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ほんとうは道長びいきだった清少納言
こんにちは! 読書と手芸の好きな owarimao です。
最近は「マクラメ」(糸を結んでゆく手芸)のオーナメントをせっせと作る一方、大河ドラマ『光る君へ』も毎週録画しています(忙しくてまだ44回までしか見ていない……もうじき最終回なのに)。
一般に、歴史上の人物について現代人が抱くイメージは、講談などのフィクションによって作られていることが多いようです。
だから今年の大河ドラマも、この時代に対する後世のイメージに、大きな影響を与えるかもしれません。そう思って毎回、注意して見ています。華やかな装束や儀式の様子を具体的に見られるのは嬉しいことです。
『光る君へ』はとても面白いですが、あくまでフィクションなので、史実とは異なる部分もあります。また「史実ではない」とまでは言い切れなくても、「この設定はちょっと厳しいかな」という点もあります。
でも『光る君へ』についてネットに投稿されている感想を読んでみると、ドラマをすべて本当のことのように思っている人が時々いるみたい。
それはそれで悪くないと思いますが、やはり歴史とフィクションは区別して考えたほうが、むしろ面白みが増すのではないでしょうか。
『紫式部日記』の中に、清少納言に対する否定的な評価が書かれていることは有名です。控えめな性格の紫式部が珍しく強い言葉で批判しているので、二人のあいだにもともと実質的な交際があったのだとわかります。
ただしドラマの中での清少納言の振舞いは、やはりドラマ的に誇張されていると思います。現実はそれほど単純ではない。『枕草子』を読むと、彼女が実は藤原道長を高く評価していたことがわかります。
『枕草子』第132段(関白殿の、黒戸より……)には、道長と、その甥で政敵の伊周(これちか)の両方が登場します。
道長の長兄であり、伊周・定子の父である、藤原道隆が権力の頂点にあったころ。道隆が清涼殿(皇居)を訪問したことがありました。
訪問がすんで退出する場面で、道隆に靴を履かせたのは、美しく装った嫡男の伊周でした。
清少納言はそれを見て、
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