今は故郷で感性を休めて育てたい
書くことで、自分の価値観の輪郭を言語化させたい。
それは一つ私にとってはストレス発散の手段の一つ。
何かを自分から生み出して作るというのは小学生の頃から大好きで、図画工作の時間が生きがいだった。
週に1回、地域のおじいちゃんおばあちゃんが小学校の昼休憩に来て開いてくれる絵手紙教室は、一人でも行って、描き方を習っていた。
アジサイや柚子といた季節の花や果物を絵手紙に書いては、祖父母にそれらの手紙を送った。
祖父母は毎回すごく喜んでくれて、私もそれが嬉しかった。
その性格は今も変わらないから、また絵手紙を書こうかなとか、自分で花や抽象画を描いて部屋に飾ろうかとか。
一カ月前に同棲解消した3年半も付き合っていた人には、良く京都大阪神戸の美術館や博物館、百貨店、神社仏閣、それに本屋や中古CD、レコード屋に連れていってくれた。美術史学専攻の、生粋のサブカル男子大生だった。
何度も足を運んだのは京都なら、京都市京セラ美術館、京都国立近代美術館、大垣書店京都本店、京都高島屋S.C.、知恩院に八坂神社、京都タワーの地下、アンジェ河原町本店、フランソワ喫茶店、清水寺周辺、鴨川のほとり、夜の先斗町。
(下鴨神社の下鴨納涼古本市も行きたかったなと思って書いていたら、なんだか高校の時に読んで憧れた森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」で行くような場所に行けたなって思った)
大阪なら、中之島美術館、HAY OSAKA、大丸心斎橋店、心斎橋PARCO、大阪駅前第一ビル、第二ビル、第三ビル、ビルボードライブ大阪、阪急梅田本店、万博記念公園内の民博。
神戸なら、異人館、兵庫県立美術館、BB美術館、灘の街並み、六甲山、六甲アイランド、モザイク広場、夙川の桜並木、神戸布引ハーブ園、相楽園、元町、山陽電鉄、長田区、須磨離宮公園、マル井パン、坂道から見える瀬戸内海、絶壁に建っている建物。
そのおかげで、大学時代まで美術館や博物館は主に岡山県内にあるものしか行っていなかった私が、美術館が好きになり、ほとんど行ったことのなかった百貨店の楽しみ方を知り、地球の歩き方という本を知り、ゴダールの映画を知り、喫茶店の雰囲気を知り、関西が馴染みのあるものになった。
一人では行ったことのない場所ばかりだったから、私の見る世界を大きく広げてくれた。それと同時に、それほど付き合う人って人生で影響力が強いものなんだと感じた。今でも私の血となり肉となっているような強烈な感覚。
都会にあるものは
・テーマパーク
・プロジェクションマッピング
・大きな商業施設
・商業施設のクリスマスツリー
・軒を連ねる飲食店街
・見渡す限り高いビル群
・コンクリートジャングル
・今時のオシャレなカフェ
・美術館、博物館、コンサートホール、ライブハウスなどの文化施設
・感度の高いセレクトショップ
・ハイセンスなインテリアショップ
どちらかというと、誰か人の手によって作られた「人工物」が多い。
それらは人を引き付けるために刺激が強くて分かりやすいものであるがゆえか分からないが、私にとっては情報量が多すぎてむせそうになる。
だけど本当の美しさは、自然が育んだ景色や空気から作られるものではないかと思う。アートだってファッションだって、生み出す人は人が沢山いる騒音の多い街よりも、静かな自然のある場所の方がよっぽど生み出しやすいのではと思う。
だから、私は時々街に行って好きなセレクトショップやインテリアショップ、本屋や雑貨屋、ライブハウスに行く程度でいいのかもしれない。
2,3カ月に一度は東京に行きたい。
趣味の範疇で岡山に居ながら服作りを近所に住む祖母から習い、作った服を売ることが出来れば、それで満足かもしれない。
陶芸だってしたいから、備前焼の里が近いのもいいかもしれない。
元彼が言ってきた言葉一つ一つや態度に今も苦しく思うことがある。
思考が反芻してしまい、今も悔しい。感情が波打つ。
「岡山って何もないやん。」
(→は?桃にマスカットに倉敷に瀬戸大橋に芸術祭に蒜山に良い所一杯あるよ!確かに神戸よりは、ないかもしれないね。だけど私は君の出身地である淡路島素敵って思っているのに、岡山に連れてきても何故良い所を知ろうとしてくれないの?)
