自分を生きるしかないんだろうな
6月4日(土)25:00~のオードリーのオールナイトニッポンは、いつにも増して「私の好きなオードリー」であふれていた。
オープニングで若林さんが、「二度と自分に戻れないとして、誰の人生を歩んでみたいか」をいろんな人に質問するのが好きだと話していた。スポーツ選手や俳優の名前を挙げる人もいれば、「やっぱり自分のままが良い」と答える人も一定数いるらしい。
そんなトークを聴きながら、私ならどう答えるかなぁと考えを巡らす。
私は多分、「私のままが良い」と答えるような気がする。だが若林さんの質問と、回答者としての私はスタンスが結構ずれていると思った。
ずれの主な要因は、年齢だと思う。
私はいま23歳で、もうすぐ24歳になる。自分の人生をどう歩むか、まだまだ分からないことだらけだと思っている。どうなりたいか、もあやふや。
だからこそ、23年間をともにしてきた自分の肉体と精神がこのさきどんな道を歩むのか、第三者のような目線で気になってしまう。
だから私は私のままが良い。
若林さんは、「若林さんになりたい」というひとに対して「俺の20代過ごしてみろよ」と言い返したくなるらしい。
ショーパブでネタをして、ウケなかった言葉を書き換えて大盛りのカレーを食べる春日さんに伝え、またネタをする日々の10年間。
そんな日々が自分の人生だと知っているからこそ、若林さんはダンクシュートをする選手(名前は忘れてしまった)になりたいと思うのかもしれない。
春日さんは、原付で走り回っていた20代をもう一度過ごしたくはないけれど、自分のままが良いと答えた。
この質問はそもそも、「その人として生まれなおす」か「今からその人になるか」で答える人によってずれが起きていると思った。
オードリーのオールナイトニッポンでも作家をしている佐藤満春(サトミツ)さんは、”いまの”キングカズになりたいと言っていた。
その人の人生を歩みたいと思うか、2022年の今を生きる人に乗り移るかでは、考えようは確かに異なる。ただ、その選択をするのは2022年まで生きてきた「自分」である。
自分ではない誰かの人生を歩めるとしたら
もし誰かになれるとしたら、それでも自分でいたいと思うだろうか。
私が真っ先に考えたことは、「もし吃音をもっていなかったら」である。
生まれつき、発声が下手でどもってしまう。そのせいで、これまでたくさんの場面で言いたいことが言えず、人前に立つことを拒んできた。
もし吃音のない人として生まれていたら、23歳の自分はどんな場所にいるのだろう。
小学校の頃から、「人前で話すのが苦手じゃなかったら学級委員に手を挙げるのにな」と思ったことが何度もあった。結局高校3年生まで一度も手を挙げることはなかったが、そういう気持ちがあったのは確かだ。
もし毎年クラスの学級委員をしていた世界線があれば、その世界に生きる23歳の自分はいまとどれだけ性格が違うだろうか。同じものを見て、同じことを思うのだろうか。
これは吃音の有無に限らず、自分が生まれ持つ特性や育った環境、どの部分にも言えることだと思った。当たり前だけど、自分の人生を歩んできたから、今の自分がいる。そして、やっぱり私はこれからの自分の人生も気になる。
これから何者かに乗り移ることができるなら
こっちの質問は、いまの自分を捨ててまでしてほかの人になりたいか、というものだ。今後の人生で、自分がどんな景色を見たいかという質問にもなり得るだろう。
いま書いていて思ったが、若林さんが言っているのはおそらくこっちだ。
前の見出しは要らなかったな。
もし今の自分を捨てて他の誰かになるなら、私はおそらく研究者を選ぶ。
物理学か地球工学あたりを専攻する優秀な大学院生になりたい。そして、大学の研究センターに居座り、本当に社会のためになる開発をする人生をおくってみたい。
その人生でどんな景色が見えるかは、いまの世界を生きる私には分からない。それでも、自分のもつ専門性や思考力、ひらめきを最大限に生かした発明を起こしたいと心のどこかで思っているのだろう。
そういえば高校生の頃の将来の夢は「防災に携わる研究者」だった。
今の自分は…
「研究者になりたい」と言ったら、周りの人はどんな反応をするだろう。もっと年上の大人からは、「20代で若いんだから今からでも出来るよ」と言われるかもしれない。
でも私は今から研究者になろうとは思わない。
大学時代に物理の勉強が分からなくて、その道を諦めたという「経験」があるので、何度志しても同じだろうと思っている。
もし医療が発達しまくって、頭を良くすることも可能になって「今の脳みそなら物理がすらすら分かる」と言われたら、そこから研究者を目指すかもしれないが、そのときには周りの皆も頭が良くなっているから無意味だと考える可能性もある。
今の自分は、誰の人生に乗り移ることもできない、頭を急激に良くすることもできない、今の私は、これからの人生でどんな景色を見たいと思っているんだろう。
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だれかをご飯に誘える人生なら
冒頭で、先週のオードリーのオールナイトニッポンに「私の好きなオードリー」が詰まっていると書きながらほとんど自分語りの文章になってしまった。
若林さんのトークゾーンで、くりぃむしちゅーの上田さんをご飯に誘えなかったという話があった。パンサーの向井さんや三四郎の小宮さんともご飯に行きたいけど誘えないと仰っていた。
私は勝手にこの話に共感をしまくり、首がもげるほど頷いていた。
昨日、1時間くらい散歩をしながら、一緒にご飯を食べながら話したいと思う人を頭の中でたくさん出してみた。高校のときの友達、大学で知り合った人、SNSしか知らないラジオリスナーなど、誘えるかどうかは置いといて一方的に「話してみたいな」と思う人を考えてみると、30人近く浮かんだ。
そのうちで自分から誘えるかもしれないと思ったのは5人くらいだった。
全員連絡先は知っているけど、ご飯行きましょうなんて言い出せない。
もし自分ではない誰かだったら、30人全員に声をかけることができる人生なんだろうか。でもそうなったら多分、声をかけたい人もまったく違うんだろうな。
今、取り返しのつかない、誰とも替えのきかない人生をおくるなかで「話してみたい」と感じた人と一緒にご飯を食べながら話せるような人生を目指すくらいなら、23歳の私にも出来るかもしれない。
何年後になるか分からないけど、このnoteを読んでくださっている誰かともじっくりお話ししてみたい。
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以上、リトルトゥースの独り言でした。
アディオス