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記事一覧
夏目漱石の「文学論」とDXの思考法
「日本経済復活への最強戦略」というサブタイトルがついた文藝春秋の本を読んでいたら、夏目漱石の「文学論」に関するきわめて興味深い話が出てきた。
世界最大級のオンラインマーケットを運営しているアリババのビジネスモデルを分析するところから始まる第4章に、「デジタル化したシステムに人間が望むことをどうやって指示するのか」という問題を解決するために、レイヤー構造が関係しているという話が出てくる。
そこに
麹町中学校だからできるんでしょ?という話
千代田区立麹町中学校の工藤勇一先生が、見事に学校改革を成し遂げつつあった時、「立地が違うし、生徒の質も違うし、東京の真ん中の麹町中学校だからできるんでしょ?」という声を聞くことがありました。
「工藤勇一がすごいわけじゃない。ああいう立地だからできるわけで、あんなこと、うちの学校でやれるわけがない。」というわけです。
そんなわけはないわけで、それは「風向きは変わりましたか?これからの学校改革【ど
チコちゃんは叱られない―公共放送におけるコンニャク問答
オンラインでゆるゆる続けてきた大学院での取り組みの一端を、Googleサイトを共同編集してアウトプットしてみました。
学生が特設ホームページにつけたタイトルは、「矛盾する問答」です。(ぜひご覧ください)
国会の「ごはん論法」が学校教育に由来するものではないかという妄想のもとに書いた、「国会答弁と文学教育」という駄文の延長線上に位置する授業の記録です。
今回は、国会でも学校教育でもなく、NHK
COVID19とサバイバーズ・ギルト
サバイバーズ・ギルトと敗戦後新美南吉の「ごんぎつね」や夏目漱石の「こころ」が敗戦後になって国語教科書に広く掲載されるようになったのは、サバイバーズ・ギルト(生き残りの罪障感)がモチーフになっているからだという仮説を提示したことがあります。2004年5月の「敗戦後文学としての『こころ』―漱石と教科書」が最初に公にした論考です。
こちらはウェブ記事ですが、かつての私がこんなことを書いています。
死
コロナと生きる学校教育のニュー・ノーマル(新常態)
学校教育のニュー・ノーマル(新常態)もともと自由な行動が制限されがちだった学校で、3密を避けるためのさまざまな不自由が常態化しつつあります。
座る場所を指定され、体の向きを指示され、移動できる範囲を制限され、狭い机に向かって黙々と課題をこなすことを強いられる授業。
もちろん学校教育をになう現場の教員は、悪意でやっているわけではありません。むしろ児童や生徒の不自由が、過大なストレスにつながらない