「僕は君の親に何かあっても仕事があるから岡山に住むつもりはないし、もしこの先家族がいて君が岡山に滞在しなくてはならなくなったら、僕や子供のことはどうするの?」
(→いや父母に何かあったら私は助けてあげたいのは当たり前に思うんだけど、そこまでできないよ。。。)
「僕は同じ田舎から出てきた者同士、二度と淡路島には帰るつもりがないのに、君は岡山に平気で帰りたいって言えるんだね」
(→えええあなたと私は違う人間同士よ、何故あなたの価値観を押し付けられないといけないの。)
「陶器は好きだけど、備前焼は地味だから嫌い、面白みがない」
(→確かに釉薬を使わないし、土の色をそのまま生かしていて派手さはない代わりに飽きずに持てるんだけどな。水が美味しくなったり、用の美に通じるような部分があるのに。)
「そんなに岡山の話ばかりするなら、岡山にもう帰れば?僕は住むつもりはないから岡山なんて興味ないねん」
(→・・・。私のアイデンティティを全て否定された気持ちになる。)
といった具合にここまで言われていたのに、今思えば別れずに結婚までよく考えていたなと、我ながら健気だったなと感心する。
ところでなぜ彼はこんなに岡山を目の敵にするように、悪く言ってたのだろう。岡山に住みたくないから、なんだろうか。
今ならこう言い返したい。
「うっさいんじゃ!!私と同じであんただって淡路島で育ったのに、よく人の故郷を悪く言えるな!」
「そんな人の故郷を悪く言う人間性の人だとは思っていなかった!」
「そんなことをいうあなたは嫌いだよ」
彼の何がそんなにいいと思っていたのか。
もしかしたら、本当はそういうところが見えて、もうあんまり好きでなかったのかもしれない。
いや、好きじゃなくなっていたんだ。
けれど私の知らない分野を、もっと詳しくなりたいと思っていることを知るきっかけを沢山くれるし、お互い将来的に結婚して家族になりたかった。
価値観の違いが一つ一つ明るみになる中で、好きという気持ちが薄れていっていたのは事実。
彼がここまで私に対して故郷愛を否定してきたのは、もしかして彼自身が実は淡路島や神戸が大好きなのに、自分のしたい分野の仕事のためには一旦外の世界に出ないといけなくて、ましてや私と将来的に一緒になるには淡路島に戻る選択肢は持てない、そう思っていたからなのかもしれない。
別れた今は、真相を聞くこともないし、聞くことでもう時間も巻き返すことはない。
だって終わったことだから。二人は結局価値観も、感性も合わなかったんだ。結婚に結び付く「縁」のない関係だったんだ。
これからどんどんと自分の中にある彼の思い出が消えていき、なかったことになるのが悲しくて、毎晩枕を濡らしていた10日ほど前。
彼は死んだことにしよう、なんていう縁起でもないことを考えながら、ある意味供養するような気持ちでnoteに必死に書きなぐっている。
とりとめのない感情で、結局今日は何が言いたかったのか分からなくなりかけている。
とにかくどんな場所であっても「付き合う人(恋人だけでなく会社の人も、友人も含め)は大切」だから、どんなに好きと思った恋人であっても、ひどく傷つけてくる相手からは離れないと大怪我を負ってしまうよってことは言いたい。
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