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不動院重陽博愛居士
2月20日(木)。中能登逗留4日目。公民を問わず中能登町の人たちがお見えになる。鵜家宅は、中能登町の拠点としてすべての点においてVery good だ。
昨年3月から10月まで、月に2泊3日の頻度で中能登町に帰った。10月に地方創生アドバイザーの委嘱を受けて、11月と12月は月の半分近く滞在した。1〜2月は真冬で雪国ということもあり、月1週間滞在している。
来月で今期(6.4〜7.3)も終わる。あっという間の1年だった。
OUEN Japan のミッションは、その名の通り、"日本を応援する"ことだが、
OUEN Japan は、それまでの"日本人大学生と来日留学生の応援団"、そして、"学生たちと地元企業と共に、人々が住み、働き、学ぶ地方を創生する応援団"から、もっとストレートに"地方を創生する応援団"にアウフヘーベンしようとしている。そのためのプレ期間が、この1年(6.4〜7.3)になる。
私が生まれ育った中能登町の地方創生の応援をする。中能登町を過疎地でありながら町民たち個人と自治体が生き生きして元気溌剌、日本の過疎地のモデル地域にしたいと思う。さらに、中能登町を拠点として能登半島南部の中能登地域の地方創生応援をする。さらに、奥能登地域を含めた能登半島全域の応援をする。
そして、最終目標として、日本各地の過疎地に拡げていく。
私は齢72であるから、100歳まであと28年。それくらいは現役で地方創生に関わりたい。どこまでできるだろう。後に続く人たちも育てていきたい。
私にしては遠大な夢ではある。遠大な夢であっても夢に向かって、地道に弛まぬ歩みを一歩一歩進めていく。
中能登町には先祖代々の墓がある。私を育ててくれた祖父母が眠っている。私が中能登町に貢献することを祖父母が見守ってくれている。72年間培ってきた、私自身の熱量と温かい人のネットワークをフル活用して中能登町のために尽くす。それは人のため、世のため、自分のためである。自分のためを極めることが人のため、世のためになる。
OUEN塾で、中能登町の老若男女の人たちが自分ごととして、中能登町のことを考える。自分のためを突き詰めることをする。それが町のためになる。個人個人のウェルビーイングが基礎自治体のウェルビーイングになる。それは風通しのよい町、ウェルビーイングな町ということだろう。
この1年、皆さんとの会話の中から、中能登町の課題を顕在化させてきた。その課題はそれぞれ個別なことではあるが、根っこのところでは地下茎のように強くつながっている。それは人の心だ。自分のことと人のことを峻別して生きる、自分のためだけを考える利己の心だ。
課題解決のための一丁目一番地は、その人の心を善き心に替えていくことから始まる。ハードとソフトの両面からアプローチする必要がある。そのソフトのアプローチがOUEN塾になる。
ハードは、廃校の利活用や観光開発や町の特産開発や企業誘致やその他環境整備等々。これも軽重を付けて解決していかなければならない。
一日24時間、一年365日。寝ても覚めても、掲げたミッションを果たすためを思うことが求められている。人に求めることではないが、私はそうでなくてはならない。
人は、"人の振り見て我が振り直せ"のことわざにあるように、私の振りを見て、同じ気持ちで自らの生き方を考える人が現れてくれればいい。兎に角、人の手本になるような生き方をすることだ。
私の周りにあつまってきてくださる善き心を持った人たち(重陽)に、愛を広める(博愛居士)、そんな人間になることが私の戒名だ。戒名に恥じない人生を送ることだ。
能登の復興、地方創生の応援という私しかできはしないミッションを天が与えてくださったことに深く感謝して、謙虚な心で、目の前の仕事に精進することだ。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)