナベが口を開く。

「この爆弾、思ったほど簡単な造りをしていない。解体まで15分は欲しい」

「…時間を稼ぐ必要がある、と。わかった。
ヒバカリ、ついてこい」

と、先輩が踵を返した。その顔は、なんとも言えない複雑な表情をしていたよ。
あの場を離れるという意思決定は、断腸の思いで下したものだったろう。

「ワタナベ…貴様の脳は貴様を生かすために思考する。その結論を信じているぞ」

そして俺と先輩は、急いでホテルを出て子供たちと対峙した。

出入り口を取り囲むように並ぶ彼らはやはり幼く見えて、子供をこんな暴挙に駆り立てた全てに怒りが湧いたよ。…やるせなかった。

「ヒバカリ、武装解除だ」

命令に従い、俺は手にしていた武器を地面に放り出して両手を上げた。もちろん、先輩も丸腰になった。

「代表は君かね。私はアドワークスの要請により人質の救出に来た、財善コーポレーション警務部のハナヤシキというものだ」

そう名乗った先輩を前に、リーダー格の少年が一歩踏み出す。

「僕は中野区解放軍のリーダー、ヤマトです。僕らの要求を、アドワークスに通して頂きたい」

その声は少し震えているように感じた。見るからに戦闘要員とわかる格好をした大男に対する怯みか、ここ一番の交渉に臨む緊張か、右手で握りしめた人命の重みから来る恐れか、それともその全てか。

何かしらスポーツでもやっていたのか、まあまあガタイの良いナリではあったものの、やはり身体が出来上がっていない子供。
背丈は俺と同じくらいだったが、とても戦闘が出来るようには見えない。

そんな彼が、大勢の子供を背中にうちの大将と交渉しようとしている。
変な話だが…その時の俺は、彼をひとりの男として敬っていた。アドワークスのオフィスで見た警務部長なんかより、よほど大人に見えた。

だからこそ、人質の命を交換材料にした要求に、沸々と怒りが湧いてくるのを感じたよ。
何より、仲間の命も掛かっていたからな。

「君たちの要求はすでに伝わっている。しかし、我々はアドワークスの意思決定に口を出す権限を持ち合わせていない。
つまり君たちは、交渉の相手を間違えているのだよ。ここで私と問答しても、今すぐ望みを叶えることはできんぞ」

「あなた方がアドワークスでないことは承知しています。しかし、仲介することならできるはずです。
僕たちが、あなたの仲間の命も握っていることを忘れないでください」

あと数メートルでも近くにいたら、俺はその少年に殴りかかっていただろう。臓腑に熱湯を流し込まれたような気分だったよ。
先輩に目をやると、相変わらずの表情ではあったが拳に力を入れて堪えているのがわかった。

「わかった、我々の依頼主に君たちの言葉を伝えよう。だが時間を要することは理解したまえ。君たちの要求を通すには、それなりに複雑な手続きを踏まねばならん」

「時間稼ぎのつもりですか。馬鹿にしないでください。
この際、正規の手続きなんて踏んでもらう必要はありません。
僕たちの要求を飲むのか、人質を見殺しにするのか、簡単な2択だと思いませんか」

と、少年が起爆装置を掲げた。

「まずは意思表明を。さもなくば、今すぐにこれを使います。
ハッタリじゃないことくらい、わかりますよね。
僕たちはアドワークスに全てを奪われて、もう何も残っていません。
この要求が通らないなら、僕たちはあなた達に殺されてでもアドワークスに汚名を塗りつけます」

「繰り返すが、君たちは交渉相手を間違えている。
アドワークスの対応について我々が意思表明したところで、何の確約にもなりはしない」

先輩の言葉を受けた少年が、起爆装置を握る手に力を入れようとした瞬間、

「だが———君たちの手助けそれ自体は、引き受けよう」

少年が動きを止めて、

「…どんな手助けをしてくれますか」

「我々の会社…財善が、君らの生活を保障しよう。高待遇を約束はできないが、衣食住で困らせはしない」

子供たちが騒めく。
言われてみれば「その手があったか」という感じだが、俺にとっても発想の外にある提案だった。
しかしリーダー格の少年は、訝しむような目を先輩に向け続けていた。

