見出し画像

斉加尚子・毎日放送映像取材班 『教育と愛国』 : 捨て去られた〈人間〉教育

書評:斉加尚子・毎日放送映像取材班『教育と愛国』(‎ 岩波書店)

橋下徹をリーダーとする「維新の会」が、大阪の地を舞台におこなった教育改革とは、世界に打って出ることのできる、国際水準の人材(エリート)を育てるための教育である。つまり「勝者」を育てるための教育であり、「数字」として結果の出せる教育だ。
当然、そこでは「敗者」は無価値なものとして、片隅に追いやられ、やがては足手まとい扱いにされて排除される。

しかし、憲法が保証する「教育を受ける権利」とは、すべての国民に等しく保証されたものであって、ごく一部のエリートのためのものではない。

『教育を受ける権利は、国民が国に対して要求できる基本的人権の1つとされ、社会権に属している。日本においては、日本国憲法第26条第1項に「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」という規定がある。』
(Wikipedia「教育を受ける権利」)

それなのに「勝てば官軍」「力が正義」だと、弱者を顧みない、新自由主義的な政治主導の成果主義教育改革が、庶民の街である大阪の地をながらく席巻し、大阪の教育現場を疲弊させている。

家庭事情を含めた生徒たちの個々の事情や個性などは、いっさい考慮されない。そうした細やかな事情など、全国一律の、あるいは世界的な統一テストの「数字」には、反映されないからである。

つまり「成績の良くない生徒」というのは、邪魔でしかないのだ。
だが、そう公言することはできないので、ではどうするか。一一 教師の関心をそうした生徒から引き離し、全体の成績アップへと向き変えさせるのである。
「テストの成績結果」で教師を評価して「成績の出せない教師は、ダメ教師」だと勤務評定し、お前を排除するぞと恫喝することで、教師たちを否応なく「成績の良くない生徒」たちから引き離すのである。

もちろん「成績の良い生徒」をさらに延ばしてやるのも教師の仕事だが、しかし「成績の良くない生徒」に「学びの喜び」を教え、生徒の可能性を開き、延ばしてやりたいと考えることこそ、教師の教師たる「思い」ではないだろうか。
少なくとも、憲法では『その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。』と明記しているのだ。「成績の良くない生徒」を放置しておいて良いなどということは、けっして許されないはずである。

しかし、橋下徹をリーダーとした「維新の会」が、今も続けているのは、こうした「教育解体」なのである。

このような維新政治によって、大阪の教育現場はじわじわと荒廃している。
意欲のある教師が、その意欲の故にもっている「教育への理想」を踏みにじる「政治の介入」によって、意欲ある教師たちは、心ならずも大阪の教育現場から去っていくことになる。

『 大阪に教育関連2条例が成立して以後、番組宛てに教育現場の現状を嘆くメールが届くようになった。現場からの声は重い。釘付けのなったメールをふたつ紹介したい。
 「大阪府立高校について、現況を以下に記します。教員採用試験受験者数減にともない、学力的にも非常に低い教師が続々と誕生している。特に倍率の低い国語が危機的である。(中略)この新人は、『僕は本を読まないんです』とまことに明るく述べ、実際全く本を読まず、実に貧弱な世界知識でもって授業をしている。(中略)彼があまりにつまらぬ授業をしているので、『教科書以外で、何か自分の好きな教材、教えたい教材を使って授業をする』ように提案したところ、『やりたいこと、ないんです』と言う。おもしろさを教えたい小説も、詩も、もちろん古典もないという。彼の出身校では、『大阪府の教員採用試験に合格』したら超エリートらしいのだが、本当にこんな人が高校で国語を教えてよいのか。今年赴任してきた校長は、年度当初の『対教師個人懇談』で『マネジメント』『人材』『数値目標』『学校経営』というような商売の言葉を多用したが、私が『校長の教育ビジョン、グランドデザインを聞かせて欲しい』と言うと、数秒考えた挙句『ない』と言った。私は今までにもパワハラ校長や肝っ玉の小さい校長など、いろいろ不作は見てきたが、このような人は初めてである。怒りを通り越して絶望した。(中略)新人の質の低下とも関係あるが、現役中堅の他府県への流出も深刻である。配偶者の故郷の県を受験し、西下してしまった人や、『子育てはやはり田舎で』と兵庫県に異動した人がいた。彼らは、現在の待遇は大阪よりずっとよいと喜んでおられる。(中略)非常勤講師も以前は大阪で登録していた人が奈良、京都、兵庫、に移った。確保が困難で、4月になっても非常勤枠が埋まらない例もある。現場の声としてお聞きのうえ、今後の報道に活かしていただければ幸甚です」
「我が家の子供が、通っている中学校のことでメールしました。夏休み明けで学校に行くと、理科担当の隣のクラスの担任が退職したとのこと。原因は、心の病気だそうです。それから約一ヶ月、替わりの先生が来ることもなく、プリント学習を続けている毎日みたいです。学校に問い合わせると、来月には替わりの講師が見つかると思うので、それまで待ってくださいとのこと。一ヶ月も何も教えていないこと自体、異常なのに」
 維新の会による教育改革の嵐が吹き荒れたころ、複数の大学教授が「しばらく大阪の教員採用試験は受けんほうがいいな」と学生に助言していたり、優秀な学生がこぞって「大阪で先生になるのはやめよう」と話しているなどと耳にした。そんな時期に重なるメールだ。』(P145〜146)

