見出し画像

過去を無意味にしない為の記憶旅3|いじめ、理不尽、孤立

前回の記事

の続きです。

さぁ、ここからがこのシリーズの本領発揮。

失われた5年間は着実に近づいていっています。


クソな同級生と大人たち 生き地獄な小4

嫌いな習い事

学校では「高学年だから〜」みたいな教員が楽をするための謎ルールが施行され、面倒ごとが増えました。

で、確かこの頃から進学塾へ通うようになって。水泳もやらされたんだっけ? それはもっと前から? 忘れました。

で、塾は楽しかった記憶が皆無。なんで好きでもない勉強をしなくちゃならないのかわからなかったし、

(※大学、「偏差値≒学歴」に関して現在思っていることはこの記事に書いています

蛍光灯の光は目にチカチカするし、教室は無駄に人が多い割に誰も話す人がいないし。授業はつまらなく、そんなところへ夜にわざわざバス乗って行きたくない。

水泳も運動が苦手なのにやらなくちゃならなくて嫌でした。あとそう、更衣室って水垢とかでベタベタしてて汚いんですよね。しかも小学生って大体うるさいし。

僕は感覚過敏なのですが、これは最近概念として自覚したものです。その性質自体は生まれた時からあったはずなので、やっぱりずっとそういう汚くてごちゃっているところが嫌いというのはそういうことだったのだなぁと。
そうだ、これは幼稚園の頃だったか、靴下が左右でズレていると非常に気になったり、海水がベタベタしているのを気にしていた、と後から親から言われてやっぱそうだったのだな、と。

いなくなった友達

で、学校は相変わらずクソつまらんです。休み時間には大体部屋から外をぼけ〜っと眺めていたような。大体同級生と話が合わない。そしていじめてくるゴミが2名。必ず突っかかってくるし、邪魔してくるし、危害を加えてくる。悪口を言われるし、物を取られる。

担任が変わって居心地の悪さは悪化しました。1年ほど劣悪ではないものの、すごく微妙な人。

あとそうだ、ちょうど4年になったあたり(3年の終わりらへん?)でよく話していた友達が二人転校してしまって、虚無でした。そうだ、これすごく悲しかった。

そのうちの一人は学校に馴染めない同士で結構話していて、彼は意思が強かったのか、体育だかの授業へ行かずにずっと教室で本を読んでいました。周りは体育着へ着替えている中でずっと机に座っていて、部屋を出るために後ろで整列して、そのままぞろぞろ出て行って教員が最後に電気を消して(!一人教室にいるのに)、そして授業を終えて全員が帰って来た後も暗い部屋で本を読んでいました。

ね、僕は自分が本当に情けない。一緒に残って本を読めばよかった。マジで。そしたら何かがまた変わっていたのかもしれない。

あとそうだ、嫌いな割に行っていた塾(”いい子”だったので。後述)のおかげで学校の勉強は余裕だったため、同じく別の進学塾へ通っていて結構話していた友達がいました。
その彼はちょうどポツポツと学校に来なくなっていたような。「学校へ行く意味がない」といって。本当にそう思う。特に僕より勉強ができていたので授業はマジで意味がないし、話が合うクラスメイトもいないはず。
風の便りで聞きましたが、彼は東大文科系へ進学し去年B4を終えたみたい。

正義感のない堕落した大人たち

ある時、理科の授業で男子にこそっと陰湿にいじめられて、しばらく耐えていたんですけど結局涙が出てきてしまって。

で、理科室には理科だけを担当している教員がいて、朧げな記憶ですが30代男性かな。
ようやく事態に気がついたものの、全然注意しないんですよね。「まぁまぁ」、みたいな。大人のくせに何故か焦っていて。いかにも理系な陰キャメガネ(そういう人全員を批判しているわけではないです)。

おいお前、あの時なんで強く言わなかったんだよ。

ね、ここで僕も今であれば口論には勝つし、キレたり逃げたりしてやり過ごすことができますが、当時はかなり心が弱かったし体もヒョロかったので、自衛できなかった。クソ!

