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幼少期からの親子関係(私の場合)


私は両親ともに教師であったこともあり、親の方が将来を考えられるから、物事を知っているからという理由で、私のやる事・進む進路・その他細々としたことを「あーしろ、こーしろ、これはよくない、ちゃんとしろ」と言われて育ってきた。

その結果、学生の間は成績は悪くなかったし、小中と担任の先生からは好かれてきた。不登校にもならなかったし、大学までなんとか卒業した。

学校生活という、守られた世界、先生の言うことを聞けばいい受け身でいる世界では、日常生活に支障があまりでなかった。

問題は社会に出てから。           受け身でいるだけでは良しとされない世界。自由もあるが、いきなり自発性や責任や自己決定が求められ、理不尽な事がたくさんある世界に放り出された。

まず理不尽なことを許せない父と母の考え(主観的な正義感)が、私にも染み込んでいたし、親の思考の物差し・枠みたいなものにも勿論染まっていたので、私自身の"自分"の考え・好き嫌い・なにがしたいのかがよく分からなくなっていた。

自分の"したい・好き"な気持ちがなかった。     "何をすべきか、何をしたら良いのか、何が正しいのか、何をしたら怒られないのか、相手は何を望んでいるのか"の考え方しかできなかった。   自分に向けられる相手の感情・視線に、ものすごく左右され敏感になっていたのだ。

そしていつも、将来への漠然とした不安でいっぱいだった。

親からタバコを当てられたこともなければ、殴られたり蹴られた事もない(1.2回はあるが)、肉体的虐待を受けてきた訳ではないし、むしろ父からは小学生の頃から日々勉強を見てもらっていた。ご飯も父か母が作っていたし、朝・夕の食卓はみんなで囲んでいた。ネグレクトもされてない。どちらかと言えば過干渉ではあった。       共働きで親は忙しかったので、小学生までは祖父母の家で学校から帰ったら過ごしていた。面倒をみてくれる人は常にいた。

よくあるような家庭環境ではないだろうか。

ただ、なんとなく小学5.6年の頃から生きるのが苦しかった。おそらく私は今で言うところの"繊細な人間"に当てはまる。物音にびっくりしやすかったり、匂いにも敏感、電車の窓から入る太陽光は刺激が強く目を開けていられなかったし、小学生の頃はコナンのTVアニメが始まると、犯人役の黒いヤツが怖くて、母の後ろから恐る恐るじゃないと観れなかった。

そんな私は、自分の家の中で起こる、両親の激しい口論や、父の罵声・暴言・口調(母や私や弟や電話越しの業者の人に対する)にとても耐えられなかった。小学生高学年の頃、母と父の夜の営みの声が隣の部屋から聞こえてきたときには、父への殺意が高まったがバレないようにと必死に押し殺し、布団の中で泣いた事もあった。

友達の両親とうち両親の違いに疑問を持つようにもなった。友達の家のお父さんは優しい人が多いし、お母さんの方が子育てに関与しているように見えて、ないものねだりだろうけど羨ましかった。でもよその家が気になるのは、年頃の子なら良くある話だろう。

私の母は、仕事や自分の好きなものにしか興味のベクトルが向かない人だった。幼児の頃から、母に"私のことを知ろうとして欲しい、興味を持って欲しい、そして否定しないでほしい"と常に渇愛していたんだと思う。

小学生から大人になるまでは、父への憎しみと怒りと悲しみですごかった。自分の意見や思いを伝えたところで、父の正しさを押し付けられ自分の意見は潰される。何かやらかすと小学生までは「ケツだせケツ」と言われ叩かれた。

それもあってか、家族の中では極力、"女気""女性らしさ"を消して、男っぽく振る舞うようになっていた。小学生5.6年まで、父と弟とお風呂に入っていた。まだ幼児体型だったし嫌な感覚は少ししかなかった。もしくはそう思わないようにしていたのかもしれない。

それを伝えることが何より嫌だったんだと思う。女に成長することの恥ずかしさを持つ人は少なくないだろう。

加えて、女の子を笑顔で可愛がるようなタイプの両親ではない。

女の子も男の子も小さな時期は、可愛い可愛いとたくさん笑顔と言葉かけをして、これでもかと可愛がってあげてください。  

その行為が、その子にとってどんだけ重要で大切なことか…‼️                私はボギャブラリーが乏しいので、上手く伝えられませんが、声を大にして伝えたい。

この家の中では、女らしさなど無い方が生きやすいと感じていたんだろうなと、今となって振り返れば色々わかる。

父は酒癖が悪いので言い争いになると罵声・暴言のあと「死ね」と言ってくることもあった。  その都度私も「本当に死んで欲しい」と言い返したりしていた。(逆バージョンもあり)  