では、ここまでして、つまり「成績アップ=国内・国際競争力を付ける」ために、教師を締めつけ、子供たちを否応なく駆り立てた結果が、どうであったのか。
最新(一昨日)の新聞は、こう報じている。

『学力調査「指定市で最下位」 大阪府知事がボーナス返上

 小中学生が受ける全国学力調査の大阪市の平均正答率が、一部の教科で全国20の政令指定市の最下位になったことを受け、前市長の吉村洋文・大阪府知事は31日、ボーナスを全額返上する意向を示した。市長だった昨年8月、次に最下位になれば返上すると明言していた。』
(「朝日新聞デジタル」2019年7月31日17時38分)

もちろんこれは、元市長が「一人で責任を取る」という話ではない。

『学力テストの成績に応じて(※ 教師の)ボーナスを査定するという提案が大阪市長の吉村洋文氏から再浮上した(2008年8月)。これを受けて翌9月に、大阪市総合教育会議で大森不二雄特別顧問が新提案を行い、制度設計が進められた。』(本書P142)

言うまでもなく、橋下徹、松井一郎の後継者である吉村洋文が、このような「教師への圧力」政策を新たに打ち出したのは、橋下の進めたの教育改革が、まったく成果を上げていないからである。
そのテコ入れとして「テスト結果を教師のボーナスに反映」という手法が再提案されたのだ。

そして「それでも大阪市の成績は上がらなかった」ということなのだが、その原因が奈辺にあるのかは、先のメールにもすでに明らかなのではないだろうか。

実際、吉村のこうしたやりかたを、次のように分析する向きもある。

『吉村洋文大阪市長の「聖域なき教育改革」から迸る「ダメ上司あるある」感

 7月31日に発表された小中学生の全国学力テストで大阪市が政令指定都市の中で2年連続となる最下位だったことが判明した。その結果を受けた大阪維新の会の政調会長にして大阪市長の吉村洋文さんが吠えました。

「万年最下位でいいと思うなよ!」

 この言葉は明らかに大阪の教職員に向けられたものです。大阪維新の会は橋下徹市長の時代から「聖域なき教育改革」なるものを続け、民間から校長先生を公募しまくり、連れてきた校長がだいたいポンコツという地獄に陥り、教職員は疲弊してきました。自らの失策を棚に上げ、子供の学力が上がらない責任を教職員に押しつけている。残念ながら、吉村洋文さんは世の中に蔓延る典型的な失敗する上司なのです。 』
(『ハーバービジネスオンライン』2018.08.09、執筆者「選挙ウォッチャーちだい」)

そう。「橋下徹以来の、維新の会主導の教育改革」が、失敗に失敗を重ねているという事実は、(多くの府民が忘れつつある)「民間からの校長登用」問題だけではなく、「テスト成績」においても「数字」としてハッキリと出ている事実なのだ。

その明白な「失政」を、自ら反省検討することもなく、現場の教師に責任転嫁して締めつけをさらに強め、それでも結果が出ない。
だから、府知事に転じたとは言え、制度改革の指揮者であった吉村が、その失政の責任をとって自分のボーナスを返上するくらいのことは、倫理的には当たり前のことでしかなく、恥知らずにもことさら大袈裟に「ボーナス返上」などと自家喧伝するようなことではないのである。
こんな上司の下では、教師たちのモチベーションが低下するのも、当然すぎるほど当然だろう。

大阪の教育は危機に貧している。
大阪に生まれ大阪に育った者の一人として、同じ大阪の大人たちに、「維新の会は、大阪の教育を縊り殺す」と断じた上で、「無知は罪である」と言っておきたい。

最後になったが、逆風の中、勇気ある報道をつづける著者とそのクルーたちの信念と努力に、心よりの賞賛を送りたい。

——————————————————————————
【追記】(2020.01.24)

ひさしぶりにレビュー欄を見て、びっくりした。
とても本書を読んだとは思えない、露骨な「荒らし」レビューが激増していたからである。
維新の会のファンには、こういう人が多いのか、あるいは、投稿が2019年の11月から12月に集中していることからもわかるとおり、どこかで扇動が行われた結果なのか(そう言えば、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」展への、電凸もこの時期か?)。
いずれにしろ、とても興味深い「教育行政の闇」の一面である。

初出:2019年8月2日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

 ○ ○ ○



 ○ ○ ○










 ○ ○ ○

















 ○ ○ ○






この記事が参加している募集