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ラジオドラマ
私の秘密

 

司会者 おはようございます。下界は天国よりも奇なりと申しまして、生前は変わった珍しい、あるいは貴重な経験や体験をお持ちの方がたくさんいらっしゃいます。天国時間今夜、下界時間の今朝も「私の秘密」の時間がやってきました。今日ゲストでお迎えしたのは、爆発院消滅居士さんです。さっそく、爆発院さんの秘密をお聞きしましょう。まず初めに、こちらに来られたのは?

爆発院 17歳の夏です。

司会者 お若いのにまた、どんなご因縁で?

爆発院 僕は広島生まれで、原爆にやられました。

司会者 それは災難でしたね。で、どこで被爆を?

爆発院 それが質問です。僕はどこで被爆したんでしょう。

解答者A 広島駅(ブブーとブザー)

解答者B 百貨店(ブブーとブザー)

解答者C 市電の中(ブブーとブザー)

 

司会者 残念。正解は?

爆発院 県の物産陳列館、いまでいう原爆ドームです。(解答者たちの驚きの声)

司会者 世界中で知られたあの建物ですか。それはそれは…。あそこは爆心地から?

爆発院 160メートル。イチコロでした。

司会者 それでは次のご質問。

爆発院 僕はそこで何をしていたんでしょう。

解答者A 店員さん(ブブーとブザー)

解答者B お掃除ボランティア(ブブーとブザー)

解答者C 万引き(ブブーとブザー)

 

司会者 またなんで万引きですか?

解答者C 戦時中はみんな腹ペコだったんでね。

司会者 あなた、やってたんでしょ。

解答者C (頭を掻いて舌を出し)すんまへん。

司会者 ご正解は?

爆発院 内壁の修繕です。僕は壁屋の徒弟でした。

解答者C そりゃ徒弟の苦しみでしたな。

司会者 それをいうなら塗炭の苦しみでしょ。つまらない。(全員笑い)さて、最後の質問にいきましょう。そのときあなたはどんなことをしていた?

爆発院 割れた漆喰を取り外し、新しい漆喰を塗っていました。そこで僕は、職人としてやってはいけないことをしてしまいました。それが質問です。僕はレンガと漆喰の間に何を入れたんでしょう。

 

司会者 さあ、これに外れたら、今日は全員解答なしということになります。皆さん得意のテレパシーでお答えください。爆発院さんは、そこに何を入れて、新しい漆喰で蓋をしたか。

解答者A ボロ着ですか?

爆発院 いいえ。

解答者B ドル札?

爆発院 いいえ。

解答者C ラブレター!

司会者 正解! 最後の最後で正解が出ましたね。(全員拍手)しかしまた、なんでラブレターを? そしてそれは書いたの? 貰ったの? 

爆発院 もちろん僕が書いたんです。近くの女子高に素敵な子がいましてね。彼女は陸軍被服支廠に毎日通っていて、僕はいつもすれ違っていたんです。僕はすっかり熱を上げちまって、一夜のうちにラブレターを書き上げたんです。

解答者C 恋は爆発だってな感じね。

解答者B でも恥ずかしくって出せなかった。

解答者A 良くある、良くある。

爆発院 いずれにしても、そんな手紙を出せるような時代じゃなかった。みんな鬼畜米英って叫んでいたんです。女子だって、竹槍を持たされて、完全に戦闘モードだった。で、僕は片思いの記念に、原爆ドームの壁に、満たされなかった僕の思いを残そうと思ったわけです。

司会者 そしてその手紙は……。

爆発院 僕と一緒に灰になった。

司会者 そうかな、……。ここからが、天国版「私の秘密」の真骨頂です。さて、はたしてラブレターは灰になったか、それとも下界に存在するか。大望遠透視カメラさん、よろしくお願いします。ただいま広島が大画面に映し出されました。アッ、あれが原爆ドームです。拡大していきます。爆発院さん、どの辺りに手紙を入れましたか?

