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公務員の災害発生時のこと #3

地震も心配ですが、台風も心配な季節です。
今日は豪雨災害の震災に行った話を書きます。

行きたかった災害派遣

東日本大震災のタイミングで1年目だった私は、いつか災害派遣に行きたい!と思っていました。
チャンスは私が8年目にやってきました。
震災ではなく水害ですが、1週間派遣に行けることになりました。
派遣に行けるのが決まるのも直前、被害の状況は今一つわからず…水害だったので、宿泊地のライフラインは問題ないということを信じ、出発しました。

水害の特徴

震災は広範囲に被害が及びますが、台風や豪雨の水害では、水に浸かった家とそうでない家というので、明確に被害の差が出ます。
高低差がある地域だと、道を挟んでお隣の家は大被害、自分の家は問題ない…といったことが頻繁に起きます。
避難所にいた人達の中でも、堤防決壊箇所近くの家は津波のように流されてしまっていたり、床上浸水で家には住めないが大体のものは無事…という人たちが隣り合わせで寝食を共にすることになります。
着の身着のまま、家が流されてしまった人は片付けに行く家もないので昼間もどうしていいのかわからない時間を過ごしていました。
一方、床上浸水の人は日中家の片づけに行きながら、家から持ち出せるものを持って帰って無事なことを喜びます。
当然精神的な落ち込みもそれぞれに違い、地震の時のような「みんなでがんばろう!」という雰囲気ではないことに少し戸惑いました。
被害の状況によって、手元にあるお金もそれぞれ違うので、車が無事だった人は離れた町のコンビニお酒を買ってきて飲む人もいたり、ちょっとしたトラブルは絶えませんでした。

信頼してくれる

この時に、仕事を続ける限り忘れてはいけないと思った出来事がありました。
県からの派遣で行ったので、私が着ていたビブスには大きく県名が入っていました。
そんなことは特に気にせず、保健師ですと名乗り、健康状態の確認をしていると「そんな遠いところから来てくれたの?ありがとね、ありがとね」と言われ、初めて会う私にそんなことまで話してくれるの?というくらい多くのことを相談をしてくれました。
私自身がどんな人間か、ではなくて「○○県から来た保健師」という肩書を信頼してくれるんだということを強く感じました。
私はこの時、「保健師」を名乗って働くなら「保健師」という免許・資格に恥じることのない仕事をしようと心に決めました。

派遣後の話

災害派遣の後は、所属に戻り何度かの報告会を行いました。
職員向けの内容や、市民向けの報告会もありました。
もともと水害が起きる可能性が高い地域で、毎年台風の季節は避難所を開設していたこともあり、長く住んでいる人たちは防災意識が高い人が多いと感じました。
報告会で一番質問が多かったことは、食事に関することでした。
水害であれば、被害がなかったコンビニの工場が生産ラインを非常時の対応に変えておにぎりとパンをたくさん作ってくれ、それが避難所にも大量に送られてきました。
しかしながら…みなさん数日食べれば飽きてしまうようで、毎日ゴミ袋いっぱいに鮭・梅のおにぎりとメロンパンを廃棄していたのは複雑な思いでした。
食事には自然と興味が湧くんですが、食べたら出る…の、排せつにも同じように興味・関心を持ってほしいと繰り返し話しました。
人間、食事は我慢できなくもないですが、1日排せつしないということは無理です。
食事と同様か、それ以上に排せつに関する備えをしてもらいたいです。


地震はどこで起こるかわかりませんし、台風以外にも線状降水帯など予測不可能な水害も起きています。
建物は無事でもライフラインが止まってしまうということに備え、少しずつ準備をしていきたいですね。
今日もお読みいただきありがとうございました。

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