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安藤礼二『井筒俊彦 起源の哲学』/安藤礼二「空海 連載第十二回 第八章「平城」」

☆mediopos3237  2023.9.28

『折口信夫』(二〇一四年)
『大拙』(二〇一八年)に続き
安藤礼二『井筒俊彦 起原の哲学』が刊行された

安藤礼二の最初の著作
『神々の闘争 折口信夫』(二〇〇四年)でも
折口信夫の営為を完成させた重要な契機を与えたのは
井筒俊彦ではなかったかと示唆されているが

安藤氏は「折口信夫による神道、鈴木大拙による仏教、
井筒俊彦による一神教の創造的な解釈学、
そうした解釈学の系譜によって、
近代日本思想史にして近代日本表現史を
描ききることができるのではないか」と
その当時から考えてきたのだという

そして井筒氏の没後三十年を迎える今
二十年に及ぶ研究の成果として
井筒俊彦論が纏められている

全集に続き英文著作からの翻訳も刊行された今
井筒俊彦の思想の全貌も
またそこからの展開の可能性についても
その「東洋哲学」の営為から
まとまって学ぶことができる準備がようやく整ったところで

本書の刊行は井筒俊彦の営為の中心にあるものを
俯瞰するための重要なエポックとなり得ていると思われる

安藤氏は「井筒俊彦が残してきれた膨大な業績を
一言でまとめるとするならば」
「ディオニソスの憑依から如来蔵の胚胎と出産へ、
神秘哲学から東洋哲学へ、
つまりは哲学の発生から哲学の総合へ」
ということになるだろうと示唆しているが

その営為は
ディオニュソスからはじまるギリシア哲学を論じた
最初の著作『神秘哲学』(一九四七年)からはじまり
『意識の形而上学』(一九九三年)の遺著で閉じる

その思想の根源には
西脇順三郎と折口信夫という
「二人の特異な研究者にして表現者が存在していた」といい
まさにそれは「近代日本文学史と近代日本思想史が
劇的に交わる地点」でもあった

また井筒俊彦本人の著書ではないが
大川周明の『回教概論』の大部分を書いたのも井筒俊彦で
当時の大東亜共栄圏構想といった
戦時下におけるアジア主義やその後のイラン革命にも
少なからずその営為は関わりをもちながら
その後の東洋と西洋や一神教と老荘思想などを
深層において結び合わそうとする
「東洋哲学」の試みへと展開されていったようである

さて現在安藤氏は現在「群像」において
「空海」の連載を続けているが
井筒俊彦が晩年に空海の思想に深く関心を寄せていたように
そこに井筒俊彦の「切り拓いてくれた、東洋哲学という
「未来」へと続く道が存在している」と考えているからだろう

井筒俊彦の空海理解には
「如来蔵思想をつねにイランのイスラーム、
「存在一性論」との比較という視点から論じているために、
近年、井筒の大乗仏教理解、空海理解について
厳しい批判が提出されている」
つまり空海の思想の体系を
「一種の創造説でありまた発出論的(流出論)な世界観」
として捉えているということだが

安藤氏が「空海」を連載しているのも
その批判に対する丁寧な回答でもあると思われる
ちょうど「群像10月号」に掲載されている「空海」に
「流出」に関する記述があったので
そこから若干を引用しておくことにした

この「流出論」といった批判は
如来蔵的なものを説いた
由来のよくわからない『大乗起信論』について
それをほんらいの仏教ではないのではないかという
見方とも通じているようだ

その見方からすれば「大乗仏教」といわれるもの
そのものの「衝動」の「起原」を問う
原理主義的な方向へと向かうことになりそうだが
それがどんな可能性をひらき得るかは疑問である

それよりも問う必要があるのは
ほんらいの意味での存在の謎そのものなのだろうから

■安藤礼二『井筒俊彦 起源の哲学』(慶應義塾大学出版会 2023/9)
■安藤礼二「空海 連載第十二回 第八章「平城」」
 (群像 2023年10月号)