爆発院 中央ドーム外回り南北面のレンガで、僕は漆喰を3層に塗っています。 

司会者 カメラさん、そこを透視でアップしてください。アッ、驚きです。ちゃんと漆喰も3層残っていて、その下のレンガも見えますよ。確かに見えます。漆喰とレンガの間。封筒です。あれは絶対封筒です。中には便箋も入っています。和紙の便箋です。

爆発院 親爺の使っていた高級品です。良かった良かった。

司会者 みなさん、ありましたよ。ラブレター。じゃあ、さっそくあれを取り出しましょう。さて、どんなことが書かれているのかな…。

爆発院 いやいや子供の書いたものですから、おはずかしい。

司会者 念力博士。ご登場お願いします。

念力男 は~い、私、冥界一の念力男で~す。(袖から出てきて数珠を鳴らして呪文を唱え)エエイ、ヤッ!

 

司会者 見てください。驚きです。ラブレターが漆喰をすり抜けて、空中浮遊を始めました。風に吹かれて、さあどこの大地に落としましょうか。

念力男 柵の外から手を伸ばせる所に落とします。そして通りがかりの郵便配達のバッグからハガキ一枚を舞い上がらせて、同じ場所に落とします。

司会者 見てください。ハガキが一枚舞い上がってラブレターとぶつかり、一緒に鉄柵の直ぐ内側に落ちました。局員が慌ててバイクから降り、鉄柵の中に手を入れて、手紙と封筒を掴みました。さあて、そんなに恋していた人なら、爆発院さんは天上から見守ってらしたでしょう。彼女はいまでもご健在なら、念力男さんの力で、住まわれている家の住所を封筒に書き込みます。そうすれば郵便局員がそこに届けて、彼女から切手代を受け取ることになります。遅ればせながら、貴方は願いを達成できるわけです。

爆発院 いえいえ残念ながら、彼女は被服支廠で働いていたとは聞いていますが、それ以外はまったく分かりません。きっと彼女も被爆している。あそこは爆心地から3キロ近く離れているから、多分生き残られたとは思いますけど、住所は分かりません。

司会者 大丈夫。ここは天国ですよ。何でもアリの世界です、それでは人気のご対面コーナー、始まり、始まり。極楽院初恋大姉さん、どうぞ。爆発院さんの初恋の女性です。おや、爆発院さんは、口をポカンと開けて驚いているご様子。極楽院さんの手にしている封筒は、なんと爆発院さんのしたためたラブレターじゃござんせんか。霊界テレポーテーション技術のなせる技です。見てください。爆発院さんは感極まってお泣きになりました。それに呼応するかのように、極楽院さんも涙を流しています。さあ、遠慮することなくハグしてください。

 

爆発院 お久しぶりです。

極楽院 わたしも、貴方のことを好きでした。あの朝すれ違ったときに、どうしてこの手紙を渡してくださらなかったの? 

爆発院 度胸がなくて……。

極楽院 あのとき振り返ると、貴方も振り返っていて、目と目が合いました。でも、貴方は一目散に走り出して、爆心地の方角に消えてしまった。それが貴方を見た最後でした。でも、貴方の悲しい眼差しで、私のことを愛していると確信しました。私は貴方の妻になりたかった。だからピカドンのあと、私は廃墟をうろついて貴方を捜したんです。でも、無駄なことは分かっていました。けれど、貴方の悲しい眼差しが忘れられなくて、一生独身を通しました。

爆発院 なんてこった……。

極楽院 御免なさいね。私はピカドンのあとも生き残って、長生きしてしまいました。あの頃とは似ても似つかない、こんなお婆ちゃんになっちゃって……。

司会者 何歳でこちらに?

極楽院 90歳です。若い頃の私と大違い。貴方はあのときのまんま。その眼差しも、ずっと一緒ね。

爆発院 もちろん僕の心もあのときのまんま。貴方に恋焦がれ、黒焦げになって死んでいった……。

司会者 嗚呼、私も涙が止まりませんな。さて、とうとう番組のクライマックスがやってきました。極楽院さん、永遠の夫からのラブレターを開封し、お読みください。

 

極楽院  名も知らぬ貴方へ。名も知れぬ僕は、貴方に恋焦がれる男です。昨日召集令状が来て、飛行兵の訓練を受けるため、江田島の配属となりました。1年後には特攻隊員として出陣し、見事敵空母に体当たりしてお国のために命を捧げる所存です。僕は天国から貴方の幸せを祈り続けます。その見返りとして、世界に平和な時代が訪れたとき、ごく偶に、この手紙のことを思い出してくだされば、喜びに堪えません。貴方を思いながら死んでいった哀れな男、否、勇敢な男のことを……。

