「“ADHD”について」/ 自制心がない
前回の内容はこちら▼
⑩自分の欲望を制御できない
一時的に芽生えた自分の欲望?を、制御することができなくなる。
具体的には、
[会話をする上で困ること]
・相手の話を遮って話してしまう。
・喋り始めると止まらない。
・早口になってしまう。
・大声で話してしまう。
[それ以外]
・何でもかんでもSNSに載せてしまう。
・お金を使いすぎてしまう。
という感じだ。
まず、[会話をする上で困ること]について。
友達など、仲が良い人と話しているときに、自分の喋り方や話すタイミングをコントロールすることができない。
喋り始めると止まらなかったり、つい早口になってしまったり、電車の中など公共の場でも、知らぬ間に大声で話してしまっていたりする。
誰かが話している時でも、常に自分の話したいことが湧いてくるので、つい人の話を遮って話してしまう。
◯喋り始めると止まらない
私は、自分の話題などを話し始めるまでは時間がかかってしまう。
タイミングがわからなかったり、何から話して良いかわからなかったりして、友達と一緒にいてもタイミングを逃し続けてしまうこともある。
そのくせに、一度話し始めると一切止めることができず、いつまでも話し続けてしまう。
小学生の頃、知り合いの大人から「マシンガントークだよね」と(悪い意味合いではなく)言われたのをきっかけに自覚した。
そこから12年間くらい、ずっと「マシンガントーク」を辞めることができないままでいる。
◯相手の話を遮って話してしまう
誰かと話している最中、例えば、自分の興味のある話題や、自分が普段から考えている内容の話題になったとする。
その場合、相手が話した1つの話題に対し、話したい内容が一瞬で10個くらい湧いてきてしまう。
その10個の内容に対して、自分の中で一瞬でトーナメント戦を行う。
10個中9個の内容は敗北し、1つの内容のみが勝ち残る。
その勝ち残った1つの内容を、相手の話を少し遮ってまで挟んでしまう。
せっかく勝ち抜いた1個の話題だけでも伝えてあげないと、犠牲になった他の9個の話題がかわいそうだ、と思ってしまう。
そしてその結果、また話が展開する。
また新しく出てきた相手の意見に対し、伝えたい内容が、また10個湧いてくる。
またトーナメント戦をし、勝ち抜いた1つの話題を挟んでしまう。
こんな感じで、私は何個も何個も話題を犠牲にしているはずで、ちゃんと勝ち抜いた、絞りに絞った1つの内容だけを話している。
それなのに、相手に「話を遮ってくる」「自分の話しかしない」と思われてしまう。
私は10個中、9個もの話題を犠牲にしているはずなのに。
100個中99個くらいの話題を犠牲にしないといけないのだろうか。
私は、人と直接話す「会話」ももちろん好きだが、LINEなどの「メッセージ」の方が気楽で好きだな、と思う。
その理由も、ここにあるのかもしれない。
全ての話題に対して漏れなくリプライすることができるので、9個の話題を1つも捨てなくて済む。
お互い好きなタイミングで好きなように返せるのも気楽だ。
人との会話も、メッセージのような形式になったら良いのにな、と時々思う。
◯早口になってしまう
自分の好きな話をしている時。
話が盛り上がって楽しくなった時。
伝えたい内容が多すぎる時。
私は知らぬ間に、早口になってしまう。
(面接やプレゼンなど、焦って頭の中が真っ白になり、早口になることもあるが、これはまた別なので割愛。)
私はただ、「思考のスピードと同じスピードで話している」だけだ。
むしろ、思考のスピードに口が追いつかず、もどかしくて気持ち悪くて吐きそうになったり、泣きたくなったりすることもある。
「頭の回転が早い」と言われればそうなのかもしれないし、一応褒め言葉にはなるが、それを良い方に活かせず、悪い方に活かしてしまっているので何にも得はない。
時々、早口なことを指摘されたり、からかわれたり、「ついていけないからもう少しゆっくり喋って」と言われることもある。
その度に自己嫌悪で泣きそうになるし、こんなことになるくらいならもう何も話さなきゃよかった、と思うくらい病むが、何回も何回も同じことを繰り返す。
話すスピードに気をつけながらゆっくり話すくらいなら、もうなんにも話さない方がマシだ。
「ゆっくり話そう」とすると、気持ち悪すぎて吐きそうになる。
