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銭湯を語るには未熟すぎるが、それでも語りたい思い出がある

幼少期から湯船に浸かるのは非日常だった

一人暮らしになると浴槽を掃除するのも面倒だし、水道代・ガス代も嵩むので湯船に浸からずシャワーで済ませる人が多いと聞いた。

私は実家に住んでいたときから、滅多に湯船に浸からなかった。家族全員(と言っても一人っ子なので両親二人)がシャワーでいい派で、たまに夕方の早い時間からお湯をためる、ちょっと特別な日曜日があった。

そんな家庭で育ったので一人暮らしをはじめてからも当たり前に毎日シャワーの生活をする。そして、たまにお湯をためる、ちょっと特別な土曜の夜がある。
日曜の朝に予定がないときは、湯船に浸かりながら「オードリーのオールナイトニッポン」を聴くのが至福の時間だ。

私にとって「湯船に浸かる」という行為は今も昔も、少し非日常で特別感がある。

地元の極楽湯は蕎麦が美味しかった

私が幼稚園児くらいのとき、当時住んでいたマンションの給湯器が壊れて、毎日極楽湯に通っていた時期があるらしい。
私は無論、何も覚えていない。

小学生になってから極楽湯に行ける行事といえば「友達が泊まりにくる日」だった。お泊りをするほど仲の良い友達だけで銭湯にいって、あがるタイミングを伺いながらお風呂を楽しむ。

この楽しみ方が高校卒業まで同じように続いた。
極楽湯は家から自転車で十数分の場所にあるのに、一人で行ったことはない。

外食の頻度がきわめて少ない家庭だったけど、小学生の頃に家族で極楽湯に行ってお風呂上りに蕎麦を食べたことが何度かあった気がする。なんでもない思い出だけど、なぜか今になっても覚えている。

この極楽湯を最後に訪れたのは5年以上前だけど、今も覚えている景色はたくさんある。

脱衣所の床が竹みたいな材質だったこと
ロッカーの高さが小学生の私の目線くらいだったこと
日替わりの薬湯の説明文を読んでいたこと
岩でできた露天風呂で滑ったこと
露天風呂の近くのテレビでちびまる子ちゃんを見ていたこと

情景と思い出が芋づる式になって次々と浮かぶ。

大学の近くにあった極楽湯

行った回数で言えば、大学近くの極楽湯が一番多いはずだ。大学3回生の頃は週に1回はお世話になっていた。

だが、ここの極楽湯が自分でもびっくりするほど記憶にないのだ。靴のロッカーと券売機は辛うじて覚えているものの、浴室の雰囲気や露天風呂があったかどうかも思い出せない。

なんで週に1回もお世話になっていたかといえば、当時付き合っていた人の家のガスが止まり、その状態で1年くらい放置していたから。当時の私は狂うくらいの時間を課外活動に捧げており、週に2日くらいしか実家に帰っていなかった。

大学の合宿施設にあるシャワールームに忍び込んだり、彼氏の家で水を浴びたりするなかで、たまに行く極楽湯は確かに「正常な生活」を取り戻してくれるところではあった。

しかし、それまで私が実家近くの極楽湯に感じていたような特別感はなく、人間として正常な暮らしをするための手段に過ぎなかった。だから何も覚えていないのかもしれない。

ちなみに、ここの極楽湯は私が3回生の頃の冬に閉店してしまい、それと入れ替わるように社会の情勢も変化していった。

人生初、琵琶湖のほとりのちいさな銭湯<都湯>

大学4回生になった頃、私ははじめて町の小さな銭湯に出会った。JR琵琶湖線・膳所駅の近くにある都湯というお風呂やさんだった。

都湯は、ゆとなみ社が経営を引き継いだ銭湯でいまは番頭のハラさん夫妻が独立して営業されている。
この記事、長いけど都湯の歴史のすべてが詰まっていて面白いのでぜひ読んでみてほしい

お風呂屋のチェーン店である極楽湯と旅館にある温泉しか知らなかった私は、綺麗でこじんまりしてて居心地の良いお風呂屋さんが一瞬で好きになった。

これまで「友達が来るから」「お湯が出ないから」という理由がないと銭湯に行っていなかった私が、数か月に一度「ただ、小さな非日常をもとめて」都湯を訪れるようになった。

