ダブルシンクとニュースピーク : 三田一郎 『科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで』
書評:三田一郎『科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで』(ブルーバックス)
きつい言い方をするようで恐縮だが、本書は、欧米などのキリスト教圏にはありふれた「信者科学者による護教書」あるいは「プロパガンダ本」にすぎない。
本書を高く評価するレビュアーというのは、そういうことをまったく知らないし考えたこともない「ナイーブな読者」であるか、もしくは、自身が「キリスト教信者であることを隠したレビュアー」かである。
この手の「護教書」を絶賛するレビュアーには必ず、党派的評価しかできない「ステルスマーケティング」従事員が存在するので、一般の読者は、そのあたりを応分に警戒し、「眉に唾して」こうした絶賛レビューを読むというメディアリテラシー能力の涵養が必要であろう。
でないと、いずれ「オレオレ詐欺」や「投資詐欺」といった、人助けなど(人聞きの良い話)を装ったペテンに引っかかることにもなろうというものだ。
そもそも、本書の『科学者はなぜ神を信じるのか』というタイトルからして、故意に読者をミスリーディングへと誘うものでしかない。
と言うのも、現実問題として「科学者の多くは(キリスト教の神も、その他の)神も、信じていない」からだ。
つまり、本書に正しいタイトルをつけるとすれば「なぜ神を信じる科学者がいるのか」でなければならない。
言い変えれば、『科学者はなぜ神を信じるのか』という本書のタイトルは、あたかも「科学者が神を信じるのは当たり前」という非事実(嘘)を、無知な読者に刷り込もうとする「欺瞞的レトリック」でしかないのである。
そして、ここに本書の「本質」が象徴されているとも言えよう。要は「ロジックではなく、レトリックによって、読者を誤認させよう」とする「洗脳書」なのである。
だから「ナイーブな読者」は、十分意識して本書を「論理的に読む」必要があるだろう。そうすれば、本書にバラまかれている「信仰の肯定へと導くためのレトリック」が、おのずと目につくはずだからである。
しかし、本書の「酷さ」を手っ取り早く知りたいという未読の読者には、まずは「積極的無神論者として有名だった、故スティーブン・ホーキング」博士についての著者の評価を示した「第7章の後半部分」や、著者のホンネがよく表れた「終章」を、先に読むことをお奨めする。
第7章の後半では、ホーキングが積極的に自身を「無神論者」だと規定して、死ぬまで「神を(信じる人たちを)批判し、時に揶揄していた」という事実について、
と前置きした上で、つぎのように書いている。
この「推論」の酷さは、高卒程度の「論理的思考能力」のある者になら、明らかなはずだ。
著者・三田一郎の、ここでの推論を簡単にまとめると、こうなる。
(1)多くの人の目に触れる、マスコミ等の記事は(特に専門的な内容では)不正確で、あてにならない。だから私は、ホーキングを「無神論者」だと語る、それらの膨大な資料は無視して、ホーキング本人の著書だけから判断することにする。
(2)ホーキングの著書には「God」という言葉が、私が有神論者だと判断するアインシュタインの本よりも多い比率で登場する。
(3)ホーキングは、神やその信者をすぐに揶揄批判したがるが、それは彼が神を強く意識している証拠であろう。要は「嫌よ嫌よも、好きのうち」である。したがって私は、ホーキングが自身を何度「無神論者」だと断言していようと、それは本心ではないと判断する。
(4)ホーキングの本心は、誰にも分からないが。
まず(1)についてだが、著者・三田一郎のロジックは、「ネトウヨ」とか「トランプ米大統領」のそれと同水準だと言えるだろう。「護教的(保守的)な人間」は「マスコミ」敵視を常とするものなのだ。なぜなら、それが「知的主流」の認識を反映しがちであり、「知的少数派」にとっては「不都合な真実」を語る存在だからである。
(2)については、「God」という言葉の使用頻度が、そのまま使用者の「信仰心」を表すものではない、という当たり前の事実を無視した、詭弁でしかない。「神」「信仰」「宗教」という言葉を頻用するのは、それを信じている信者ばかりではなく、そうしたものを否定したい無神論者もまた同じだからだ。否定するためには言及せざるを得ないというのは当たり前の話で、ホーキングの場合は、まさにこれでしかないのは、論理的に明白である。
