悪習慣から抜け出してダイエットも読書も筋トレも続ける為には、これだけやればいい。(というありきたりなタイトルしか思い浮かばないのは、いまが会議中で聞いているフリをしながらnoteを書いているせいなのか?SAY)
冒頭で伝えたい。(なんだ!いきなり)
「成功していない者に発言権など、ない」ということを
(誰でも発言できるnote批判なのか?おい!会議中のくせに)
note批判ではない。会議中なだけだ。
どんなにいいことや、ためになることを言っても。発信者が何者でもなければ、「お前誰だよ、どこ中だよ、ざけんなよ。あ?」である。
重要なのは「何を言うかではなく、誰が言うか」である。(テストに出る)
だから、本を読む。
何者でなくても、受け入れられる本(筆者)の力を借りる。
「本で読んだんだけどさぁ~」は多少聞けても、
「個人的な見解なんだけどさぁ~」は許されない。どこ中かも知らん、馬の骨だか鹿の骨だか、よくわからん貴様に「お父さん」と呼ばれる筋合いはない。と(たぶん)同じだ。
個人的な見解なんだけどさぁ~(いや、筆者の力借りろや)
人間は思い通りには動けない。頭では分かっていても、行動できないことは、たくさんある。健康に悪いと知っていても、夜中のカップラーメンはやめられないし、マクドナルドのポテトの揚がる音「ピロリ、ピロリ」が聴こえると、自分はあげたてが食べれるんだと勘違いする。(マックのポテトは、揚げて7分間売れないと即刻廃棄するらしい。なら、あの日俺が食ったシナシナポテトはなんだってんだ!?とも思ったが買ってから食べるまでにかかった時間なんて覚えていないもので、裁判したらきっと負けると思う。)
要するに、やるべきことが分かっていても。やるのがラクなことをしてしまう。という事だ。だから個人的な見解も言いたくなるのだ。
私の好きな言葉(またお前の話かよ)
「水は高いところから低いところに流れる」という言葉がすきだ。
あたりまえ過ぎるし、「え、なにG(重力)の話?」とお思いだろうが、違う。
「人は元来、易きに流される生き物」ということだ。だから、夜中のカップラーメンも「明日からダイエットしよう。」も「え!もうこんな時間!?休みなのに結局一日何もしてないやん。まあ、休みなんてこんなものか。」も、原因は
「あなたが怠惰だから」なのではない。人間はもともと簡単な方に流されてしまう仕様であって、水が高いところから低いところへ流れる。そんな自然なもの、なのである。
水=時間/高い=やるべき/低い=らくな/を代入する。
「時間」は「やるべき」ところではなく「らくな」ところへと流れていく。のだ。
もし「流しそうめん」やったらどないする?
『流しそうめん』とは竹樋にそうめんを流し食する、そうめんの食べ方である。鹿児島など一部の地域では「そうめん流し」と呼ばれるが、この呼び方はとくに「回転式そうめん流し」のことを指す場合が多い。
「水が高いところから低いところに流れる」のは、仕様であり。しようがないことであって、どうしようもない。(笑いたければ笑えばいいと思うよ)
「ほんだら、低いところへ流されないためにはどないする?」
「そうや、仕様を変えたらええんや」(なんで関西弁やねん。)
たとえば。流しそうめんなら、一番低い位置にある竹の高さを上にあげて竹を水平にすれば水は留まる。さらに上にあげると、水は自分の流したいと思った方向へコントロールすることができる。
本で読んだことなんだけど
具体的な解決策は2通りある。
①「夢を叶えるゾウ」を読むか、「西野亮廣エンタメ研究所」に入る。
②この記事に「すき」を押して、筆者のnoteをフォローする。
(①はお金がかかるが②は無料なので②を強くお勧めする。)
「時間の流れを設計する」
もし、あなたの時間が低いところへ。流れてしまっているのであれば、何に時間を奪われているか考えてみて欲しい。
つい、テレビを見てしまう。つい、スマホを見てしまう。つい、おかしを食べてしまう。などの悪習慣と思えることがあったら。
テレビ→テレビのコンセント抜く・リモコンをすぐに取れない所に隠す。
スマホ→引き出しにしまう・アプリを使って強制ロックする。
おかし→見ない・買わない・隠す・忘れる・食べる前に歯みがきルール
などのように、意図せず行ってしまう悪習慣にハードルを課すのだ!
そして、反対に実行したい習慣は、「簡単に始められる環境」をつくるのだ。勉強を毎日したいなら、ノートと筆記用具を開いて机に置いておく生活をすればいいし。帰宅して毎日筋トレをしたいなら、朝ベットにダンベルを置けばいい。そうすれば最低でもベットに乗せる時とおろす時の2回は筋トレを始めるきっかけを設けられる。そうやってハードルを下げていくのだ。
要するに、こんな少しの工夫をするだけであなたの人生はかわるし②この記事に「すき」を押して、筆者のnoteをフォローする。だけで。あなたも、わたしも幸せな未来が待っているのである。