都湯の特徴が天然地下水の18℃の水風呂だったから、はじめてサウナにも挑戦した。はじめは熱すぎて30秒が精一杯だったけど、何度か入るうちに今は滞在時間が6分まで伸びた。実は都湯のサウナは他より熱いらしいけど、私はこのサウナしか入ったことがないので比べようがない。

小学生の頃、水風呂は少し変わった大人が入るものだと思っていたけれど、今では水風呂なしに銭湯を楽しめない身体になってしまった。

そして、都湯にはYouTubeやグッズ等、良い意味で銭湯とは思えないくらい魅力的なPRコンテンツが揃っている。

これからも定期的に訪れたい、大好きな場所。

初めておとずれた銭湯で素敵な出会いが<容輝湯>

はじめて都湯に訪れてから約2年が経つ先日、私は人生2軒目となる町の銭湯に足を踏み入れた。

JR琵琶湖線・石山駅から10分ほど歩いたところにある容輝湯は、都湯とおなじくゆとなみ社が引き継いだ銭湯だ。

趣ある佇まいが特徴のこじんまりとした銭湯で、ひたすら心を無にお湯に浸かる。
42℃のお風呂と水風呂を交互に入りながら1時間くらい経った頃だろうか。小さな女の子が浴室のドアを開けた。つづけて、お母さんとおばあちゃんらしき人が続く。

しばらく水風呂でぼーっとしていると、女の子が近づいてきて「こんにちは」と私に声をかけた。先に身体を洗ってもらって暇になったらしい。

私も「こんにちは」と返すと、「一緒にはいろ!」と無邪気に私の手を引いて熱いお風呂に向かった。お母さんが髪を洗いながらふりかえり「すみません、、」と申し訳なさそうにしていたが、子どもと話すのが好きな私はむしろ感謝を伝えたいくらいだ。

結局そこから30分くらい、数分に一回お風呂を移動しながら、その女の子といろんなことを話した。幼稚園の先生の話、お母さんの話、友達の内緒の話、たくさん話してくれた。

「あと30秒数えたらお水入ろうね!いーち、にー、さーん」と数えるのを見て、自分がお風呂に入るときもこうして数を数えていたなぁと遠い昔の記憶を掘り起こしたりもした。

5歳児らしく水風呂に潜ろうとするのを注意して引き上げたり、走ろうとするのを引き留めたり、痺れを切らせたお母さんに叱られるのを少し離れて見守ったりもした。

お風呂上がりに駐車場の近くで涼んでいた親子に向かって、少し大きな声で「楽しかったよ、ありがとう!またね!」と手を振った。帰り道に心と体がホカホカしていたのはお風呂に入って火照ったから、だけではないはず。

一人で静かにお湯の泡をながめていた1時間。
5歳の女の子とたのしく過ごした30分。

どちらも最高の ”銭湯らしい時間” だった。
また日曜日の夜に行ったら、あの子に会えるかもしれない。

初めて訪れた銭湯で、これ以上ない素敵な思い出ができた。
容輝湯、これからも行きます。

ちなみに、容輝湯にはマイクロマジックがあるらしい。
ハライチのターンリスナーとして買いにいかねば…

お風呂という日常を、非日常に変える魔法

お風呂というのは当たり前に生活にあるものだ。その当たり前を少し特別にしようとして、人々はバスソルトや入浴剤を買うのだろうか。

成分や温度が違うとはいえ、「お湯に浸かる」という行為にここまでこだわる人種も珍しいように思う。家に浴槽があってもたまに銭湯に行きたくなる、旅先に温泉を選ぶのはどうしてだろう。

「足を伸ばせる」「泡が出る」だけでは説明できない、銭湯ならではの魅力を私はまだちゃんと言語化することができない。もっと通いつづけたらもっと違う景色が見れそうで、想像もつかない思い出ができそう、というワクワクがある。

銭湯にはきっと、そんな日常のお風呂の時間をガラッと特別なものに変える魔法がある。そんな魔法にかかりに、私はこれからも銭湯へ行きたい。


テルマエ・ロマエのセリフを最後に添えて。

「広ければいいというものではない。派手であればいいというものでもない。安らげる場を与えてこそ、人々の幸福につながる」


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