(3)については、最低の「俗流心理学」的な故事付けでしかない。また、この理屈は、いかにもカトリックらしい「冤罪製造法」だとも言えるだろう。
かの有名な「魔女裁判」において、異端審問官は、魔女容疑について、容疑者たちがそれを「認めようが否認しようが」その証言をもって「魔女である証拠」としたのだが、それを現代風に裏返したのが「三田一郎流のホーキング有神論者」判定である。
キリスト教会の言うことを聞かない者を「異端」として殺してしまえば、その悪影響を防ぐことができた「暗黒の中世」以前の時代とは違い、現代のホーキングは、殺せば済むような存在ではないから、奪うべきはホーキングの命ではなく、ホーキングの「無神論者という自認的看板」なのである。本人がどう自己規定していようと、どう言おうと「じつは、ホーキングは(心のなかでは)敬虔な信仰者だったのです」ということにしてしまえれば、「死人に口なし」なので、邪魔だったホーキングの存在も、カトリック教会の役に立つ「道具」へと変換できるからである。
(4)これは宗教家の自己正当化レトリックとして、きわめてポピュラーなものだ。つまり「誰にも分からない」ということを「誰の意見も、同等の価値しか持たない」というふうに、すり替えるレトリックである。
例えば「神の不存在を、科学は実証できない。ならば、神は存在するという教会の意見と、神は存在しないという科学の意見は、同等の価値を持つ」というものである。これに納得させられそうになった人のために補足しておくと、このロジックを認めるのなら「この壷に、霊的な力が無いと、科学は実証できない。したがって、現にこの壷の霊力を実感している人が多数いる以上、この壷の霊力の存在は、その人が信じるか信じないかでしかない」といった理屈も、同様に認めなければならないことになるのである。
このように、本書の著者・三田一郎の「論理性」は、高卒程度にも満たないものなのである。
それなのに、三田の初歩的なレトリックに騙されてしまう人が少なくないのは、要は、「著名な物理学者」とか「科学啓蒙叢書として有名なブルーバックスからの刊行」といった「肩書きの権威」に惑わされている(俗物根性)というのと、もともと読者の方に「論理的思考能力が無い」という2点に尽きるだろう。
その上で、さらに言えば、読者は多くが、「人間の知能」のあり方というものを理解していないからでもある。
つまり「頭のいい世界的な物理学者(科学者)なら、非論理的に神を信じたりはしないだろう」と推論してしまうのだが、歴史的に見れば、膨大な反証事例が示しているように、これは「人間の知能」についての、明らかな「誤認」なのである。
平たく言えば、世の中に「専門バカ」は引きも切らさず存在してきたというのが、動かしようのない「事実」なのだ。
なぜそうなるのか。
それは「知能」というのは「良いか悪いか(賢いか馬鹿か)」という一面的(単一座標的)なものではなく、多面(多方向)的なものであり、ある面では天才的に頭が切れるのに、別のある面では人並み以下、なんてことは当たり前にあるのだ。そうした「知能の現実」を端的に示すのが、近年話題となることの多い「知的障害や発達障害児の一部に見られる、極端に先鋭化した知的能力」だ。
科学に興味のある人なら「サヴァン症候群」という言葉を聞いたことくらいはあろうが、要は「ある一部の能力に障害があるために、かえって別の能力を並外れて発揮したような事例」のことだと考えれば良い。卑近な言葉でいえば「火事場の馬鹿力」と、よく似たような現象だ。
人の脳は、膨大な潜在能力を有しており、日常的に使えるのは、そのごく一部にすぎない。なぜ、常にフルに使えないのかと言えば、それをやると脳をはじめとした物理的肉体への負担が大きくなりすぎるからだ。リミッターを外してアクセル全開で走り続ければ、すぐにエンジンはオーバーヒートするし、コントロール出来なくなって事故を起こしてしまうだろう。だから、人間の脳にも、こうしたリミッターが内蔵されていて、負担の高すぎないレベルに出力制限するようになっているのである。ところが、火事場などの「急場」では、自身の命を守るためにリミッターが解除されるので「馬鹿力=潜在能力」が一時的に出せるようになる。これが「火事場の馬鹿力」であり、では「サヴァン症候群」とは何かと言えば、それは先天的あるいは後天的に、一部のリミッターが壊れた人のことだと考えれば良い。「常識(制限)」が無くなれば、人は「自由」に力を発揮できる。しかし、「自制」を知らない自由は、きわめて危険なものだ。だからこそ、「サヴァン症候群」は「障害」の一種として、治療や保護の対象とされているのである。