(安藤礼二『井筒俊彦 起源の哲学』〜「第一章 原点——家族、西脇順三郎、折口信夫」より)

「井筒俊彦の思想の根源には、二人の特異な研究者にして表現者が存在していた。それは文字通り、近代日本文学史と近代日本思想史が劇的に交わる地点でもあった。(・・・)

 西脇順三郎と折口信夫。英文学者にして「モダニズム」の詩人と、国文学者にして「古代」の歌人。井筒にとっては、西脇の存在こそが自らの将来を決定する最も大きな要因となった(慶應義塾大学という選択、さらには経済学部予科から文学部英吉利文学科への転科、等々)。そして西脇が教える三田には、井筒と同じような想いを抱いていた同志、同級生であった池田彌三郎と加藤守雄の二人と、後に彼らが師事し、その学を大成することになるもう一人の「怪異なる一人格」(池田彌三郎の表現)をもった知の巨人、折口信夫が存在していた。(・・・)

 西脇の「超現実主義詩論」のなかに折口の「古代学」の成果を組み入れること。未来の詩の言葉と古代の詩の言葉を通底させ、そこに文学のみならず人間が持たざるをえない信仰というものが成り立つ普遍的な思考の基盤を見出すこと。認識論にして表現論、さらには宗教原論として考察された詩的言語発生の問題。おそらく井筒俊彦の言語哲学の起源、神聖なる神の言葉を自らの内に預かる者、「預言者」という存在への一貫した関心の起原は、そこにある

 だが、それだけではない。逆に井筒という存在が二人の巨人の間に介在したからこそ、後の西脇と折口が密接な関係を持つことを容易にしたとも言えるのだ。」

「西脇の講義する言語学は。自らのシュルレアリスム的詩論、なによりも『超現実主義詩論』に集約された、言葉が持つ二重の側面、現実(自然)と超現実(超自然)の相克と、超現実による現実の乗り越え、つまり超現実が現実を破壊する瞬間に「ポエジィ」(ポエジイ)が生まれるという理論にもとづき、それを発展させたものとしてあるようだ。
(・・・)
 西脇のこのような講義にして実践を前にし、深い感銘を受けた井筒は「言語学こそ、わが行くべき道、と思い定めるに至った」のである。」

「折口の大学卒業論文である『言語情調論』もまた、言語が持つ二つの側面を論じたものであった。言語の直接性と間接性である。そして折口も西脇と同様、その若書きではあるが、きわめて未来的な論考のなかで、言語の直接性(超現実的側面、言語の表現的な「感性的機能」)によって間接性(現実的側面、言語の交換的な「知性的機能」)が打ち破られた際に、ポエジイが生まれ出ることを確信していた折口によれば、直接性の言語とは、「包括的→仮絶対→曖昧→無意識→暗示的→象徴的」といった一連の内容をもった感性的(「情調」を周囲に発散させる)言語であったのだ。包括的で、なおかつ曖昧で音楽的な言語。マラルメや西脇が見た完全言語への夢想と通底する。

 それは詩の言葉であり、なおかつ神の言葉(「神仏の示現」もしくは「神仏の神託」)に近いものであった。(・・・)この神の言葉、すなわち超現実の、さらには直接性の言語が発生してくる場所に、西脇は前人未踏の詩的世界を創り上げ、折口は共同社会の発生と文学の発生が重なり合う様を幻視した。井筒のイスラーム学、その根本をなす「預言者」の理解はそこからはじまるのである。」

「だからこそ井筒は生前、刊行前に自ら目を通すことができた最後の著作、『超越の言葉』の冒頭を次のようにはじめ、その思想をこう総括するのだ。「神が語り、イスラームが始まる。神のコトバ、イスラームの全てがそこから始まる」。ここで井筒が使っているイスラームという単語を「詩と文学」(国文学にして英文学)と返れば折口信夫と西脇順三郎の営為が過不足なく浮かび上がってくるだろう。近代日本において真に創造的な表現行為はすべてこの同一の地点からはじまっていたのである。」

(安藤礼二『井筒俊彦 起源の哲学』〜「第二章 ディオニソス的人間の肖像」より)

