髪型から”親”を感じる
仕事で幼稚園に行く用事があり、後ろから園児を眺めていた。
みんな髪の毛さらっさらで柔らかそうだなぁと思った。
髪型もばらばらだけど、1つ結びの子が多いように感じた。
三つ編みを混ぜたり、くくる高さが違ったり、ヘアゴムの太さや色の違いもあるけど、1つ結びが多い。私が小さかった頃は2つ結びが主流だった気がする。
そんな中、髪の毛をお団子にしている子に目がとまった。お団子と言ってもバレエをするようなガチガチのお団子ではなく、1つ結びをする最後にくるんとしただけの簡易的なお団子。
このタイプのお団子は、どこか大人が雑に髪をまとめたようなイメージがある。工程的にはシンプルな1つ結びとなんら変わらないけど、どこか抜け感とか雑さが感じられる。大人女子のオフみたいな。
幼稚園の子の髪の毛は大体、お母さんが結んでいるだろう。
しっかり編み込みをされている子は、毎朝ご飯を食べながら編んでもらっているのだろうか。マメなお母さんだなぁ。複数の違う色のヘアゴムで結んでいる子は、個人の意思なのか、それともお母さんのセンスなのか。
ゆるいお団子をしているあの子のお母さんは、どんな人なんだろう。
自分の髪をまとめるのと同じような感じで、とりあえずくるっと結んでいるのだろうか。
前髪
私はものごころついたときから、前髪がなかった。小学校の頃の写真はすべて、おでこ全開。小さい時にいつも前髪を上げていたからおでこが広くなったのだろう。
中学も、高校も、ほとんど常に前髪が鼻よりも長くて、横に分けたり真ん中で分けたり上にあげたりしていた。社会人になった今でも、親に「あんたは前髪ない方が似合うよ」と言われる。
芸能人のジンクスに「おでこを見せる髪型にしたら売れる」というものがある。かまいたち濱家さん、千鳥ノブさん、ハライチ岩井さん等がそれに当たるだろうか。他にもいると思うけど、この3人の大きな共通点として、「目が細い」ことが挙げられる気がする。
人間の顔において、目というパーツは一際印象強いもので、マスクが当たり前になった現在は一層、目からいろいろな表情や感情を読み取らなければいけない。
目が大きくて縦幅が広い人は、前髪があろうがなかろうが目力がしっかりしている。だが、目の細い人は、目から読み取れる情報が少ないので眉毛の動き方とかがそういう役割を担っているのかもしれない。
私は目が細いので、前髪もない方が良いのだろう。
今は結構ぱっつん気味なので伸ばそうかしら。
カラー・パーマ
私の髪は生まれてこの方、カラーやパーマを施されたことがない。
高校を卒業した瞬間、友達がみんな髪を染めていった。「ひなも染めたらいいやんー」とか言われても、「似合わんと思うし...」と返していた。本当の理由は「母親に反対されそうだから」だけど、わざわざ友達にする話でもない。
考えてみれば、母親に「染めたらあかん」とか言われた記憶はない。でもなんとなく、染めてほしくないんだろうな、パーマもあててほしくないんだろうな、と節々で感じる。もっと言えばピアスとかも、絶対に反対すると思う。私も嫌だからやらないけど。
そう思うと、母親に直接言われたことはないんだけど、なんとなく反対されそうだからやらなかったことは沢山ある気がする。
チャラチャラした格好や濃いメイク、カラコン、バーや夜の繁華街に行くこと、ゲームセンターでメダルゲームやUFOキャッチャーをすることも、自分の心の中の母親が「やめときなさい」と制しているように思う。
ちょっとした興味から初めて手の指の爪にネイルをしたとき、絶対に親に見えないように頑張って隠していたことを思い出した。反対されたこともないけど、なんとなく「なんもせん方が良いよ」と言われる気がしていた。
いつからか、母の感覚が自分の感覚に重なってきている。
今まで「親に怒られそうだから」という理由で断ってきたものを、自分の意思で断るようになった。
親の影響ってこういうことなんだろうな。