見出し画像

自分のために、能登を応援する

17日夕方に能登から帰って、あと1週間後の[OUEN Japan 信念会]の詰めの作業があり、18日はバタバタの1日だった。日課の[OUEN blog]も書くことができなかった。
する仕事があることは呆ける暇もない。健康にだけ留意すれば幸せな人生を送ることができる。

東大のある同期が言っていた。
「歳を取ると”きょうよう””きょういく”が必須なんだと。きょうようは教養のことではなく、『今日、用がある』、きょういくとは教育のことではなく、『今日、行くところがある』ということだ。
定年になって、ゴルフ三昧、旅行三昧、人生を楽しもうと思っていたが、もうそろそろ飽きてきた。ボランティアと言ってもいい加減な気持ちでは長続きしない。おかげさまで、年金はそれなりにいただいているが、人生お金ではないな。しなければならないことがあることや、行くところがあることが幸せなことだと痛感しているよ。
そう考えると小林は、古稀で生まれ変わって第2の人生を送っている。能登の復興、地方創生の応援という、しなければならないミッション”を持って、能登に毎月行っている。
何で中途で安田信託を辞めて企業年金をもらう権利も棒に振ってしまったのか。死ぬまで仕事をするなんて、それは貧しい人生じゃないかと思っていたが、今考えると逆なのかもしれない。小林は幸せな人生を送っていると思うよ。認知症にもなる暇もないしな」

妻には、「勝手に出世の階段を下りてしまって、企業年金も棒に振って、生涯現役を続けていく。それは『自己中の極み』だ」と言われている。それは私も十分自覚している。だから、第二生は人さまの忠告に耳を傾けて想いを果たしたいと思う。

半世紀ぶりに、月の半分近くを能登で過ごして、能登の復興、地方創生の応援をし続けようと思う。
中能登町の人たちとお会いし、ざっくばらんな会話で忌憚のないご意見を拝聴する。そして、”能登はやさしや土までも”は真実だと実感した。能登の人はやさしく温かい。口下手のところもあるが、嘘はないと思う。皆さん素直だ。
幼少時の15年を能登で生まれ育ったが、私は能登のことをほとんど知らない。これからでも遅くはない。もっと知りたいと思う。知って、祖父母と過ごした日々を思い出したい。それが”幼子の心で第2の人生を送る”ことだ。

ふるさと

兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

如何にいます父母 恙なしや友がき
雨に風につけても 思いいずる故郷

こころざしをはたして いつの日にか帰らん
山はあおき故郷 水は清き故郷

ふるさと能登のために尽くそうと思う。能登の人のために尽くそうと思う。それは自分のためでもある。いや、自分のために、能登や能登の人のために尽くすのだ。

自分のためは人のため、人のためは自分のため
利他 人は人のために生きる

稲盛和夫さんは『利他』『心を高める 経営を伸ばす』と仰る。人のため、世のために尽くすこと、利他行を積むことが心を高め、経営を伸ばすことにつながる。幸せな人生を送ることができると仰る。そして、稲盛さんはそれを実践され、京セラやKDDIを創業され、日本航空を復活なされた。

[利他 人は人のために生きる]
私もそうだと思う。それで、銀行を辞めたことをきっかけに盛和塾に入れていただいた。稲盛さんは現実の経営をされていて、そのことを身を以て感得された。だから、稲盛さんのお話しは私たちの心に深く入ってくる。
それに反し、私の場合、"利他"は机上の勉強だけだ。頭では分かっているが、それを体得していないのだ。現実に行動できていないため、成果が出ていない。だから、何を言っても説得力がない。口だけになってしまっている。心が入っていないのだ。

稲盛和夫さんは

「狂であれ」

とお話しになる。

かねてから事をなすにあたっては、
「狂であれ」と言っている。
バリアを越えるには、それを打ち破れるだけの
エネルギーが必要となるからだ。
エネルギーとは、
それに従事している人の情熱だ。
燃えるような熱意、
すさまじい根性と執念などが、
バリアを越えるエネルギー源であり、
チャレンジの必要条件となる。

これからの私の第二生は、「狂となって、ふるさと能登を応援する」という、応援道の集大成になる。そして、その能登での成果が日本全国へ伝播して拡がっていく。

能登の応援が私の応援人生の具現化だ。陽明学の”知行合一”を能登で実践するのだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

いいなと思ったら応援しよう!