「井筒俊彦が最初に立った場所。井筒自身が「私の無垢なる原点」と記す。一九四七年に刊行された巨大な書物、『神秘哲学————ギリシアの部』のはじまりには、女たちに憑依して荒れ狂う陶酔の神にして舞踏の神、ディオニソスが位置づけられていた。井筒は、人間を森羅万象あらゆるもの、すなわち「自然」に溶け込ませ————内在させ————あるいhそこから抜け出させる————超越させる————血腥い憑依の体験に哲学の発生、ギリシア哲学の発生を幻視していた。

 井筒俊彦が最後に立った場所。この世を去った一九九三年に遺著として刊行された小さな書物『意識の形而上学————『大乗起信論』の哲学』のはじまりには、海のように深く、空のように果てしのない心という母胎に孕まれる如来の種子にして如来の胎児(如来蔵)が位置づけられていた。(・・・)

 原点となる書物『神秘哲学』から最後の書物『意識の形而上学』へ、ディオニソスの憑依から如来蔵の胚胎と出産へ、神秘哲学から東洋哲学げ、つまりは哲学の発生から哲学の総合へ。井筒俊彦が残してくれた膨大な業績を一言でまとめるとするならば、そうなるであろう。」

「血にまみれた闇の憑依神ディオニソスから「一即全」にして「全即一」の光の哲学者プロティノスへ。井筒にとってディオニソスの闇とプロティノスの光は表裏一体の関係にあった。そこに井筒俊彦という思想家の起原にして帰結もまた存在する。」

「プロティノスの光の哲学が、一神教を純粋化したイスラームのなかに「神秘」の可能性をひらき、それはまた同時に、あらゆるものの「空」を説いた大乗仏教の極限としてあらわれた華厳の世界観と共振し、交響するのである。」

「破壊にして消滅のゼロから構築にして産出のゼロへ。「空」は「無」であるとともに「無限」でもある。この講演(エラノスで一九八〇年に行われた講演「存在論的な事象の連鎖————仏教の存在観」)においても、如来蔵思想の持つ構造は、この講演の主題である華厳の世界観を説明するにあたって、「光」が「光」を貫き。すべてのものが「光」の海に溶け合うという、プロティノスが「一者」を垣間見た風景を引いている。最も華厳的な世界観を説明するものとして、である。井筒のなかでギリシアの光の哲学が、東洋の存在の哲学、無の哲学、如来蔵の哲学へと転換したのである。

 井筒にとってイランと中国、存在一性論と老荘思想を通底させるものこそが、大乗仏教の如来蔵思想であった。」

「『大乗起信論』は、井筒俊彦が最後に到達した地点で選ばれるにふさわしいテクストであった。そしてまた、その正体不明の聖なるテクストは極東の列島に伝わり、変容し、定着した大乗仏教、「東方仏教」の起原でもあった。比叡山で天台宗の大系を完成した最澄も、高野山で真言宗の大系を完成した空海も、『大乗起信論』が体現する如来蔵思想の体系を読み込んでいた。それを土台として、最澄は『法華経』を中心に禅と浄土と密教の総合を企て、空海は『華厳経』に描かれた「法身」が入る三昧から「法身」自身が発する聖なるコトバ、「真言」へと向かっていった。最後の井筒俊彦から「東方仏教」の起原へ。探求の円環は新たな地平にひらかれなければならない。」

(安藤礼二『井筒俊彦 起源の哲学』〜「第三章 始原の意味を求めて『言語と呪術』」より)

「井筒俊彦は、哲学、文学、宗教の発生の基盤に「憑依」を据えた。憑依によって人間は、言葉では決して表現できないような「神秘」、森羅万象あらゆるものが一つに入り混じり、一つに溶け合うような状態にまで到達することができる。そうした「神秘」のなかからこそ、原初の「意味」、原初の「言語」が発生してくるのだ。井筒は、哲学の発生を論じ、文学の発生を論じ、宗教の発生を論じながら、言葉が発生してくる始原の場所を探求していったのである。(・・・)

