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稚児灌頂とは何だったのか(忍たま土井先生考察)


本記事は児童に対するせいてきぎゃくたいと受け取れる内容があります。不快な方は読まないことを推奨致します。


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以前、記事と呟きに取り上げた稚児灌頂。
現代でははんざいですが、中世のしゅうきょう的・環境的・恋愛的?価値観とは違うので、そこは長文で弾劾せずに話を進めようと思います。
(中世は、僧侶が女性の代わりに幼い男子とせい的関係を持っていたと言われています。創作では雨月物語の青頭巾が有名)

この儀式に興味を持ったのはたまたま知ったからですが、土井先生が教科担当忍者として知識があるのは、幼少期に寺に入山したという設定があるからです。原作50巻参照。
当時はまだ何の資料にも触れていなかったため、ネットで調べた程度の知識しかありませんでしたが、フィクション小説(だったかな?)によっては、上中下の稚児があり、上は武士や公家の子で僧侶に手を出されることはなかった。とか、
武士や公家の子だからこそ関係があった後に明治時代まで続く衆道になった。
という説もあります。
土井先生は武家の子だから、どちらにしても可能性があるのかな…?と色々考えてしまいました。

そのため、まず今東光の中編・稚児を読みました。
今東光は比叡山の大僧正であったため、一般人(三島由紀夫レベルでも)が入れない叡山文庫から写本を解読して、物語を創作したとか。
その経緯と内容が、中世の僧侶と稚児のイメージを流布させたのかも知れません。
物語の稚児の描写の印象としては、せい的関係がありながらも…悪いいい方をすれば、綺麗に着飾ったペット?のように連れ歩いて可愛がってると受け取れました。
ただし、子供全員を手当たり次第というわけではなく、選ばれた子だけを可愛がる?感じに捉えました。
(ちなみに今東光は川端康成と親友だったらしい、wiki参照)

また、最古の稚児文学としては秋夜長物語で、こちらは公家の子息が稚児です(ということは、武士の子息も…?)
稲垣足穂も一節に取り上げていましたが、セクシャルなエピソード集の様で全体的によく解りませんでした…。

以上の創作物から大体の稚児のイメージを捉えたように思ったところで、上掲の研究書を読みました。
その時点で殆ど興味を失っていたので拾い読みですが、同書は今東光の作品が稚児文化の正しい姿とは考えてないようで、
物語として多少改変もしくは装飾したのではないか…という結論だったように思います。(自分なりの解釈です)
ますます解らなくなってしまいました。

ネット情報のみの段階では土井先生が稚児だった可能性を考えて、その性格形成の過程を(いい意味で?)捉えたりもしました。(当時は男色は普通で、僧侶ならまともな教えを受けたであろう?という様な…)

次に、今東光の稚児を読み、どうも「可愛がってる」印象に違和感があるので土井先生は稚児灌頂受けてなさそうだな…と思ったり。
最後にこの研究書で、稚児灌頂そのものに対するイメージが曖昧になりました(読解力不足です)。
結論としては、具体的な根拠として二次資料(今東光、研究書)を飲み込めないままではありますが、土井先生の性格を考えて稚児灌頂は受けなかったんじゃないかなーと思いました。
人間の性格形成過程なんて、本人と専門家にしか解らないと思いますが。

この話題は、おそらくこの記事で終了です。

以上
参考論文↓  
稚児の性(PDFで読めます)

寺院社会における僧侶と稚児 : 『往生要集』理解を中心として(PDFで読めます)

日本仏教における僧と稚児の男色(PDFで読めます)

過去の記事↓

↑英訳版、GPT4o翻訳

https://note.com/nice_mango413/n/nc18ebe109eb3

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