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能力(人生)を未来進行形で捉える

今日から3泊4日の能登出張だ。天気予報では、中能登のこの4日間は、生憎天候は雨と雪、気温は最高が4℃~8℃だ。大雪でないことだけが救いだ。

私が東大を受験した昭和46年の冬(1〜3月)のことはよく覚えている。受験する大学は東京大学の1校に絞っていた。東大しか入る気はなかったから、早慶にも願書は出さなかった。唯一願書を出した先は駿台予備校だ。東大の受験が不首尾に終わったら、浪人して来年も東大を受験しようと思っていたからだ。

高校3年生の12月に金沢市寺町の下宿を引き払い、能登部(旧鹿西町)の実家に帰らないで、大好きだった良川(旧鳥屋町)の伯母さんの家に下宿させてもらった。
1月、2月は、週に1回、高校(金沢大学附属高校)に登校すれば良かった。なんでそうだったのか。1月から私立大学の受験が始まったからだろう。受験しない生徒だけが登校していた。授業はないし、何をしに登校したのだろう。気晴らしと情報交換が目的だったのだろう。

東大の1次試験は確か3月3日だったと思う。私は東京の空気に慣れようと思って、2月20日過ぎから3月の受験が終わるまで、六本木の親戚の家に泊めてもらっていた。
「今になって受験勉強をしてもしようがない。もうドタバタしてもしようがない」と思い、親戚の子どもたちと毎日遊んでいた。それを見て近所の小母さんたちは、「そんなことで東大に受かるの?」とちょっと驚いていた。

とにかく、田舎っぺの私にとって、東京は別世界の大都会だった。その華やかさは言うまでもないが、北陸との真逆の天候に感激した。
東京は毎日快晴の日が続く。空は高く、空気はサラッと乾燥している。これが憧れていた”花の東京”かと気持ちは興奮していた。
それに反して、北陸は雪と雨ばかりの毎日が続く。兎に角、暗い。空は鉛色で低い。空気はじめじめしていて、冬でもカビが生える。気持ちも暗くなる。

風呂で、「有楽町で逢いましょう」(フランク永井)や「東京の灯よ いつまでも」(新川二郎)を歌って、親戚のお姉さんから、「お兄さん、自信満々ね。大丈夫!、大丈夫!」と笑いながら励まされた。

東大の受験科目は、1次試験は、英語・国語(現代国語と古文)・数学・理科(生物と地学を選択した)・社会(世界史と日本史)とすべて選択式だった。倍率は3倍強。確か6日に合格発表があったと思う。
2次試験はいつだったか記憶はない。私は文科系だったので、理科はなかった。英語と国語と社会(世界史と日本史)は全て記述式だった。
記述式は得意だったが、数学と英語は苦手だったので、どうなることかと思ったが、思いのほかスムーズに解くことができた。
そして、今年受からないと来年は絶対無理だろうと思った。それほど不思議なほどできた。運がいいとはこんなことだろう。「絶対合格する」と自信満々だった。

金沢に帰って、「先生、きっと私は合格するでしょう」と担任の先生に話したことをよく覚えている。よくそんなことを言ったものだ(私が東大に合格したことは、先生たちは皆さん驚いたのだろう。その証拠に、1年後輩のみんなに、「小林君が東大に合格した。みんなも東大を受験すれば受かるよ」と、私がGWに帰った時、先生に呼ばれて、1年後輩たちに発破をかけてほしいと言われて高校に出かけていった。
その結果、1学年は3クラス、150名ほどのこじんまりした高校だったが、次の年は、東大合格者は42名だった。後にも先にも、40人越えはこの時の1回だけだ。

私の高校時代は、劇団「星」を立ち上げて、予選会や文化祭で「王将・阪田三吉」や「巨人の星」を演じた。勿論、劇の主役(坂田三吉と星飛雄馬)は私だ。受験地獄とは程遠い、楽しい時代だった。
そんな、いつ勉強しているのか分からない生徒が東大に現役で合格したというのは、1年後輩のみんなにとっては、「東大組みやすし」と東大受験のバーを相当引き下げたのだろう。

私なりに、稲盛和夫さんではないが「能力を未来進行形でとらえていた」のだろう。想いだけで東大を受験したのだ。
私が高校3年生の9月、祖父が「東大に行け」と、その一言を遺して亡くなった。その時、私は京大受験を考えていたのだが、東大に切り替えたのだ。想いだけで受験して何とか合格した。
動機は将来を見据えたものではなかったが、大学受験はそれでも良しだ。結果オーライ。人生は全て思い通りに行くものではない。

東大合格は、私の数少ない成功体験だ。しかし、成功体験が一つでもあると、気合を入れてチャレンジしたら、能力を、人生を、未来進行形で捉えたら、成功しないことはないと思うようになるものだ。
まともな東大受験の志望動機ではなかったが、70代は人生の黄金期。そして、これからの第二生は私の人生最後の大勝負だ。


東大受験の成功体験を思い起こして、これからの第二生は、世のため人のために尽くす人生でありたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

[能力を未来進行形でとらえる]

新たな目標を立てるときは、あえて自分の能力以上のものを設定しなければなりません。今はとてもできそうもないと思われる高い目標を、未来の一点で達成するということを決めてしまうのです。そして、その一点にターゲットを合わせ、現在の自分の能力を、その目標に対応できるようになるまで高める方法を考えるのです。
現在の能力をもって、できる、できないを言うことは誰でもすることです。しかし、それでは新しいことや、より高い目標を達成することなどできるはずはありません。
今できないものをなんとしても成し遂げようとすることからしか高い目標を達成することはできないのです。



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