司会者 なるほど。爆発院さんがこの手紙を渡せなかった理由も分かりました。貴方はどのみち死んでいく若者だった。それなら、愛する女性をさらに不幸にさせるわけにいかなかったんだ。飼い犬に餌を見せて、直ぐに隠すようなもんだもの……。

解答者A それはちょっとおかしい喩えね。

司会者 すんまへん。おや、極楽院さん。大泣きしちゃって!

極楽院 お手紙、渡してほしかったわ。一時でも、貴方と楽しい思い出を残せたのに……。

司会者 極楽院さん。それは違いますよ。これから永遠に楽しい時が待っているじゃありませんか。ここは天国ですよ。失われた時を求めることができるんです。さあ、「私の秘密」の締めがやってきました。フェアリー・ゴッドマザーさん、ご登場願います。

フェアリー・ゴッドマザー ハーイ! 魔女の中の魔女、フェアリー・ゴッドマザーで~す。この杖を極楽院さんの肩に当てれば、ほら、たちまち当時の美少女に大変し~ん!

爆発院 ワッ! あのときの彼女だ!

解答者B 可愛い~い!

解答者C 理想的なカップルじゃん。

司会者 さあ皆さん。時は教会の鐘なり。光陰亀のごとし。式場はもう用意されています。下界から貢がれた美味しい御馳走もふんだんにあります。全員、結婚式場にテレポーテーションいたしましょう!

神様 お~い、おいらも入れておくれよ!

司会者 驚いた。天上から特別ゲストとして神様が来られました。下界で言えば、ノーベル平和賞を首にぶら下げた大統領のような方です。(全員拍手で幕)

 

ショートショート
バニーボーイ

小学生の頃、男は上の前歯が2本大きくて、クラスメイトから「ウサギ男」と虐められ、休み時間には教室から逃げるようになった。その時間、校庭脇のウサギ小屋に行って、登校時に畑からくすねた菜っ葉を与えながら、彼らとの会話を楽しんだ。最初のうちはウサギたちに会話能力はなかったが、こちらから一方的に語りかけていると、口をもぐもぐさせながら、しぶしぶ相手をしてくれる。どうやらその時から、男はウサギ語を話せるようになったのだ。

「どうだい、美味い?」と聞くと、1匹が「美味い、美味い」とテレパシーで返してきた。
「あんたは俺たちと似ているな」
「そんなに似ているかい?」
「そっくりさ」
どうやら連中は、男の巨大な前歯が気に入ったようだ。

「こんな狭い小屋で楽しい?」と聞くと、「そんなわけないじゃん」ともう1匹がテレパシーで答えた。ほかの1匹が、「毎晩野原で走っている夢を見るさ」というので「誰かに追い回されて?」と尋ねると、「キツネさ」とさらにほかの1匹が答える。
「いつも食われる夢ばかりだぜ」
「あんたも一度は食ったことあるだろ?」
「僕はないさ。この学校にも、そんな子はいないよ」
「でも、ここは牢屋さ。あんたは楽しそうに見ているけどな」

「じゃあ、君たちの行きたい所は?」と尋ねると、「ウサギだけの国だわ。美味しい草がいっぱい生えてて、キツネやオオカミもいない。ヤギやウシやヒツジもいない。思う存分美味しい草を腹いっぱい食べて、野原に寝転がって、たくさん子供を増やして、怯えることなく楽しく生きる。そんな所が理想郷。あたしたち、死ぬまでビクビク生きる運命なんだ」とほかの1匹。
「で、そんな国に行く方法はあるの?」
「まずはここを抜け出して、それからさ。ここを出れなきゃ始まらない」と彼らは口々に訴えた。

男はその晩、校庭に忍び込んで、ウサギ小屋の金網を破り、ウサギたちを解放してやった。「ありがとな。またどこかで会おうぜ」と、ウサギたちは瞬く間に暗闇へと消えていった。