母とは友達のような関係を築いていたが、やはり"分かってもらえない感"がずっと残っていた。母は仕事のストレスを家庭内に持ち込み態度に出る人だった。父以上にプラスもマイナスの感情も表に出るタイプだった。

もちろん口論になることもあり、母からも受け入れてもらえないんだと思うと孤独になり、もう私の居場所はないし、こんなに生きていくのが辛いなら死んだ方がマシだ…と思い、夜中に家を飛び出し近くの踏切まで行ったり、家から離れた場所でしばらく彷徨って歩いていたことも度々ある。

そんなこんなで、実家暮らしの時期は苦しかった記憶がたくさんあったこと、些細な事で苦悩する自分はおかしい人間だと思ってきたが、いろんなところでいろんな検査をしても特に問題はなく、それでも社会に出てからあらゆるシーンで適応することが困難になっていった私の心や思考、神経系は、、
あのような家庭環境で生きてきた"自然な結末"であったことが、
トラウマケアを進めていく中で見えてきた。

社会人になり心と身体の不調が出始め、怖い・苦手なことが増えたり、日々不安が強くなったり、人間関係が拗れたり、希死念慮が依然としてあったり、いろいろな問題がでて最終的にセラピーに辿り着き、分かったことがある。

①私が悪いんじゃない。情けない人間なんじゃない。そして親が悪い訳でもない。

これまでも本を読んだり、カウンセラーの人に言われたりしてきたが、頭では理解していても真に理解できず腑に落ちなかった。「んな事わかってるよ、けど辛いんだよ。そのパターン化された思考をどうすることもできないんだよ、その方法を教えてくれよ」と思っていた。

でも、本気で私という人間と向き合ってくれ、あるがままの存在を受け入れてくれる人と出会えた。

ちゃんとやらなくても、テストで良い点をとらなくても、跳び箱で前転ができなくても、理科のノートが隣の子より綺麗にまとめられなくても、洗濯物をくっつけて干しても、トイレのドアを閉めなくても、資源ごみを潰さずにゴミ箱にいれても、受験失敗しても、成績が上がらなくても、習い事に行きたくなくても、ピアノの練習をしなくても、掃除が完璧でなくても、仕事が続かなくても、ネイルの学校も続かなくても、好きな事がなくても、国語の先生に救われて自分も国語の先生になりたいと急に言い出しても、浪人せずに指定校推薦を使えば良い大学には入れたのに言う事聞かなくても、親から怒られる事を逃れるために嘘をついても、人より何倍も努力しろと言われて、努力できなくても…

ただ存在しているだけで良い。

これまでツラくて苦しいと感じても、これまで"生きてきた"ことに「素晴らしいですね。goodです。あなたは非常識なんかじゃないです。」と受け入れて肯定してくれる人が、他にいるだろうか。日常生活では中々味わえない体験だ。

この感覚を言葉だけでなく、体全体で体感をすることが重要なのだ。
セラピーを受ける事で、過去のトラウマとなっている体験や経験(好ましくない感覚)を、新しい体験をする(心地よい感覚)として捉えられるようになるため、ニュートラルな神経系の状態(感覚)が、感情や思考と繋がり、変化していくものだと感じた。

セラピストに過去の様々なトラウマを処理してもらうこと1.2年。私の脳が、自律神経を自己調整できるようになった。神経系の波が安定化していくのである。

私はやっと、一歩抜け出せれた気がする。自分の人生を自分で選択して歩き出せるような、そんな前向きな感覚を初めて得た。

日常での良い変化や兆しが出始めている今、トラウマ処理できたことによって、将来の不安を感じるタイミングが減ったし、平和でいる時間が増えたし、自分の脳が交感神経から副交感神経を優位にするよう自己調整をしていけるようになり、1人の人間として機能し始めているように感じる。

②今の私の症状として出てるものは、あのような家庭で育った"自然の結末"らしい。親には親の歴史がありトラウマがある。なので親が悪い訳でない。しかし私の症状は親のしてきた対応の結果であり、原因は間違いなくそこにある。全く関係ないように思えることでも、朝の体が動かない事や旦那にイライラする事や、理不尽を受け入れられない事や、感情を相手にぶつけてしまうところの根っこは、神経とリンクしており、一つ一つ私の過去の何かしらのトラウマと繋がっているらしい。頭では覚えてなくても神経や体の感覚は繋がっているらしい。

今は、その根っこのトラウマを一つ一つ処理していくと、これまでイライラしたり不安になっていた事に対して、必要以上に動じない感情になり、ちゃんと機能してくれるのである。そのおかげで少しずつ生きやすく感じているのである。

具体的な内容についてはまた今度、載せられる範囲で記載したい。


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