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障害の受容、する?どうする?😄

2年前に発達障害と診断されて、
障害者として支援を受けながら生きるという、
障害ライフがようやく始まって、
すごく安心しました。

本当にムリでした、多数派ライフ。

体力がムリ。
コミュニケーションがムリ。
暗黙のルールがムリ。


だから、障害ライフに入ってみて、
助かるな~、楽だな~、安心だな~って、
心から思っていた、この2年間。

でも、最近、B型事業所に通ってみて、


じわじわと・・・障害者・・・


あ、障害者なんだ、自分。
自立して暮らすのムリなんだ。
支援がないとムリなんだ。

っていう現実が毎日襲ってきて、
自尊心が揺らぎ続けています。


でも、聞くところによると、次のステージで、

障害でもええねん。
自分らしく生きたらええねん。

になる予定って聞いています。


私もそうなるのかしら。


普通が嫌だ、
普通になりたくない、
私は普通じゃない、
変わり者でいい
っていうふうに、

普通じゃない、
自分らしい人生をずっと生きてきたので、
どうなんでしょうね。


私にとって、最もショックだったのは、
あ、この普通じゃない場合の名前って、
障害者だったんだっていうこと。

障害者、非障害者っていう区分に
押し込められるんだ
っていう衝撃ですね。


私が子供のころは、
職人肌、天才肌、猪突猛進型、大器晩成型、
変わり者、おっとりさん、おっちょこちょい
って呼んでたものが、
障害者ってことで、
ひとまとめになっちゃってた。

ええー?ってなりました。


しかも、障害者であることについても、
受容する、の一択。


てっきり、LGBTQみたいに、
障害者であることに違和感のない障害者とか、
障害者であることに違和感のある障害者とか、
そもそも障害という区分自体に違和感があるとか、
障害者でもなく、非障害者でもないとか、
障害者であり、非障害者でもあるとか、

そういう色んなパターンがあるのかと
思っていました。


違うんですね~。


障害者、非障害者しかなくて、
障害者に区分されることを
受容するものなんだ。

ん~

ほんとかな?

LGBTQ方式のほうがいいんじゃないですか?


いろんな人がいていい。
いろんな違和感があっていい。

私はこうだよ!
って言えたほうがいい気がする。


障害者でも楽しく生きていこう!


でも結構なんですけど、
ちょっと古くないですか?


障害者とされることに違和感を持ってます
って宣言して、その気持ちを大事にして
生きていってもいいと思う。


その上で、私は障害者ではなく、
少数派の脳タイプの人間だと
自認しています。


とかで、いいんじゃないですかね。


違和感があるなら、違和感があるでいい。

社会の多数派のいろんな枠組みに
合わないんだから、
障害者とされることも合わない、
違和感がありますって言えばいいと思う。


そこだけ急に受容します
っていうほうが変だよ(笑)


支援を受けたければ、
障害者であることを受容しなさい、
障害を受容するのが楽しく生きられる
唯一の正解です

って、そんなわけないじゃんね。


結婚したら子供を産みなさいに似た違和感。


結婚=出産とか、障害の受容って、
よりメジャーっぽい生き方の提案であって、
そうしないとダメってわけではないと思う。


もっと自由に、もっと柔軟に、
もっと自分の気持ちに正直に生きればいい。


そんな時代の流れでもありますよね。


だから、まだ受容できてないの?じゃなくて、
障害者ってことに違和感があるのね
でいいと思う。


それが自然。

でしょ?


無理やり障害を受容しなきゃと思って、
障害者とされることの違和感を
抑圧し続けるよりは、


障害者って枠には納得してませんけど、
便利だから手帳持ってます

で、いいと思います。


誰も何も言わんよ(笑)
言うとしたら、当事者だけかな(残念)


まあ、そんな感じです。

私は障害の受容をするかどうかは決めません。

自分を障害者だと言ったり、
周りから障害者として扱われるのは構いません。

それで支援を受けられるなら。


ただ、自分で自分を障害者と自認するかどうかは、
分からないって感じですね。


障害者ってどんな感じなのか、
もっと障害ライフを知ってから、
自認するかどうか考えてみようと思います。


っていうか、どっちでもいいかも。
障害者でも非障害者でも。


自分は自分だからなあ。


※自分は自分だ系の記事はこちら


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