見出し画像

温かい友だちの輪を拡げよう

2月17日、東京発7:20の北陸新幹線かがやき503号に乗る。金沢着9:45。乗車時間は2時間25分。金沢発9:53の七尾線普通列車に乗り換える。良川着11:14。乗車時間は1時間21分。東京から中能登までの所要時間は3時間54分だ。乗り継ぎが8分だったので4時間を切った。いずれにしても、東京から中能登まで4時間前後で着く。北陸新幹線が開通して、中能登はとても近くなった。

七尾線の車内で富山からいらっしゃる道端弘子さんと合流する。
道端さんは平安時代から続いているという"鵜様道中の宿(鵜宿)"がご実家で、現在は"鵜様道中保存会事務局長"をされている。今は富山市にお住みだ。
毎月、ご実家がある中能登町に帰られて、伝統行事の保存に後半生を賭けていらっしゃる。強い想いがなければ決してできはしないことだ。心から敬意を表する。

道端さんのご紹介をいただいて、鵜宿の隣にある鵜家分家の空き家をお借りすることができた。このお宅は、私が小学校3年生の時の担任だった鵜家かをる先生のお宅だ。穏やかな優しい美人先生だった。それから60年を経て、鵜家先生のお宅にお世話になるとは想像だにしていなかった。これがご縁と言うものか。

この鵜家分家はいつもは空き家になっている。盆正月にしか帰ることはないと言うことでお借りすることができた。
それで、私が突然住むことになると、近所の人はどんな人間かとびっくりされる。そのため、道端さんが地元の良川の区長さんのほか、近所の方々をご紹介してくださるのだ。そのためだけにわざわざ富山から日帰りで中能登にいらっしゃる。
彼女とは、この1年間、いろいろ交流させていただいて、OUEN信念会にもご参加いただいた。そして、今は、心が通い、ザックバランにお話ができる関係になることができた。
道端さんだけではなく、この1年で彼女をはじめとして中能登町の多くの人たちと本音で話すことができるようになった。

何事も良き人間関係を構築することが、ふるさとである以上に、「中能登町のために尽くしたい」と思う気持ちを高めてくれる。人さまの温かさと、生まれた土地への想いの2つのご縁があって、一層頑張ろうと思う気持ちになる。人間とはそういうものだ。

テレビやラジオでは、今年の冬は大雪だと言っているが、来てみると、金沢も能登も、思いのほか、雪は積もっていなかった。暖かい日が続いたので解けてしまったのだろう。
しかし、今週1週間の寒波の到来は雪を積もらせるかもしれない(早暁は、藤あや子の歌”雪深々”の如く、外は静かに雪が積もっている。そして、今朝7時、外は一面の銀世界に変わっていた)。

七尾線・良川駅に降りて、道端さんに、お弁当屋さん、良川区長さん、鵜家分家の隣近所の皆さんをご紹介いただく。皆さん、事前に道端さんから私のことを聞いていらっしゃったようで、皆さんから心地よく応対していただいた。ありがたい。

そして、引っ越しは、みおやの里から布団やその他を運んだ。
荷物の整理をして、宿の近くで従兄の次男が”焼肉一平”を経営しているので、近所に引越ししてきたご挨拶代わりに一平で夕食を摂った。

また、夜にOUEN信念会にご参加いただいた方からお電話があった。
「ある人に、この前の能登を応援する信念会の話をしたところ、『是非、小林さんをご紹介していただけないか』と言われた。会って話を聴いてあげてほしい」と。
その方の電話番号を聞いてお電話したところ、その方曰く、
「私たちのグループも能登を応援したいと思っていろいろな活動をしている。能登の応援は長丁場になる。是非、これから、小林さんとコラボしたいと思う。一度お目にかかりたい」と。ありがたいことだ。
”友だちの友だちは皆友だち”であり、そして、”類は友を呼ぶ”
いい友だちの輪はどんどん拡がっていく。

中能登町の皆さん、何だかんだと私を快く迎えてくださる。そして、東京の人たちも、ふるさと能登を応援してくださる。
応援はキャッチボールだ。好球を投げられたら、好球を投げ返す。

これから、中能登町を過疎地でも活気溢れるモデルの町にしていきたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

いいなと思ったら応援しよう!