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記憶と記録

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自分自身について、自分をとりまくものについて
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私を救う、対話

私ね、誰かが怒ってるところを見るのがとても苦手なんです。得意な人なんて居ないかもしれないけど。 ちょっと声を荒げたり、大きな声で罵倒したり、感情的に一方的に言葉を投げ捨てたり、、 そんな人が近くにいると何とも淋しい気持ちになります。 お笑いは好きだけど、テレビ番組のドッキリや、怒る演技とかもあんまり好きじゃないです。 ✢ ✢ ✢ 私は人生の軸の一つを「対話の場をつくること」としています。多分、私は自分の身と心を守るために、そんなことを大事にしています。 哲学対話を提

生きる意味が分からなくなったときの私に宛てた処方箋

✢2023年12月に書いた文章ですが、その後いかなるタイミングで読み返しても自分で頷ける内容だと気がついたので、今さら投稿してみます✢ *** 昔から時折、なんで私は生きてるんだろうと考えることがある。 死んだら悲しむ人たちは、何人かはいてくれるだろうし、別に死のうと思ってるわけじゃない。でも、生きてる必要があるか、私はこの世に必要な人間か、と問えばどうも頷けない。 生きてるだけで地球を汚し、ものを消費する人間という生き物。特に守る家族や動物がいるわけでもなく、社会的

働くこと、暮らすこと、選ぶこと

会社説明の類の話を聞くと大概、「働く時間」と「プライベートな時間」は区切られたものとして語られる。フレックスタイムとか時短出勤とか、そんなシステム的な話じゃなくても「週末にアウトドアを思いっきり楽しむために平日働く」とか「帰宅後の一杯目のビールのために集中する」とか。 遊ぶために働き、働き続けるために適度にリフレッシュをする。それが「生活」なのだと、2年前までの私は、どこか胸に引っかかるものを感じながらもそう思っていた。いや、社会人として生きるにはそう思い込むしかないと思っ

「そういうものだから」で片付けるのが寂しい

考えないほうが身のためとか、誰にも言う権利はない 会社の方針と自分の考えのずれを感じたとき、それを話すと会社の人にも社外の大人にも「会社ってそういうところだから」とたくさん言われた。 考えてもどうにもならないものだから、考えないほうが身のためだよ、会社ってそういうところだよって。 それを言われると、もうそれ以上話す気も失せて、黙るしかなくなる。 私は ”そういうところ” で頑張る方法、納得できる考え方を見つけたいと思って言っているのに。今の状況をどうにかしたくて考えてい

銭湯を語るには未熟すぎるが、それでも語りたい思い出がある

幼少期から湯船に浸かるのは非日常だった 一人暮らしになると浴槽を掃除するのも面倒だし、水道代・ガス代も嵩むので湯船に浸からずシャワーで済ませる人が多いと聞いた。 私は実家に住んでいたときから、滅多に湯船に浸からなかった。家族全員(と言っても一人っ子なので両親二人)がシャワーでいい派で、たまに夕方の早い時間からお湯をためる、ちょっと特別な日曜日があった。 そんな家庭で育ったので一人暮らしをはじめてからも当たり前に毎日シャワーの生活をする。そして、たまにお湯をためる、ちょっ

”縁”に揺さぶられる人生もきっと素敵だ

noteのおすすめ機能というのがとても優秀だ。 頭の中を覗かれているかのように、興味のある記事が勧められる。 「人間の仕事がAIにとられる将来も近い」と恐れる声もあるが、おそらくnoteのおすすめ機能は "AIの仕事" で(システムを考えているのは人だと思うが)、このAIの使われ方はめちゃくちゃベストだなぁと感じたりもする。 さて、序盤から話が逸れすぎてしまった。 前述したようにnoteのおすすめ機能がとても優秀なのだが、中でもよくおすすめされるのが "地方移住" ”田

自分を生きるしかないんだろうな

6月4日(土)25:00~のオードリーのオールナイトニッポンは、いつにも増して「私の好きなオードリー」であふれていた。 オープニングで若林さんが、「二度と自分に戻れないとして、誰の人生を歩んでみたいか」をいろんな人に質問するのが好きだと話していた。スポーツ選手や俳優の名前を挙げる人もいれば、「やっぱり自分のままが良い」と答える人も一定数いるらしい。 そんなトークを聴きながら、私ならどう答えるかなぁと考えを巡らす。 私は多分、「私のままが良い」と答えるような気がする。だが

