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”縁”に揺さぶられる人生もきっと素敵だ

noteのおすすめ機能というのがとても優秀だ。
頭の中を覗かれているかのように、興味のある記事が勧められる。

「人間の仕事がAIにとられる将来も近い」と恐れる声もあるが、おそらくnoteのおすすめ機能は "AIの仕事" で(システムを考えているのは人だと思うが)、このAIの使われ方はめちゃくちゃベストだなぁと感じたりもする。

さて、序盤から話が逸れすぎてしまった。

前述したようにnoteのおすすめ機能がとても優秀なのだが、中でもよくおすすめされるのが "地方移住" ”田舎暮らし”関連の記事である。

移住先の選択肢がおおすぎる

私自身が大阪から滋賀に移住してきたというのもあり、移住というテーマにはとても関心がある。

何に魅力を感じて、人生におけるどんなタイミングで移住をしたのか、そこで何を感じるのか、読めば読むほどその地域への親近感が湧き、未来の旅先の候補が増えていく。

そんな記事をたくさん読んでいくなかで、当たり前のことに気が付く。

移住前に住んでいた場所の多くは都市圏か大阪なのに、移住先の地域は全国各地だなぁ、と。

日本という大きな地域のなかで、都会と呼べる場所が偏っているのに対して田舎といわれる場所が多すぎるのだ。
都会に出たい!と志す若者が目指すのは、ほとんど東京。

では、田舎で暮らしたい!という人が目指す地域はどうやって決まるのだろう。

きっかけは「人」がほとんど

いろんな移住者のnoteを読んできて一つ確信をもてることだ。

結婚した相手の実家が〇〇にあって…とか、旅行で訪れた場所で出会った人に憧れて…とか、インタビューした人が魅力的で…とか、それはもう人の数だけきっかけは存在するのだが、感銘を受けた人がいて、その人がいる地に出向くというケースがとても多い。

よく聞く田舎暮らしの良さとして、「空気がおいしい」「自然が豊か」「ローカルなコミュニティが良い」などが挙げられるが、ぶっちゃけ田舎であればどこでも揃う条件だと思う。

だからこそ、ぼんやりと”田舎にいきたい”と思いながらも行動に移せない人がとても多いのだ。(ここでは根拠は省略するが、私が大学時代に研究でしらべたデータでは、田舎暮らしの欲求がある若者はかなり多く居るらしい)

(転勤等ではなく)自分の意思で引っ越しをするときに、「”自分以外にもその地域を知らない人がたくさんいる”場所=都会」「”自分以外の住民の多くが既につながっていそうな”場所=田舎」であれば前者の方が気軽に行きやすいのも納得ができる。

学校でもなんでも、既にコミュニティがあるところに飛び込むのはかなり勇気がいる行動だ。そして私は昔から、そういう勇気が全然ない側の人である。

信頼できる人がいれば

そんな私がなぜ滋賀への移住を決めたかというと、「頼りたい人がたくさんいたから」である。

詳しくはこのnoteに書いているので、良ければぜひ。
(Vol.2をずっと下書きで発酵させてしまっている)

学校の部活やサークルで、または何かの習い事をはじめるとき、「友達の紹介」というのはものすごい安心材料である。

「友達が行ってたので水泳を習い始めたら、そこからのめり込んじゃってプロになりました」みたいな選手もいるように、その場所にいって話す人がいるという安心感は、その活動内容への興味よりも重要とも言えるかもしれない。

私の場合は「知っている人が多く住んでいるので滋賀に住んでみたら、そこから滋賀大好きになっちゃって、滋賀をPRしたいとまで思うようになりました」、である。

滋賀である意味って

冒頭に書いたように、私はいろんな地域の移住者のnoteを読み、その動機や文章から溢れる人柄に心を打たれている。

読めば読むほど、「滋賀じゃなくても素敵な人が全国にいるんだな」と思える。と同時に、じゃあ私が滋賀にこだわる意味ってなんだろうと疑問が浮かんでしまった。

もし私がnoteを読んで感銘を受けた人に連絡をとり、仲良くなれたとしたら、私はその人が住む地域に移住できるのかもしれない。
大学時代に出会った”滋賀で活動している学生”のなかには、就職をきっかけに別の地域に移住した人も少なくない。

今の私のように滋賀での地域活動から派生して他の地域の人と出会い、そこから別の地域にも関心をもって移住を決めた人も多いのだと思う。

私が滋賀にこだわっているのは、視野が狭いのだろうか。。

結局は縁

大学の研究なら怒られそうな結論だが、これは個人的なnoteなので誰にも文句は言われまい。

結局は縁なんだよな。

いろんな人との出会い、仕事との出会い、人生のタイミングが重なって、そのとき自分にとってベストだと感じた行動をとるのが結局は一番なんじゃないかと。それが縁だと思うのです。

私は偶然滋賀の大学にいって、偶然滋賀で活動することになって、そこでいろんな人に出会って、それが人生において就活という時期につながり、偶然滋賀の会社で内定をもらって、今に至る。

社会人になってからもたくさんの滋賀の魅力的な人と出会って、また次のキャリアを考える段階に差し掛かって、そんな人や場所や時の流れに身を任せながら生きる。

「縁を大切にしてきました」みたいな書き方をしてみたが、私はこれまで、根拠や論理にこだわりすぎていた。

自分の価値観はこういうものだから、こんな場所に居たほうが良くて、こういう人と居るのが良くて、みたいに全てに理由をつけて人生の選択をするのが正しいと思っていた。自分を理解しようとしすぎてしんどかったこともある。

でも、振り返ってみれば結局は縁だったのかもしれない。

分析するのももちろん必要なことだけど、もう少しタイミングとか縁に敏感になってみる方が楽しそうだな、と思ったりした。

だから私は「滋賀に居なければいけない」わけではないし、タイミングを感じたらまた他の地に行く可能性だってある。でも今は滋賀に居たいから居る。それでいいんだ、きっと。


滋賀にしかないもの

はじめのほうに、田舎であれば空気はおいしいし自然は豊かで条件は変わらないと書いた。が、滋賀には他の地域にはないものがある。

そう、琵琶湖。

ただの水たまりだと言えばそれまでだが、私は滋賀にきてから何度も琵琶湖に助けられている。

遠くの仕事場に行くときに、憂鬱な気分で車に乗り込む。湖岸道路を走っていると、琵琶湖は毎日ちがった顔を見せてくれる。ある日はとても青く穏やかで、またある日は曇り空と同化するほどグレーで荒れていて。

朝はとても爽やかで穏やかで、夕方は眩しいほどの夕日が照り付けてキラキラする水面。そんな琵琶湖を眺めていると、「滋賀にきてよかったな」と毎日本気で思うのだ。

そして、海とちがって対岸の景色が微かに見える。琵琶湖という大きな水たまりを囲んで、滋賀県民が暮らしているということを目で見て感じることができる。

滋賀には琵琶湖しかない、とも言えるが、私にとって琵琶湖は心を落ち着かせてくれる景色であり、滋賀に居ることを実感できる場所でもある。

そんな県土の6分の1を占める水たまりを囲む、6分の5の地に暮らすひとたちをもっと知りたいと思うから、もうしばらくは滋賀に暮らしたい。

青い、青すぎる。


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