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自分自身を生きるために

先日読んだ、とある記事から

塾講師をしていた大学生が卒業する高校生に向けて書いた "最後の授業" に刺される、社会人2年目の私。

軸を持って理想を描き、
自分の意志で階段を上れていれば、

君は既に "普通でいる" ことや
"何者かになる" ことより

"自分自身である" ことに
誇りを持てるようになっていると思う。

”未来の友達”へ

自分の意志が足りない

ここ最近、自分がどんな人でありたいかを考えることが増えた。

「まわりに頼られる、求められるひとになりたい」
「このひとと居たら楽しい、話すのが面白いと思われたい」
「ひとりの社会人として、いきいきと生きているように見られたい」

まわりに”こう見られたい” ”こう思われたい” が先行して、”自分自身である” 前に ”何者かになる” ことをばかりを考えてしまう。

そうか、やっぱり以前のnoteで書いたように、自分の意志が足りないんだ。自分自身に誇りをもつなんて、到底できない。


直感にまかせてみる

atom.さんの記事をほかにも読み進めると、”自分の色の探し方” を考えて実践されていることを知った。そして、どうやら就活生などを対象に自己分析のお手伝いのようなことをしているらしい。

普段なら絶対に自分からだれかに声をかけたりしないけれど、「この文章を書く人に話を聴いてもらいたいな」という直感にまかせてメッセージを送った


そして数日後にZOOMで対面。

具体的な話はここでは割愛するが、「仕事」「人間関係」「余暇」「成長」という4つについて自分がどうありたいか、を話していく。

「どうしてそうなりたいのか?」
「そうなることで何が変わる?」

atom.さんの問いに導かれるように言語化が進む。

これまでたくさん自分と向き合い考え続けてきたが、いままで一度も出なかったような言葉が自分の口から零れる。


ひとつ印象に残っているのが「柔軟なひとになりたい」というもの。これまで私は「素直になりたい」と思っていたけれど、すでに斜に構えて生きている自分は "素直" とは程遠くて、ただの憧れになっていた。

でも、「自分の考えや価値観をもつ人と関わっていきたい」「まわりから信用される、誠実で寛容な人でありたい」と言葉を出していくなかで、自分の目指す姿は「柔軟な人」なんだと気付いた。

人生で大切にしたいこと

そうした言語化をすすめ、それぞれのテーマにおいて重視したいものを選ぶ。
ボウリングでいう ”センターピン" という表現をされていたが、ここを目指していれば自ずとほかのピンも倒れるという、目指すべき真ん中の軸を探る。

私の4つの軸はこんな感じになった。

仕事:好きな場所で生き生きと働けるような社会

人間関係:
自分の考えに影響を与えてくれる人と出会い続け、つながり続ける

余暇:好きな人たちと関わる

成長:メリット・デメリット以外のところで自己肯定感を持つ

仕事・人間関係・余暇については、導かれるままに結構すらすらと言葉が出てきたが、成長という項目はかなり時間がかかった。

自己肯定感という壁

いままで自分で蓋をしていたところに向き合うときがきた。

私は ”良い人” というお面をかぶりながら、まわりのことも損益や上下関係で判断しているところがある。

頼られるのは良いけど、周りに頼るのはいけない
→周りからすれば、頼りないと思われているのか、と感じる。まわりの人の自己肯定感を下げていることにもなる。

自分の意見は大したことないから、当たり障りのないことを言う
→自分の意見が求められているのに、一般論で返されたら寂しいし、「この人に頼りたい」とも思わなくなる。

「自己肯定感が低い」という盾で身を守りながら、自分の首を絞め、周りも遠ざけていることを受け容れなければいけない。

これまで自分の存在価値は「〇〇ができること」を積み重ねて築いてきた。所属する組織に、スキルやタスクという目に見える利益を与えることで、自分がいてもいい理由をつくっていた。そのためになんでも引き受けて、なんでも出来るように頑張ってきた。

「その行為は実は、まわりの成長する機会を奪うテロだった」
atom.さんは「ぼくも先輩に言われたんですよね~」と話す。

私はこれまで、たくさんの組織でテロをしていた。
そして、今も。

そんな話をして、やっと導き出した目標が メリット・デメリット以外のところで自己肯定感を持つ ことだった。


そして、仕事・人間関係・余暇・成長の4つの目標につながるセンターピンを考える。

しばらく考えて私が出した答えは、自分の感覚に正直になる というもの。

「できること」以外で自分に自信を持てるようになるには、自分の感じたことが確かだった、という経験が必要だと思った。

そのためにまず、恐れながらでも自分の感じたことをまわりに見せることを行動指針にしてみよう、と。


自分の価値とは

翌日、「仕事でこんなことをしてみたい」という内容の文章をFacebookの友達限定で投稿をした。

以前なら明確に形になってから、書類で限られた人にだけ送っていただろう。

何も形になっていない、現実味のない「こんなこと出来たらいいのに」という投稿に対して、5人からのコメントがあった。
こんな活動をしました!という形に見える報告の投稿よりも多い数の ”いいね" がきた。

「こんな事例がありますよ」
「これもヒントになりそう」
「その志、とても良い!」

正直、数年前にfacebookで友達になったけど私のことなんて覚えていないだろうな、という方からも反応があった。

私なんかの興味関心も、だれかに知ってもらえる価値があるんだと思えた。私に協力したいと思ってくれる人もいるらしい。


自分で出した軸に言い訳はできない

私はまだ自己肯定感を上げることに、少しの恐怖を感じている。

傲慢になってしまったらどうしよう、調子に乗ったらどうしよう、と思いながらFacebookのコメントに返事をする。

今までなら引き下がっていたかもしれない。やっぱり自分に自信を持たないまま生きたほうが無難だ、と思っていたかもしれない。

ただ、今回考えた軸はすべて自分の「こうなりたい」という気持ちに基づいたもので、何かを犠牲にして出した答えではない。

何かジレンマを残したまま考えた軸は一つもなくて、いままで自分はジレンマという言葉に甘えていたことに気が付く。


今後、自分の感覚にすこし正直に生きてみるなかで、どれくらいの変化があるのかは分からない。でも論理的に考えてみても悪いことは起こらなさそうだし、むしろ生きやすくなる未来が見える。


おわりに

今回noteを読んでatom.さんに連絡をしたのは、思い返せば紛れもなく「自分の感覚にたよった行動」だった。

「この文章を書く人に話を聴いてもらいたいな」という直感は、結果的に私が人間関係において大切にしたい軸である「自分の考えに影響を与えてくれる人」との新しいつながりをもたらした。

そして、今までなら「時間をとらせて申し訳ない」という気持ちが先行していたと思うが、今回は不思議と終わったときに申し訳なさを感じることはなかった。

4時間という長丁場ではあったけど、とても刺激的で楽しい時間だった。これが本当の「聴く力」なのだろう。


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まだまだ書き足らないことはたくさんありますが、今回は自分の軸をつくる記録ということで、ここらへんにしておきます。

さいごに、1on1の時間をとってくださり、4時間にわたって話を聴いてくださったatom.さんに心からの感謝を込めて。

ありがとうございました!


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