見た目に興味ないフリをしている

人を服装で判断するな、と言う人ほど見た目にこだわってる説 「人を服装で判断してはいけない」という意見は分かる。 会社員や就活生が全員スーツを着ることにも、OLが皆パンプスを履くことにも違和感を持っているし、パーカーやスニーカーの社会人がもっと増えたら良いのにと思っている。 だけど私は、服装の選択肢が個人にゆだねられつつある現代だからこそ、”服装には確かにその人の性格が出る”と考えている。 スーツだから真面目そうとか、ラフな格好だから柔軟そうとか、そういう問題ではない。”

日常のような公園で、非日常を。

幼いころから公園が好きだった。 幼稚園から小学校低学年くらいの頃、近所の友達とちかくの公園に行って遊んだ記憶がほんのり残っている。そこまで多くはないけれど、友達と遊んだ思い出のある公園がいくつかある。 いつからか、正月は家族で近くの公園にいき、羽子板のかわりにバドミントンをするのが風習になっていた。 大人になってから、公園は遊ぶところから休むところへと役割が変わったように思う。 滋賀県に引っ越してきてしばらく経ってから、暖かい陽気の日に外でご飯を食べたくなった。近くの

自分自身を生きるために

先日読んだ、とある記事から 塾講師をしていた大学生が卒業する高校生に向けて書いた "最後の授業" に刺される、社会人2年目の私。 自分の意志が足りない ここ最近、自分がどんな人でありたいかを考えることが増えた。 「まわりに頼られる、求められるひとになりたい」 「このひとと居たら楽しい、話すのが面白いと思われたい」 「ひとりの社会人として、いきいきと生きているように見られたい」 まわりに”こう見られたい” ”こう思われたい” が先行して、”自分自身である” 前に ”何

私が<滋賀で>はたらく理由 Vol.1

前に投稿したnoteの最後にこんなことを書いた。 自分の滋賀愛に気が付いたのは、ほんの2週間ほど前。それからは、この先も滋賀に居たいと胸を張って言えるようになった。 滋賀のどんなところに魅力を感じてきたのか、学生生活をふりかえりながら追いかけたいところだが、とても長くなるのでこのnoteでは今感じることを書こうと思う。 滋賀が好きなだけでは選べない 学生時代から私のまわりには、滋賀が好きだという人がたくさんいた。それでも、大学卒業後に滋賀にいることを選ぶ人は多くない。

私が<土木業界で>はたらく理由 Vol.2

前回のnote▼ Vol.1では、そもそも私が土木という業界に興味をもったきっかけを中心に書いた。Vol.2は私が土木の世界を目指すなかで感じた課題や、いまの仕事について書こうと思う。 土木を目指すのはレア 高校2年の終わり頃から土木の学科を目指していたと前回書いたが、高校では周りに同じ分野を志す仲間は一人もいなかった。建築は数人いたし、医者や看護師なんてクラスの半数以上が目指していたけれど、土木は本当に一人もいなかった。 医者を目指すきっかけとしてよく聞く話 第1位

私が<土木業界で>はたらく理由 Vol.1

ここ数か月くらい、ずっと悩んでいたことがあった。 考えても考えても、自分で気持ちを取り繕っているような気がして、自分の選んだ道に自信を持てずにいた。 私は本当に土木が好きなんだろうか? この悩みを語るにあたって、まずは私が土木という世界に興味をもったきっかけから書かなければいけない。 画面越しに見た3.11 当時、私は小学校の卒業を数日後に控えた6年生だった。 地震が起こったときはグラウンドでドッヂボールをしていて気付かなかったけれど、低学年は机の下に隠れるくらいの揺

髪型から”親”を感じる

仕事で幼稚園に行く用事があり、後ろから園児を眺めていた。 みんな髪の毛さらっさらで柔らかそうだなぁと思った。 髪型もばらばらだけど、1つ結びの子が多いように感じた。 三つ編みを混ぜたり、くくる高さが違ったり、ヘアゴムの太さや色の違いもあるけど、1つ結びが多い。私が小さかった頃は2つ結びが主流だった気がする。 そんな中、髪の毛をお団子にしている子に目がとまった。お団子と言ってもバレエをするようなガチガチのお団子ではなく、1つ結びをする最後にくるんとしただけの簡易的なお団子。