何がどうであれいじめは性根腐ったクズがやることで100%許されることではないですが、しかしそれに反撃することは非常に大切であると思います。
結局いじめの原理として、自分より弱いものを叩くという限りなく動物に近い低能なバカがやることなので、反撃しないといつまで経っても終わりません。何も変わらない。

で、直接反撃することはできなくても、”まともな”大人に助けを求めましょう。訴えても無視するクズな大人は残念なことに存在しているので、しっかり見極めなくてはなりません。

そう、ゴミな学校も嫌いな塾も水泳も、ちょっと嫌だったピアノも、半ば強制であったとはいえ、僕が「嫌だ! やりたくない! やめる!!」と強く主張し続ければよかったんですよね。

その頃の僕はいわゆる「いい人 いい子」といいますか、周囲の顔色を伺ってばかりで、いや 周囲の顔色=自分 だったので、全てに振り回されていました。
「こんなこと言ったらあの人はこう思うかな……」とか「こんなことを言ってほしいのかな……」とか。

今は完全にそれを払拭できているため好きに生きて「嫌われたらそれでいいや」としか思わないのですが、僕がこれまで関わって来た経験上、心を病んでしまう人って大体この「”いい”人」なんですよね。そこには全く自分がない。
なんかそういう傾向というか統計というか、そういうのがあるのでしょうかね。

理不尽の見本市

幼稚園時代は自由にやっていたのに、そしてそれが許されていたのに、いきなり週5日も強制的に固定されるようになって、ちょっとでも”変わった”ことを言うと邪険に扱われて。
それが嫌だったから、面倒だったから、自分というものを殺してなくしてしまえばことはスムーズに運ぶことをいつのまにか学習したのかもしれないですね。

思うに、4年生が始まった頃から「離人症」

という症状が頻発、いや常態化していた気がします。

で。

移動教室っていうんでしたっけ。2泊3日、学校全体で泊まりに行くやつ。

これね、マジでクソな記憶として残っているんですけど、部屋でルームメイト(3人くらい?)と紙飛行機を飛ばしていたんですよね。
紙は、受付だかカウンターだかにペンと一緒に「ご自由にお取りください」と書いてあって。

で、それを廊下を歩いていた教員に見られ、「今すぐかたづけろ!!」といきなりキレられました。本当に意味がわからない。
紙は4枚くらいしか取って来ていないし、山積みしてあったし、部屋の中で誰にも迷惑かけていないし。昼間だし。
ドア閉めときゃよかったよクソが。

施設スタッフの人にやめてくださいと言われるならギリギリわからないでもない(だって”ご自由に”って書いてあるし)けど、なぜそれを全く無関係の教員に言われなければならないのだろうか。しかもいきなり怒鳴りつけるとは一体。

こいつ本当に無責任でどこまでも独善的で人とコミュニケーションを取る適切な方法を知らないで、よくもまぁ大層ご立派なお仕事(笑)に就きましたもんでって。
……これは今考えた言い回しですが、当時は何も言葉が出ず、ただひたすらにショックでその後ずっと落ち込んでいました。

あとあれだ、その日だったか次の日だったか、肝試し的なイベントが夜行われることになり、全員強制参加だったんですよね。でも、あまりにも嫌だったので、無視して部屋で電気を消して布団にくるまっていました。ついに意思を見せた。

あとはそうだ、帰って来てからなのかその前なのか時系列は忘れましたが、校庭にて数人で雑草をむしっていたのですが、それをそこに来た掃除の人が片してくれたんですね。

そしたらしばらくしてから教員に怒鳴りつけられて。「なんで自分で片付けないんだ!」って。 いやいや、は? なんで何の前後関係も知らないのにそんなこというの?

連鎖、因果、崩壊

ある時いつも通り塾へ行ったら、大勢が見ている中でいきなり吐いてしまいました。その時、「あぁこれでようやく解放される……」といったことを思ったような。

それから家でなぜか躓いたら右足か左足かの小指を骨折して、多分それでプールをやめて、安心したような。

で、学校も一週間くらい休んで。ようやく行かなくていいんだ、と思った。

あ、ピアノもやめました。

しかし無情にも時は経ってしまい、「治ったから行け」みたいなことになるわけですが、本当に行きたくなかった。めちゃくちゃお腹痛いし、頭痛いし(ストレス性反応)。

で、数日間は仮病ということで休むわけですが、当然数日家にいたからといって何かが変わったり解決したりすることがあるわけもなく。

家の扉の出っ張りにしがみつくも引き剥がされ、一切の現実感がないまま個性強制収容所へ辿り着いてしまい、着いたら着いたで大体保健室へ行っていたような。で、休み時間になったらほぼ必ず校門の前へ行き、牢獄の中から外の世界を眺めていました。
ボールを持って門の外へ投げてやろうか、と思ったことも。

でも、結局やらなかったっていう。ね、なんでやらないんだろう。やればいいのに。そんなんだから他人にやり込められてばかりだったのでは、昔の俺よ。

で、僕は離人症のまま無で学校へ行っていたわけですが、あるとき「マイコプラズマ気管支炎」というのになったんですよ。呼吸器系がやられるやつ。で、これまぁまぁつらかったんですけど、結構休めることになってよかったです。