思考のスピードと同じスピードで喋っているから楽しいのであって、思考の何分の一くらいのスピードで喋るのは、もう何を話しているか自分でもわからなくなるし、話そうと思っていたことが何だったのかも忘れてしまうし
そんなことするくらいだったら何も話さない方がマシに決まっている。
それを分かりきっているのに、やっぱり人と一緒にいると、話さずにはいられなくなる。
そして、また何回も何回も後悔し、死にたくなる。
◯大声で話してしまう
話している最中に声量に気をつけることができず、電車の中でも大声で話してしまう。
他の「話し始めると止まらない」「話を遮ってしまう」「早口になる」などにも共通するが、
私は話す内容に集中し、楽しくなってしまうと、「周りを見る」ということに脳の容量を割けなくなる。
その結果、つい早口になったり、声が大きくなったり、話しすぎてしまったりする。
また、話に夢中になっている最中に「制御しないと」という発想が頭の中に湧いてこない。
もしも湧いてきたとしても、どう頑張っても制御することができない。
無理矢理「制御しよう」と頑張ると、吐きそうなくらい気分が悪くなる。
これらを、直せるものなら直したいに決まっている。
「直さないと」とは思っているし、かなり悩んでいるし、家に帰ってからその日の反省会が始まることもある。その度に病みまくって、泣きそうになる。
誰にも言われなくても悩んでいるのに、その上で誰かに指摘されたり注意されたりしてしまうと、もう心がズタボロになって修復不可能になる。
自分でもわかっているし、直そうと何度も努力してきているし、その上で直すことができなくて悩んでいる特性。
その内容を指摘なんてされようものなら、もう「傷口に塩を塗る」どころか、「傷口を火で炙られた」くらいの感覚だ。
指摘されたり、後から自分の行動を振り返った時に死ぬほど病んで、こんなに病むくらいなら、もう口にガムテープでも貼って一言も喋らずにいる方が絶対に楽なのに。と思う。
それとも、人と話すたびに死にたくなるのだから、もう死ぬまで二度と人と会話をせずに過ごした方が良いのかもしれない。
なのに、そんなことをできるわけがなくて、また私は人と会ってしまって、また人と話して楽しくなってしまって、何度も何度も同じ失敗を繰り返す。
そして、それに気がつくたびに、死にたくなる。
次に、[それ以外]について。
◯何でもSNSに載せてしまう
感じたこと、考えたこと、自分に起こった出来事などを、すぐにSNSで発信してしまう。
自分が経験した、楽しかったことや幸せだったことについては、「楽しさを誰かに共有したい!自慢したい!」という欲求を抑えきれず、思わず載せてしまう。
自分が辛かったことや苦しんだことについては、「この苦しさをどこかに吐き出さないとおかしくなってしまいそう!」となり、自己防衛のために載せてしまう。
人と直接話す時には、相手にどう思われるかとかを考えてある程度は制御できるし、むしろ話したいのに話せなくて病むことも多いが
SNSでは、(発信しているところを)直接人に見られずに、自分だけの空間で好き勝手に投稿できるので、後先考えずに発信してしまう。
そもそも、自分にネットリテラシーがあまりないのもある。
また、「承認欲求」も人一倍強いのかもしれない。
しかしそれ以上に、「自分の欲望を抑えられない」というのが大きいと思う。
これも、前回述べた「感情的になってしまう」ともほぼ同義かもしれない。
これの例として、過去に自分のしてしまった失敗、いわゆる「黒歴史」をいくつか述べようと思う。
まず、高校の頃。
体育祭で団ごとに作る制作物があったのだが、私は 制作途中の制作物の写真を撮り、勝手にSNSに載せてしまった。
(徐々にできてきてる!すごい!!!見てるの楽しい!!!という感じで楽しくなり、思わず載せてしまった。)
すると、他の団の先輩から、その投稿を消すように言われ、怒られてしまった。
どうやら、制作物は「体育祭当日までは公開しない」ということになっていたらしい。
これについては反省したし、自分の考えが足りていなかったな、と思った。
しかし、最初に「体育祭当日までは写真をSNSなどに載せないように」と注意喚起してくれてもよかったのにな、とも思ってしまった。
また、これも高校の頃。
私は軽音部のライブを見に行くのが好きで、学内・学外に関わらずよく見に行っていたのだが、そのライブの写真や動画を撮影し、SNSに載せてしまっていた。
