「共生」は「格差」に鈍感な件(4)
▼前号では、「移民」の問題でよく引き合いに出される「ゴミ出し」のルール破りについて、〈これは言語や文化の違いではなく、就労が不安定なことにより発生する問題である〉ことを確かめた。
その続き。
▼〈多文化共生は、総務省が2006年に『多文化共生の推進に関する研究会報告書』を刊行して以来、国策として推進されるようになった。今では、総務省の指導により多くの自治体が多文化共生推進のための計画を策定している。〉
しかし、〈在日コリアンを中心とするオールドカマーの歴史的経緯についてふれるのは、川崎市や大阪市など少数にとどまる。これは、総本山たる総務省の姿勢と合致している。すなわち、総務省が設置した多文化共生の推進に関する研究会のメンバーに在日コリアンは入っていない。〉
▼ここから樋口氏は、歴史的な事実を踏まえて、「移民」の現実と「移民」をめぐる政策との間に、大きなズレが生まれていることを論じている。
歴史を踏まえなければ、見えてこないものがある。要するに、「共生」という言葉がどのように使われているのかが、わからない。
〈自治体の外国人政策は、1970年代に在日コリアンの要望を受けて始まったものである。つまり、多文化共生の源流は在日コリアンによる差別撤廃運動なのだが、政策理念としての多文化共生は、過去の経緯を無視する基盤の上に成立している。
その結果、何が見失われるのか。今世紀に入ってから、在日コリアンは排外主義の嵐に直面してきた。90年代末には与党合意で法制化の準備が進んでいた外国人参政権は、実現がきわめて難しくなった。北朝鮮との関係を理由として、国や自治体がこぞって朝鮮学校を弾圧している。揚げ句の果ては、在日コリアンの排斥を掲げるヘイトスピーチである。
多文化共生の旗振り役たちは、在日コリアンに対するバックラッシュ(反動)に沈黙を保ったばかりでなく、そうした現実がなかったかのごとく振る舞ってきた。意地悪くいえば、ヘイトスピーチのような「面倒なこと」を避けるがゆえに、多文化共生は政府のお墨付きを得られたのだともいいうる。(中略)
新入管法の骨子が公表された直後の2018年10月14日、在日特権を許さない市民の会(在特会)の後継団体たる日本第一党は、全国6都市で移民反対デモ(+約20都市で街頭演説)を組織した。これまで、在特会などの排外主義運動は、在日コリアンを主たる標的としてきたが、反移民による勢力拡大を図ったことになる。
移民受け入れが進めば、多文化共生も排外主義の標的になるわけだが、移民反対デモを包囲して抗議したのは、多文化共生の旗を振ってきた人たちではなかった。
在日コリアンに対するヘイトスピーチに抗議してきた人たちが、抗議の矢面に立ったのである。(中略)
多文化共生も、これまでのように都合の悪いことを避けるのではなく、排外主義に対峙する理念へとバージョンアップする必要がある。このとき、在日コリアンの歴史的経緯を踏まえたうえで、反差別を内に含む多文化共生へと転換できれば、排外主義と対峙しうるだけの強靭さを持ちうるだろう。〉
▼「多文化共生」という言葉が今持っている雰囲気を、変えるような議論が必要だ。
樋口氏の論考は、「排外主義と戦う多文化共生」でなければ、愛する日本社会を守ることができないことを教えてくれる。それでは何のための、誰のための共生なのか、ピントがボケて意味がなくなってしまう。
今が、そういう状況なわけだ。
▼また、樋口氏の分析は、〈新入管法の施行前日に社説で取り上げたのは朝日と毎日だが、朝日は「拙速のツケを回すな」と技術的なことにしかふれていない。その点では、「日本社会が変わる転換点」とした毎日のほうが事態をよく理解している。
しかし、転換期にあるという自覚のもとで、これまでの政策や移民の状況を検証するような報道はついぞみかけなかった。〉と鋭いメディア批評にもなっている。
樋口氏はこの論考で〈人材育成と多文化共生の練り直しの必要性を論じてきたが、これは1990年入管法体制の問題点を検討する中で浮かんだ論点である。〉という。この経緯は、学問の力を感じさせる。
〈日本の現実を踏まえて積極的な構想を示すような調査報道〉を求めてこの論考は終わっているが、樋口氏の指摘を踏まえてみると、移民政策をめぐるマスメディアの報道の読み方に、一つの参考基準を設けることができる。
▼紹介するのを忘れていたが、樋口氏には『日本型排外主義』という名著がある。自分自身が確かめたことしか書かない姿勢に貫かれた、硬い本だが、確かなことしか書かれていない。無駄がない。オススメである。
(2019年6月21日)