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【短編小説】思うところ
世の中の当たり前なんて、クソ喰らえだ。年ごろのせいなのかわからないけど、最近よく感じる。
「いい高校に入って、いい大学に入って、いい会社に入ったりするか公務員になったりする……」
「あんたは○○なんだから、もっと××らしくしなさい」
大人たちが「当たり前」という見えない炎で焼き尽そうとする。そして心の形を溶かし、液体へ変えていく。液体へ変わった後に型に流し込み、冷えるまで形にする。
「苦しい」
「つらい」
と力いっぱい叫んでも、大人はよく溶けるように、より「当たり前」の火力を上げてくる。そして声を圧殺する。だから、私がいくら何を言っても、業火で焼き尽くしてくるのだ。
「君は将来何になりたい?」
「君の好きなこと、得意なことは何?」
溶かして型にはめたがるくせに、大人はこうした質問が大好きだ。管理ばかりしているのに、自分の意思を求めてくる。職業や世の中で認められていない、少しでも「当たり前」からズレたことを言えば、「劣等生」や「人間の屑」のレッテルを貼られる。
私は勉強もできないし、運動もできない、友達もいない、おまけに不器用。何を言いたいのかといえば、圧倒的に「何もない」のだ。だから、私に押し付けられる「当たり前」の炎の火力は、誰よりも強い。そんな炎に溶けて、自分の形が無くなってしまうのが怖い。自分だけれども自分ではない誰かになりそうな気がして。
昔の有名な歌手の曲の一節みたいに、夜にバイクを盗んで駆け出したり、校舎の窓ガラスを割りまくったりして、反乱を起こしたい。が、私にはそんな度胸もない。だから、どうにか耐えに耐えに耐えていくしか方法がない。嫌だと思っても、自分にはそうするより他に道が無いから。
「なら、誰かに話せばいいでしょう? 君が、いや、私が『つらい』、『苦しい』って思っていることを」
脳内にいるもう一人の私が、私にささやきかけてくる。
「わかってるよ! でも、怖いんだ。自分が意思のない臆病者だって思われるのが、どうしようもない人間の屑だって思われるのが」
「決めるのも、やるのも私次第。思っていることは、言葉にしないと伝わらないよ」
「何でも言葉にすればいいのかよ。それができたら苦労なんてしないよ!」
「だから、友達ができないし、自分の中の苦しみが心に巡って自家中毒になる。そうして苦しい思いを繰り返していくの?」
「……」
何も言い返せない。
心の中にいるもう一人の私は、いつも正論を言ってくる。
「やればできる」
それぐらい誰にだってわかる。馬鹿で無知な若輩者の自分にだって。けれども、それをいざ実行に移すとなると、莫大なエネルギーを使う。だから、辛いし、自分の中でその辛さや行き場のない怒りが蓄積・循環していって、自家中毒にもなる。
素直に生きられるならどれだけいいだろう。そう考えると、今にも泣いて叫びたくなる。
どうすればいいのか、考えた。親に話しても学校の先生たちと同じことを言う。そして友達はいない。話そうにも誰に話せばいいのかなんて、わからない。
(いっそ、誰も知らない誰かに打ち明けてみよう)
そうすれば、気を遣うこともないし、同じことを言われる可能性だって低いかもしれない。
(でも、私は話すことが得意じゃないから、どうしようかな……)
話そうにも上手に話せない。だから、どうしても途切れ途切れになってしまう。
(あと、なに言われるかわからないから怖い)
相手は僕の顔も性格も知らない第三者。受話器や画面の向こう側の人間が傷つこうが知ったことではないから、酷いことを平然と言ってくるかもしれない。
ある日私は、意を決してブログをはじめることに決めた。
おっかなびっくり、スマホのフリックを入力し、ブログの記事作成画面に、私の思っていることを打つ。大人たちの言う当たり前に辟易していること、将来の夢が無いこと、自分が大人の押し付ける優等生のように生きられないこと……。拙い文章に思うところの全てを乗せ、書き出した。内容が内容だから、どうせ批判しか来ないのは全て承知のうえで。
翌日ブログの管理画面を開いた。が、意外にも、見られていなかった。
私はホッとした。が、油断していると、通知のベルマークに「2」と表示されていた。
おそるおそる、通知を見てみる。そこには、いいねがついたこと、コメントがついたことが書いてあった。
(どんなことが書いてあるのかな……)
不安で不安でたまらない。批判や誹謗中傷だったらどうしよう。
怖がりながらも、コメントを見てみる。届いたコメントには、こんなことが書かれていた。
辛いよね。私も若いときはあなたと同じで、大人なんて、世の中なんてクソ喰らえって思ってた。けれどもね、これからの人生いろんな人たちと出会う。そうした出会いの中で、人生の答えや正しさとは何か考え、探していけばいい。そう世の中で生きている大人の一人である私は考えてます。
(よかった……)
ひとまず、批判とか誹謗中傷ではなくて。同時に今の自分と同じことを考えていた人がいたのには、少し救われた。答えや正しさは一つではない。このことがわかっただけでも楽になれた。勇気を出して思いの丈を書いた甲斐があった。
「また書こうかな」
思ったことを言ったところで、自分の世界が大きく動くとかそういうことはない。でも、もしかしたら、自分と同じことを考えている仲間がいるかもしれない。そんな淡い希望を胸に、私はスマホの画面に向き合った。
今日もスマホの画面に表示されたフリックを私は打つ。真っ白な画面に自分の思ったこと感じたことを。
この前はネガティブな話をしたから、今度は楽しい話を書こうかな。
(おわり)
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