ですがそれも治ってしまい。でも、もう流石に無理だった。これ以上耐えられない。

そしたら、そこから色々と病院に連れて行かれました。勘弁してくれ、マジで。
当時親はどうしても「何かしらの原因があるはず、病名があるはず」と思った(そこに縋りたかった)らしく、偏頭痛がどうとか脳がどうとか心部体温がどうとか身体が曲がっているとかどうとか。自律神経失調症がどうとかもあったな。

脳のMRIだかCTスキャン、大学病院、整体、なんか色々それぞれ2つ以上は連れて行かされました。いい加減にしろ(今は全て和解しています)!!
ちなみに全て何も問題ありませんでした。

(※そういえば僕はASDらしいんですけど、なぜ当時それに気が付かなかった??)

で、色々あってフリースクールというものを知ったり(結局ここでもいじめられてやめるのだが)、学校に変わる教育機関みたいなのを見に行ったり。

でも、もう僕は持たなかった。動けない。

何もできない。

……

そんなこんなで正式に(?)しばらく学校へ行かないことにしたのですが、ここからロスタイムへと突入します。

そういえばそうだ、それからというものの、なんかエネルギーが出るとかいう苦いやつを飲まされたり、謎にお守りを作ってそれを持ってたりしました。

最後に

今回は4年生に一記事割くことにしました。まぁ決まりも何もないので自由なのですが。

本当に日本の教育システムはゴミクソで終わっていると考えています。
いつまでこんな画一的なことやってるつもりなんでしょうね。
そんなんだから何もイノベーションが起きずに経済は落ち、他人の顔色を窺ってばかりで自分がない人間が量産されていると思うのです。

あとこれは自我が出てきたあたりからですが、自分で「この人はすごい……!」と思ってもいない人のことを強制的に先生と呼なばなくてはならない意味もわかりません。お前全然大したことないだろ。そうだよ、そこのお前だよ。
(大体のこの記事を読まれている方は違います、すみません)

僕は昔というかまさに小学生くらいのころ、学校の教職員ってなんでも知っている(そんな人存在しないけど)ものだと思ってたんですよね。でも、当然ながら全くそんなことはないことを後から知りました。
もちろん人によりますけど、なんでも知っているわけがないし、新人教員なら人生経験も浅い。そんな人が、30~40人ものたくさんの個性が入り乱れる空間をたった一人で制御できるわけがなくね? と今になって思います。

ほんと、学校なんて無理して行くもんじゃないですよ。まぁ学校に限らず全ての物事は無理をするものではないけど。向いていないことをやってはいけない。それは他者に危害を加えることにも繋がってしまうから。

そう、なんか数ヶ月前に外を歩いていたら、母親と小学校3〜4年くらいのその子どもが電柱で揉めているのを見ました。
男の子は「いやだー!!」って柱にしがみついていて、親はそこから引き剥がそうとしていて。
横断歩道も近くにあり旗振りのおじさんもいたのですが、少年に向かって「頑張れ!」と言っていて、大変申し訳ありませんがぶん殴ってやろうかと思ってしまいました。(いや、もしかして親に勝って家へ帰るんだ! ということだった?)

まぁ、母親とおじさんは

  • 外でこんな騒ぎを起こしているということ、人の目を気にしている

  • 子どもを無理やり学校へ連れて行こうとしている

のどちらかか両方でしょうね。どちらも子どもの気持ちは何も考えずに。

完全に見ず知らずの人ですが、その時本当に胸が苦しくなったので、声かけようかと思いました。
「お願いですからお子さんを学校へ連れて行かないでください」って。
まぁ結局僕は意気地無しだったので素知らぬ顔でスルーしてしまったのですが。
ごめん、あの時の少年よ。

……

僕の過去、封印していたのですが、開けてしまって思ったより堪えました。結構きつい。なのでこの記事を見返すことはもうないです。誤字脱字があったらすみません。あと、結構言葉使いが悪かったこともお詫びします。

でも思い出して後悔はしていません。自分の気持ちを整理してケリをつけることに大きく貢献してくれたし(当初このシリーズを始めた通り意味があった)、きっとどこかの誰かの役に立てると信じているので。

色々あったけれども今はこうして自分の人生を生きている人間がここにいるぜ、と。

前回に引きつづき今回もアイキャッチは記事に関係ありません。

そういえば半年くらい前、音楽を聴きながら一人でドライブがてら小学校の前を走ってみたのですが、あぁ、大人とは何て自由なんだろうと感じました。

それではまた次回、ロスタイム導入編で。

いいなと思ったら応援しよう!

philosofy
(´・ω・)つ旦