「財善は、何処にある企業ですか」

「愛知の豊田市だ」

「…僕たちは、この中野区での生活を取り戻したいんです。
それとも、ここに居る皆で愛知にお引っ越ししろと?」

少年の異議に、ハナヤシキ先輩が頷いた。

「ああ、そう言っている。…そうだ、我々にこの東京を統治することは叶わない。
しかし、豊田でなら君らに居場所を提供できる」

「話になりません。僕たちの要求は、アドワークスに中野区での生活を保障させること。
さあ、早く彼らから契約書を———」

「待ちたまえよ。後ろを振り返ってみなさい、君の仲間は揺れているようだが?」

そう言われて、少年は背後に控える子供たちを見た。声に出す者はいなかったが、何人かは先輩の申し出に惹かれているような顔をしている。

「君らの組織が立ち上がった際に合意した目標は、確かに中野区の開放だったのだろう。
しかし、そもそもの目的は生活の保障そのものだったはず。
リーダーたる者、目標や手段に固執せず、あくまでも目的を見据えた意思決定をすべきだと思うがね」

ダメ押しの一言だった。
大人数をまとめるリーダーシップを有しているとはいえ、所詮は発展途上の子供。マネジメントという仕事と向き合い、人を使って任務を果たすという職務に従事してきたハナヤシキ先輩には、立場に対する考えも理解も遠く及ばない。
先輩からすれば、その若すぎるリーダーに何が欠けているのかなんて、一目で看破できるものだったろう。
だからあの人は、見ぬいた課題を当人に直面させることで、その場の流れを掌に収めることにしたんだ。

つまり━━━

「…少し話し合う時間をください」

時間稼ぎ成功だ。
そもそも、人質という最強のカードを持ちながら、交渉相手に「ください」などと宣った時点で決着はついていた。
先輩は表情を崩さないまま、

「もちろんだとも。君たちにとっての最善が何か、じっくりと話し合いたまえ」

そう言って、こっそりと数回瞬きをした。
モールス信号だ。時間は稼いだ、今のうちに仕事を済ませろ、と。
それを遠目で見ていたタカハシが、ガッツポーズをして━━━見ていたわけじゃないが、明らかにしていただろう声音で『あんた最高だ!ワタナベ、安心して片付けちまいな』と通信してきた。

ややあって、緊急会議を終えた少年が「結論が出ました」と戻ってきた。

「ふむ、答えを聞かせていただこうか」

「…その前に、もう一度お名前をうかがっても?」

「花屋敷薫、財善コーポレーション警務部小隊長だ」

少年がこちらに歩み寄ってきて、

「ハナヤシキさん。こんなことを言えた義理ではないですが…僕たちは貴方を信じることにしました。
ぜひ、財善のもとで働かせてください」

と、起爆装置を先輩に手渡した。

「約束しよう。君たちの生活は、我が財善コーポレーションが責任をもって保障する。
細かな段取りについては本社の連中と取り決めることになるが、明日中には具体的な計画をお伝えしよう」

「はい。それで、その…爆弾の解除方法ですが」

申し訳なさそうにする少年を、先輩が右手で制した。

「よい。私の部下が、今しがた仕事を終えたところだ」

と、そのまま右手親指で背後を指す。俺も振り返ると、ちょうどワタナベと小隊長殿が出てきたところだった。

少年が眉を顰めて、

「まさか、本当に時間稼ぎだったのですか」

「そのつもりが無かったとは言わん。だが、私も約束を違える男ではない。
とはいえ、君らとしても何かしら担保が欲しいところだろう。
そこで提案なのだが、計画がまとまるまで我が小隊で君らの護衛を務めるというのはどうかね」

「…そうですね、アドワークスの小隊長さんを奪還されてしまった以上、僕らとしても貴方が裏切らないという確証が欲しいです。
その提案を受けることにしましょう」

「いや、お待ちください」

ワタナベが二人の間に割って入った。

「隊長、任務を果たしたとはいえ、アドワークスの要請でやってきた俺たちが誰も戻らないというのはマズいでしょう。
だが、俺もこの子らの面倒をうちで見るというのは賛成です。
なので、俺に任せてはいただけませんか」

その申し出に、ハナヤシキ先輩は

「ふむ…その通りだな。しかし、私としても部下ひとりを敵地に送り込むのは不安なのだが?」

と、少年の目を覗き込んだ。

「ご安心ください。こちらとしても、財善を敵に回して今回の話を棒に振るわけにはいきません」

先輩は満足そうに頷き、

「よろしい。ではワタナベ、貴様はこのまま彼らについて行け。
定時連絡は欠かさないように。それからヤマト殿、といったね?私も君を信じることにするが…私の部下に何かあったら、今度は私自身の意思で君らを叩き潰すことになる。
くれぐれも、彼のことは丁重に扱ってくれたまえよ」

「もちろんです」

二人は握手を交わし、ようやくアドワークス小隊長奪還作戦が決着した。

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