 『言語と呪術』は、そのような井筒の探求の過程を、そのまま一冊の書物としてまとめたものである。書物の趣旨は明確であり、その講師全体が持つバランスはきわめて良く整えられている。」

(安藤礼二『井筒俊彦 起源の哲学』〜「第四章 戦争と革命――大東亜共栄圏とイラン」より)

「大東亜共栄圏のイデオローグ、大川周明が残した著作として、今日でも学問的に評価されている『回教概論』の大部分を書いたのは、井筒俊彦であった。
 そのことは、井筒もまた宗教的かつ哲学的に大東亜共栄圏構想を支えていたことを意味する。そして、その帰結として、井筒俊彦の哲学は、イラン革命を生起させたイランの哲学、「存在一性論」と深く結びつくことともなった。井筒俊彦の哲学は、大東亜共栄圏とイラン革命を一つに結び合わせる、戦争の哲学にして革命の哲学であった。」

「ムハンマドに体現された「預言者性」、シーア派を基盤とする内的な「精神性」、そして「翻訳可能性」。この三点が、井筒俊彦のイスラーム理解の核心に存在している。そして井筒にとっても。この三つの視点が一つに重なり合う特権的な対象。それがイスラーム神秘主義すなわちスーフィズムの思想であった。そしてスーフィズムとは、なによりもイスラーム世界に根底的な危機をもたらした「翻訳」によって、しかもその「翻訳」を内的に消化することによって成立したものなのである。」

(安藤礼二『井筒俊彦 起源の哲学』〜「第五章 東方(しののめ)の光の哲学————プロティノス・華厳・空海」より)

「井筒俊彦は、ルドルフ・オットーとカール・グスタフ・ユングが創立に深く関わったエラノス会議に、一九六七年に正式な講演者として招かれてから一九八二年まで、東洋思想の諸潮流をめぐって講演を続けた。」

「『神秘哲学』から『東洋哲学』へ。そては「神秘哲学」から華厳的世界へ、さらには空海へと読み替えられる。そこに井筒俊彦が切り拓いてくれた、東洋哲学という「未来」へと続く道が存在している。」

(安藤礼二『井筒俊彦 起源の哲学』〜「第六章 列島の批評————「産霊」の解釈学」より)

「鈴木大拙、折口信夫、井筒俊彦は、互いに直接的あるいは間接的な関係を持ちながら、極東の列島で固有の深化を遂げた大乗仏教の如来蔵思想にもとづき、それぞれ、独自の学の大系を築き上げた。彼らの学と表現は、互いに交響し合い、共振し合うものであった。」

(安藤礼二『井筒俊彦 起源の哲学』〜「第六章 終章 哲学の起源、起源の哲学」より)

「有神論、一神教の極であるイランのイスラームに生まれた「存在一性論」が『大乗起信論』に説かれた如来蔵思想と比較可能な思想の構造を持つとするならば、井筒が『スーフィズムと老荘思想』で取り上げたもう一方の極、無神論の極である中国に生まれた神秘主義思想、老子の説く万物の母胎としての「無」あるいは「道」、さらには荘子の説く「渾沌」もまた如来蔵思想と比較可能な思想の構造を持っているはずである。「無」あるいは「道」、さらには「渾沌」から森羅万象あらゆるものが産出されてくるのである。井筒は、スーフィズムと老荘思想の間、イランと中国の間に、『大乗起信論』が説く如来蔵思想を位置づけているのだ。如来蔵思想を介して、スーフィズムと老荘思想の比較が真に可能となるのだ。それが、井筒による比較東洋哲学の持つ基本構造である。