****

男は中学、高校でもクラスメイトに虐められ、就職した会社でも、上司からパワハラを受けた。そうして段々、あのウサギたちのことを思い出すようになった。「あいつらは理想の国に行けたんだろうか……」、と心配もするようになった。連中の寿命はとっくに切れているだろうが、その子孫はどこか近くの山で生き延びているに違いない。そんなことを考えているうちに、男は生まれてからこの方、友達といえる者はウサギだけだったと思うようになった。そうして休日になると、近くの山々に登っては、声を張り上げた。
「ご先祖が第三小学校に飼われてたウサギさん、いますか⁈」

すれ違う登山客は驚いて、足早に離れていった。ウサギに出会うことはほとんどなかったが、1回だけ2匹のウサギが遠くの丘から耳を立てて、こちらを凝視していたことがあった。男はさっそくウサギに向かって叫んだ。
「第三小学校に飼われてたウサギのひ孫さんですか?」
すると2匹はこっくりと頷き、すぐに消えてしまった。男は、友達の子孫が繫栄していることを確信し、喜んだ。そしてその年の暮れに、来年のうさぎ年に願いを込めて宝くじを3枚買い、前後賞を含めて大当たりした。

****

男は賞金で内海の小さな島を買い、自給自足の生活を始めることにした。島には犬も猫もイタチもキツネもおらず、廃屋が2軒あって、それらを自力で補修して、なんとか住めるようにした。引っ越しの日、男の小舟には当分の穀物と人参や牧草の種、種籾、ペットショップで買った10匹のウサギとバニーガールの衣装2着、冬用のマント、姿見とリクライニングチェア、トンビ撃退用のパチンコが乗っていた。島に着くと、男はさっそく海岸にウサギたちを放った。ウサギたちはしばらく戸惑っていたが、ゆっくりと藪の中に消えていった。

新居に入るとバニーガールの衣装に着替え、姿見の前に立った。ウサギとは似ても似つかない可愛げのない姿が写し出されていた。男はすでに人間社会と決別し、ウサギ社会で生きることを決めていたので、人目など気にする必要もなかった。男は人間の服を焚火にくべ、バニー姿で海岸に立った。すると、沖に通過する漁船の男たちが、口をポカンと開けてこちらを眺めていることに気付き、手を振った。それに応えて彼らも手を振ったが、恐らくお笑い番組の撮影かなにかと思ったに違いない。しかし手を振った後に、連中が上陸することを想像し、すぐに反省した。そしてすぐに、小舟用の桟橋の根元に柵を造って、「何人も入るべからず」と貼り紙をした。

男はすでに20年前からヴィーガン(草食)生活をしていた。ウサギの好きなアルファルファは、男の好物でもあった。ウサギ仲間になるためには、まずはウサギと同じ嗜好にならなければいけない。クズ、クローバー、タンポポ、ナズナ、ヨモギ、ハコベ、山茶花や芝の地下茎、木の皮など、島にはウサギの食べ物が豊富で、それらは男の食い物にもなり得た。男はさっそく庭に植えられ伸び切っていた芝の葉っぱと地下茎を食してみた。悪くはない。男の味覚はすっかりウサギになっていた。

それから男は、良いことも悪いことも、すべての思い出を捨て去ろうとした。ウサギになるためには、人間時代の思い出は邪魔だった。けれど、ウサギの小度胸も好きにはなれなかった。それはちょっとした音や臭いに咄嗟に反応する臆病者の神経で、人間時代の男の神経にも共通するところがあった。しかしウサギ天国では、猛禽類ぐらいしか天敵はおらず、男がパチンコで見守っていたので、ウサギたちも安心して生活することができた。暫くするとウサギたちも男の家の庭先に顔を出すようになった。男が連中に声を掛けると、ウサギたちもしばらく会話して帰っていくようになった。
「どうだい住み心地は」
「いいねえ、天敵がいないからな」
「幸せかい?」
「幸せさ。あんたは?」
「君たちが幸せなら、僕も幸せさ」
「じゃあ、お互いウィンウィンってことだな」