今考えると、どう考えても肖像権に反しているし(載せるならせめて本人に確認を取るべき)、ライブハウス等によっては撮影自体NGな場所もあると思うし、コピバンだったからこそ、原曲に対する著作権とかもあるのかもしれない。
これ以外にも、友達と一緒に撮った顔写真を、本人に確認を取らずにSNSに載せてしまう、ということもあった。
(写真を撮ったら載せたくなってしまうので、友達に注意されて以降、自分から友達と一緒に写真を撮ることすらほぼ無くなってしまった。)
また、これは大学卒業後の話。
どうしても行きたいイベントがあったのだが、数ヶ月前から友達とのお泊まり会の予定を入れてしまっていたため、そのイベントに行くことができなくなってしまった。
それが本当に悲しくて、SNSの裏垢で、「友達とのお泊まり会入れてしまって〇〇に行けない、悲しい。けどその分お泊まり会楽しんで、来年こそはそのイベント行く!!」と言った内容を呟いてしまった。
その裏垢は、一緒にお泊まりに行く友達も見ているのに、それを一切考えずに投稿してしまった。
すると、会ったときにその友達から、「ああいう投稿されるとこっちまで罪悪感湧くから辞めて。」と注意されてしまった。
これについても、やはり考えが足りていないのと、衝動的に自分の辛さを呟きたくなってしまったことに対して反省したし、
いかに自分が最悪な人間かを突きつけられて、心が冷たくなった。
また、これも大学卒業後、つい最近の話。
このnoteで、自分のことをネタにするために必要な説明として、登場人物である友達の事情についても、細かい部分まで書いてしまった。
結果的にその友達を傷つけてしまい、その投稿を消して欲しい、と言われてしまった。
そのnoteは消したが、これも自分の考えが足りなかったな、と反省した。
noteやブログ、SNS、自分の制作物など、何においても、(本人を特定できない書き方だとしても)、周りの人のプライベートな情報を載せる場合は本人に確認を取り、厳重に行う必要があるな、と学んだ。
また、他にも、アルバイトや会社で行った業務内容など、(楽しいと特に)自慢のために載せたくなってしまう。
(実際に載せてしまったこともある。)
つい最近、情報漏洩やコンプライアンス等について学ぶ機会があり、自分のやっていたことがいかに悪いことだったのかを改めて自覚し、これも反省した。
これ以外にも、楽しすぎる時や辛すぎる時、その感情を制御することができず、思わず呟いてしまうことが多い。
それが結果的に、人を傷つけたり、人に嫌な思いをさせたり、人に迷惑をかけたりする。
また、自分に対する周りからの評価も下がってしまう。
どうにか、改善していきたい。
◯お金を使いすぎてしまう
お金を使いすぎてしまう(特に食費)。
とにかくお金を使いすぎてしまい、貯金ができない。
私は一人暮らしをしているわけでもないのに、
月に合計12万(うち6万は食費)くらい使ってしまう。
これについては、まず、
「朝起きられなくて家を出るのが時間ギリギリになる」が原因で、
・交通費が安い行き方では間に合わないので、高い方の電車に乗るしかなくなる。
・スーパーやコンビニに行く時間がないので、飲み物は自販機で買うしかなくなり、高くなる。(もちろん家で水筒を用意する暇もない)
・朝バタバタしていて忘れ物をして、家にはあるのに同じものをコンビニで買う
などが起こる。
また、やるべきことがある時、家にいるとスマホを見たり寝たりしてしまってできないので、ファミレスやカフェで外食しながらやるしかなくなる。
→結果的に外食だらけになり、食費がかかりすぎる。
それから、友達との遊びとかだと、自分1人でいる時よりもお金について制御ができなくなり、お金をかけすぎてしまう。
また、私自身の「迷ったらすぐ行動!」の精神が行きすぎていて、ライブや展示、その他のイベントなど、気になったら行ってしまい、お金がかかる。
特にライブやフェスは、大好きでよく行くので、1回にかかる額がかなり大きく、お金がなくなる。
私は、食べ物など体験にお金をかけすぎてしまう一方、化粧品や洋服など、モノについては本当に最低限のお金しかかけていない。めちゃくちゃケチる。
美容とかにも全然かけていない。(美容院で髪染める時くらい?あとは去年行ったパーソナルカラー診断くらい)
「食べ物」や「体験」にお金をかけてしまうのは、その場限りの楽しみのことしか考えていない感じがするし、やはりADHDの特性「衝動性」に関係していると思う。
このお金の使い方は勿体無い気もするが、これもどうやったら直せるのかわからない。