『大乗起信論』が説く如来蔵思想を自身の哲学の核としたのは井筒だけではない。この極東の列島に独自の仏教を根付かせた、まさにその起原に位置する人物、空海にまでさかのぼる。それゆえ、当然のことではあるが、比較東洋哲学を掲げた晩年の井筒も、空海の営為あるいは空海の思想に甚大な関心を抱いていた。結局、形になったものとしては講演原稿に手を入れてなった一篇の論考、サブタイトルに「真言密教の言語哲学的可能性を探る」と付された「意味分節理論と空海」(『意味の深みへ————東洋哲学の水位』岩波書店、一九八五年所収)しか残されなかったが、遺著となってしまった『意識の形而上学』を書き勧めながら、井筒の前に、まさに「東洋哲学全体」に通底する「共時論的構造」を明らかにする特権的な実例として空海の営為、空海の思想が立ち現れてきたことは疑い得ない。しかしながら、井筒が如来蔵思想をつねにイランのイスラーム、「存在一性論」との比較という視点から論じているために、近年、井筒の大乗仏教理解、空海理解について厳しい批判が提出されている。

 井筒が論じる如来蔵思想、さらにその読解にもとづいた空海理解は、絶対的な一者からの「発出論」(流出論)に傾きすぎているのではないかというのがその主旨である。そうした井筒批判を代表するものとして、『空海の言語哲学————『声字実相義』を読む』(春秋社、二〇二一年)の最終章(第五章)をわざわざ「井筒俊彦の空海論について」と題し、井筒の空海理解に疑問を呈した竹村牧男の著作を挙げることができる。(・・・)

 竹村の整理によるならば、井筒の空海理解の誤りは、空海の思想の体系を「一種の創造説でありまた発出論的な世界観」として捉えたところにある。逆に述べるならば、空海の思想は断固として創造説ではなく、発出論でもない、ということになるだろう。しかし、本当にそうであろうか。少なくとも、空海が依拠した「両部の大法」、『大日経』(『大毘盧遮那仏神変加持経』)と『金剛頂経』(・・・)さらには、それぞれの由来も、それぞれが持つ教えの構造も互いに大きく異なった「両部の大法」を一つに統合する、不空の訳出になる『菩提心論』(・・・)などを読む限り、それらに依拠した空海の思想そのものが、濃厚に創造論的であり、発出論的(流出論的)な構造を持っていると私には思われるのだ。「法身」という一者からの「流出」こそが空海の教えの核心をなす————詳述することはできないが、藤井淳による大著、『空海の思想的展開の研究』(トランスビュー、二〇〇八年)の結論でもある。「真言」が流出し、「真如」は「真言」として表現されてはじめて成り立つのである。」

「井筒俊彦の空海理解はきわめて正当的かつ正確なものである。しかし、その理解ですべての問題が解決したわけではなかった。そこからこそ最も重要な問題がはじまる。超越する「一者」をこの「私」に内在させなければならないのだ。有限のなかにこそ無限が探求されなければならないのだ。そのことは、最晩年の井筒の思索の対象となった空海にとっても、空海についてその生涯の最後で言及しようとした井筒にとっても、充分に、充分すぎるほどに認識されていたはずである。」

「『大日経』に由来する大悲胎蔵曼荼羅は万物の「我」からの発生を説き、『金剛頂経』に由来する混淆外曼荼羅は万物の「我」からの流出を説いている。徳一は、そこを批判したのである。『大日経』にしても『金剛頂経』にしても、「我」のことしか語っていない。しかも、その「我」は、万物を発生させ、万物を流出する超越的な「我」である。」

「徳一の批判の、いかにして応えるのか。それが空海にとって、後半生の最大の課題となる。『大乗起信論』を生涯の最後の論じた井筒俊彦においても、また同様の問いが突きつけられていたはずだ。」

「空海は、『菩提心論』に説かれた「即身成仏」に満足しない。そこからさらなる彼方へと踏み出す。『即身成仏義』において、「即身成仏」の基盤を、精神でもなく物質でもない、両者が浸透し合った「六大」に置こう。「六大」において、地、水、火、風、空という物質を構成する五大と精神を構成する識大が一つに溶け合っている。