****

しかし、幸せが長続きしないのは世の常だ。ウサギの繁殖力は旺盛で、1年も経つと10匹が800匹にも増え、3年後には2500匹にも増えてしまった。するとたちまち、小さな島の緑が失われていった。ウサギたちは植物を奪い合うようになり、男の作付けした穀物や野菜、庭の芝まで荒らされて、自分の食べるものもなくなってしまった。そうしたときに大きな白ウサギと大きな黒ウサギが男の家にやってきて、男に詰め寄った。

「俺たちはいま、白色兎種と有色兎種に分かれて戦っているんだ。あんたは白黒どっちに味方するんだ?」
男は驚いたが、心を落ち着かせて問いかけた。
「いったいどうして、喧嘩をしているんだい?」
「食い物の奪い合いに決まってるだろ」と白ウサギ。
「だけど、奪い合う食い物すらないんだ」と黒ウサギ。
「でもなんで、白色と有色で喧嘩をするんだ?」
「そりゃ白のほうが、美しいからさ」
「バカいえ、黒のほうが血統がいいんだ。最初のウサギは黒だったんだぜ」
二匹は男の前で取っ組み合い、噛み付き合った。男はそれを制止して、「僕はどちらにも与しないさ」と宣言した。それを聞いた二匹は庭に出て決闘の続きを行い、とうとう黒ウサギが白ウサギの喉笛をかみ砕いて殺した。黒ウサギは勝利の雄叫びを上げ、そのまま去るかと思いきや、驚いたことに白ウサギをムシャムシャと食べ始めたのだ。男はビックリして、「ウサギが肉を食べるんか!」と怒鳴ると、黒ウサギは顔を上げてニヤリと笑い、「人間様が共食いしてるように、ウサギだって生きるためには共食いもするんだよ」といい、「こいつはあんたのために残してやる」と捨て台詞を残し、「ウサギ美味しこの島~♪」と歌いながら去っていった。

****

男はショックで庭に倒れ、そのまま起き上がることはなかった。栄養失調で、すでに立ち上がる力も失せていたのだ。すると、どこからともなくウサギが集まってきて、男を取り囲んで見つめている。男は自分の最後を看取るために大勢のウサギが集まってくれたと思い、「みんな仲良く幸せになはは」と前歯をカタカタいわせながら、幸せ気分でこと切れた。ウサギたちは白も黒もオスもメスも親も子も、ワッと一斉に男に群がって、前歯をカタカタいわせながら骸骨になるまで食い尽くした。

(了)



エッセー
ホメオスタシスが平和を呼ぶ

(一)
 先月、インドのガンジス川で、ヒンドゥー教の祭りに参加した人々が折り重なるように倒れ、30人以上が亡くなったというニュースが流れた。そのとき僕は不覚にも、昨年暮れ北海道の海岸に数十トンものイワシが打ち上げられた現象を思い出し、この罰当たりめと自戒した。

 当然、人と魚では衝撃度は異なる。けれど事故ではなく、戦争で多数の市民がゲルニカ風に亡くなる現象は、爆撃する国の人々にとっては魚みたいに映るものかもしれず、真珠湾攻撃のように、場合によっては国民的拍手が沸き起こるかもしれないと想像すると、空恐ろしい気がしてきたのだ。人だろうが魚だろうが、事故だろうが戦争だろうが、一人一人、一匹一匹の肉体には心が宿っていて、多くの心が一瞬にして消滅する事態は、惨劇以外の何ものでもないだろう。しかし、爆弾を落とした国の人々は、爆弾で死んだ多くの人々を、死んだ多量のイワシと同一視できるのだとすれば、この人間世界では時と場合によって、人の命と魚の命の軽重は等しい場合もあり得ることになる。

 そうなると、ある国の人々にとって、ほかのある国の人々は、魚や家畜まで貶めることも可能という論理に行きつき、アウシュビッツなどの殺戮が繰り返される歴史も自明になってくる。人も魚も生命体ということでは共通で、恐らくその共通項が、そうした惨劇の根源にあるに違いない。生命体が生きる場所としての地球は、基本的に食うか食われるかの世界だ。

(二)

 心というのは観念的な造語で、解剖学的には神経の発火現象に過ぎない。その心は、脳に働きかける神経伝達物質(脳内ホルモン)と全身に流れていくホルモンとによって調整されている。それは人も魚も同じだろう。

