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OUEN Ishikawa

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"ふるさとは遠きにありて思ふもの" 日々、ふるさと石川(能登・加賀・金沢)を想い、徒然に思うところをblogに認めています。
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記事一覧

お不動さまのご加護をいただいて、中能登町~能登半島の地方創生に尽くす

中能登町で定宿にしている鵜家家(鵜家分家)は鵜家総本家(鵜様道中の宿)に隣接している。そ…

不動院重陽博愛居士

2月20日(木)。中能登逗留4日目。公民を問わず中能登町の人たちがお見えになる。鵜家宅は、中能…

自ら燃える集団をつくる

中能登町逗留3日目。8時に鵜家宅を出て、8時28分良川発の七尾線で金沢に向かう。徒歩10分強で…

中能登の人情に触れる

2月18日。2月の中能登町逗留2日目だ。鵜家宅は、実に快適だ。外は銀世界で気温は零下だが、炬…

温かい友だちの輪を拡げよう

2月17日、東京発7:20の北陸新幹線かがやき503号に乗る。金沢着9:45。乗車時間は2時間25分。金…

中能登町で”燃える集団”を創る

昨年3月から中能登町に帰っている。まもなく1年になる。 中能登町の皆さんから、①地震のこと…

世のため人のために、キモノールを拡げていく

昨日は一日中、信念会で着用した義父の大島紬をリメイクした”キモノール”を着用して一日を過ごした。朝に自宅で着て、徒歩2分の事務所まで、青山通りを歩いた。午後は、事務所から表参道の銀行との往復と外苑の銀杏並木の散策等、事務所の周囲をブラブラして、ウォーキング不足を少々ながらカヴァーした。 着物は日本文化だ。自然と気持ちが引き締まる。”馬子にも衣裳”という諺がある。また、水前寺清子は、”いっぽんどっこの唄”で”襤褸(ぼろ)は来てても心の錦”と歌っている。 いずれも真実だが、今回の

リメイクした義父の大島紬を着用して、能登の仕事をする

昨日(1.26(日))は上野で”関東なかのと会”があった。全く同時刻に麴町で石川県人会があった…

自分のために、能登を応援する

17日夕方に能登から帰って、あと1週間後の[OUEN Japan 信念会]の詰めの作業があり、18日はバ…

能登はやさしや土までも

1月16日。午前は何もアポがなかった。黄さんは、「団長、それじゃ、七尾の中島ストアーに行っ…

中能登町の課題を考える

現代日本は、少子高齢化社会、人口減少社会、過疎化社会である。明るい展望がある社会であると…

人縁・地縁を大切にする

1月14日(火)。17日(金)まで3泊4日の石川県出張だ。 2時半に目覚め、事務所に出向く。ルーティ…

能力(人生)を未来進行形で捉える

今日から3泊4日の能登出張だ。天気予報では、中能登のこの4日間は、生憎天候は雨と雪、気温は…

中能登町を全国区の里山にする

能登半島は、大きく3つの地域に分けることができる。奥能登と中能登と口能登だ。奥能登地域は、輪島市・珠洲市・能登町・穴水町の4市町、能登半島の北部。中能登地域は、七尾市・中能登町・志賀町の3市町、能登半島の真ん中。口能登は、羽咋市・宝達志水町の2市町、能登半島の南部で加賀地方と隣接している。この9市町が能登地方だ。 ※能登半島地震は、特に奥能登地域(輪島市、珠洲市、能登町、穴水町)や奥能登に隣接した中能登地域(七尾市と志賀町)に甚大な被害が遭った。 しかし、もっと広域に、半島