「六大」は、あらゆる精神にその抽象的な形態を与える形相にして、あらゆる身体にその物質的な基盤を与える質料である。「六大」は精神であるとともに物質である。イデアであるとともに自然である。プロティノスがいう意味での「一者」、光のなかの光であるとともに「質料」、闇のなかの闇である。プロティノスがそこへとさかのぼったプラトンが、すでに『ティマイオス』において提唱してくれていた形相と質料、精神と物質の「間」にあり、ただ「コーラ」(場)としてしか名づけられないものでもある。それが徳一の批判に対する空海の答えとなり、井筒俊彦の答えともなる。超越するイデアである「空」を、存在としての「識」、私の「心」に内在させる。毘盧遮那仏如来の身体は、万物の母胎となる「阿」であるとともに、万物の否定、万物を「空」と化する「阿」でもあった。「阿」とは差異そのものでもあった(現在とは異なった時間、過去そのものをも表現する)。曼荼羅を二重化し、「阿」を二重化する。そのとき精神は無限に能動的になり、それに応じて身体もまた無限に能動的になる。それを大乗の理念にして大乗の歴史そのものとして位置づけ直すのだ。それが同時に東洋哲学の理念にしてその歴史そのものとなる。

 そこにこそ、井筒俊彦の思索の始まりと終わりを一つに結び合わせ、極東び固有の哲学と世界に普遍の哲学を一つに結び合わせる可能性がひらかれるはずだ。」

(安藤礼二「空海 連載第十二回 第八章「平城」より)

「『分別聖位経』の「序」には、次のように記されている。
「自受用仏は、心より無量の菩薩を流出す。皆な同一性なり、謂わく金剛性なり。遍照如来に対し、灌頂の職位を受く」(法性身の仏は心より無量の諸仏、及び無量の菩薩を流出す。みな同一性なり。いわく、金剛の性なり。遍照如来に対して灌頂の職位を受く」)。「自受用仏」としての法身、毘盧遮那は、その心から無限の仏たち、無限の菩薩たちを「流出」する。それらはみな同一の本性(本質)、金剛の本性を持った者たちである。それら毘盧遮那から「流出」した者たちはみな、遍照如来(「大日」の如来、「毘盧遮那」の如来)から「灌頂」を受け、われわれのすべて、森羅万象あらゆるものすべてが「流出」してきた根源に還り、その根源の存在である毘盧遮那から、毘盧遮那としての位を受け継ぐことだった。われわれは根源の存在から「流出」し、それゆえ、根源の存在へと帰還し、根源の存在そのものとなり、またあらためてそこから万物を「流出」するのである。それが「灌頂」の真実なのだ。
 
 『分別聖位経』は、初会の『金剛頂経』、『真実摂経』と同じく三七尊からなる金剛界大曼荼羅の発生を説くものであった。しかし、両者の間には大きな差異が存在する。『分別聖位経』は、一貫して、金剛界の毘盧遮那から三七尊すべての「流出」を説いている。一切は、毘盧遮那という根源から「流出」するのである。しかし、『真実摂経』は異なるのだ。まず金剛界大曼荼羅の中央に位置する一切如来である毘盧遮那の四方には四仏が座し、その四仏の「心」から出た四波羅蜜が毘盧遮那を取り巻くのである。また、「外の四供養」と称される香、華、燈、塗香の四菩薩も、毘盧遮那を取り巻く四仏の「心」から出る。『分別聖位経』の「流出」に対して、『真実摂経』で主に用いられるのは「出生」’或いは「出」、すなわち出ること)である、「流出」が毘盧遮那を一元的な根源と捉えるのに対して(『分別聖位経』)、同じく毘盧遮那は根源ではあるが、「出生」はより複雑な過程を通して果たされていく(『真実摂経』)。」

○安藤礼二『井筒俊彦 起源の哲学』【目次】

はじめに
第一章 原点――家族、西脇順三郎、折口信夫
第二章 ディオニュソス的人間の肖像
第三章 始原の意味を索めて――『言語と呪術』
第四章 戦争と革命――大東亜共栄圏とイラン
第五章 東方の光の哲学――プロティノス・華厳・空海
終章 哲学の起源、起源の哲学
Ⅰ 井筒俊彦と空海
Ⅱ 井筒俊彦とジャック・デリダ

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