 それらのホルモンは自律神経にも働きかけ、内外のストレスに対処して、個体を最適の状態に戻すために脳を含めた全身に指令し、各器官はその命令に従って連動し、ストレス下の不都合性を解消するわけだ。それは生体恒常性(ホメオスタシス)と呼ばれている。この生体恒常性が乱れたとき、人は不快感に陥って体調を崩す。つまり生体恒常性は、心身が常に快適である状態を意味している。

 癌という恐ろしい異物が体内に発生したとき、人は医者にかかってその内部ストレスを排除し、生体恒常性を取り戻して内部環境の快適性を維持しようとする。パワハラという恐ろしい刺激が体外で発生したとき、人は精神科に通って外部ストレスの解消に努め、生体恒常性を取り戻して内部環境の快適性を維持しようとする。それが成功しなければ、癌の場合は不快の中で死に至り、パワハラの場合は不快の中で、自死か退職を余儀なくされる。

 そうした個々の人間が、イワシのように集団化して社会を作り、国を作っているのが世の中だ。だから、世界は民族単位、国単位、文明単位で纏まり、それぞれにトップ(指導者)を擁している。個々のイワシの生体恒常性を維持するため、イワシたちは先頭グループに従って群れをなし、マグロの攻撃を逃れて集団的生体恒常性を維持しようとする。同じように、個々の人間の生体恒常性を維持するため、人間たちは指導グループに従って、国際競争に勝利して集団的生体恒常性を維持しようとする。それが、ディールなり貿易戦争なり侵略戦争というわけである。集団的生体恒常性が維持できた場合、その国では多くの人々が何とか生き残れるだろう。それもイワシと同じだ。

(三)

 集団的イワシの中には、個体によって太ったイワシも痩せたイワシもいるだろう。しかしそれは個々のイワシの個性であって、プランクトンの捕食能力の優劣によっている。しかし先導イワシは、個々のイワシなどを気にかけるはずもない。小さな脳味噌では、何とか自分が生き残ることしか眼中にないはずだ。人間の指導者だって、大した脳味噌は持っていないから、本音は同じだろう。ひょっとしたら、名君として歴史に名を残したり、ノーベル平和賞を獲ることを夢想することで、幸せホルモンをいっぱい出して、個人の生体恒常性を維持しているだけかもしれない。しかし、個人の生体恒常性はどうでもよく、結果として世界が平和になれば良しとしよう。それは、世界の生体恒常性といえるかもしれない。

 集団的人間もイワシと同じで、個体によって金持ちもいれば、貧乏人もいる。指導者の視点で見ると、金持ちも自分を支持する国民で貧乏人も自分を支持する国民となれば、両方を同時満足させる政策が必要となり、難しい国内の歪はそのままに、しごく単純・簡単な自国ファーストの破壊的政策を打ち出すことになる。国民から非難されるよりか、外国から非難されるほうが、政権は維持できる。そのツールとして、プーチンの場合は侵略戦争で、トランプの場合は貿易戦争(関税)ということになる。

 侵略戦争も貿易戦争も、強国的脅しも、国民に恩恵をもたらし、外国民に不利益をもたらす帝国主義的手段だ。たとえ一時的に国が富んでも、ブーメラン効果でどんな不幸を招くか想像も付かない。プーチンは現在、独自の考えで、国民に幸せホルモンをもたらすべく、自国の兵隊たちに、もう少しの我慢だと、ノルアドレナリンを盛んに放出させて戦闘モードを維持させ、トランプとの二国会談で成果を収めようと企む。そして国民も、幸せホルモンを導き出すためのツールとして、戦闘ホルモンを放出するのは、危機に陥った生物としては当たり前の本能だと認識している。

 しかし人間は、ほかの生物とは違って、地球的ホメオスタシスの存在を想起することが可能だ。核戦争や地球温暖化が現実の脅威となってしまった現在、それは理念としてではなく、喫緊の課題として人類が解決すべきものになっている。地球的ホメオスタシスは世界共和によって生み出される。その世界は、恐らく幸福ホルモンで満たされるだろう。しかし悲しいことに、昨今の危機的状況で、人々はノルアドレナリンを盛んに放出し、どこもかしこも戦闘ホルモンで満たされており、世界は見てのとおりのパニック状態だ。



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