さて、少々回り道をしたが、これで「人間の知的能力は、一面的なものではない。賢いか馬鹿かの二者択一的なものではない」つまり「天才的物理学者が、他の面で馬鹿であることは、なんら矛盾しない」ということが分かっていただけたであろう。
そして、この原理を本書の著者に当てはめるなら「三田一郎は、物理学の世界ではひとかどの人だが、(信仰というリミッターによって)他の方面での論理的思考能力や現実認識能力では人並み以下である部分が、ハッキリと認められる」ということになる。
三田は『神を信じることは思考停止か』(P259)と問うて「そうではない」と立証したつもりなのだろうが、残念ながら、事の真相であり「正解」は「神を信じることは、全面的思考停止ではないが、神に関わる部分を思考停止させる(ための不正規リミッターとなる)」ということなのである。
繰り返して言うが、これは三田一郎に限った話ではなく、古今東西でありふれた話なのだから、読者に当たり前の教養があれば、本書程度のレトリックに欺かれるようなことはない。
つまり、Amazonのレビュアーの能力もピンキリであるのは自明であり、ここでも「スタージョンの法則(=「SFの90パーセントはクズである。一一ただし、あらゆるものの90パーセントはクズである」)」が、正しく当てはまるのである。
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なお、物理学者である三田一郎が、どうして、こんなふうに「非論理的」にしか思考できなくなったのかということを、簡単に説明しておこう。
三田は「終章」でこんなふうに書いている。
もちろん『私はみなさんに、神を信じることを勧めているわけではありません。』というのは「嘘」である。
それは、続く『物理学者がなぜ神を信じることができるのか、日本人にはとくに理解しにくいと思われる。その心の仕組みを説明したいのです。』というのが「嘘」なのにも明らかだ(神を信じるのは、物理学者一般ではなく、三田一郎と一部の物理学者個人に過ぎない)。
最初にも書いたが、本書は『物理学者がなぜ神を信じることができるのか』を説明した本ではなく、正確には「多くの科学者が神を信じないのに、科学者の一人である三田一郎は、なぜ例外的に神を信じられるのか」を、「半分は本気、半分は嘘」で綴ったものでしかない。
三田は、信仰者独特の「本気と嘘が入り交じった自己欺瞞状態」で物事を思考し、本書を書いたのである。
そして、そうした「病的心理状態」を見事に描き出した、ひとつの実例を、私たちはジョージ・オーウェルの傑作『1984』に見ることが出来る。
本作『1984』は、「共産党政権下ソ連の管理社会」をモデルにして書かれた「近未来ディストピア小説」の傑作として知られる作品だが、上で紹介した、支配者「ビッグ・ブラザー」による「洗脳的統制術」は、なにも政治的なものに限られるものではない。
「ソビエト共産党の全体主義的思想統制」や「ビッグ・ブラザーの洗脳的統制術」は、人に対して「外的」に加えられたものだが、「信仰」とは「主体的に選び採られた自己洗脳」であり、信仰者たちの場合、いわば彼ら個々の頭の中に「ビッグ・ブラザー」がセッティングされているのである。
つまり、本書の著者である三田一郎の場合も「カトリック信仰という、内なるビッグ・ブラザー」によって「ダブルシンク(二重思考)」がなされ、おのずと彼の語る言葉は「ニュースピーク」となる。
「ニュースピーク」とは、例えば「人格神」であったはずのキリスト教の神を、単なる「物理法則性の実在」にまで言い換えてしまうような「ご都合主義的レトリック」のことだ。
よく知られるように「人格神」であり「三位一体の神」であり「死後三日目に肉体を持って復活し、その身体のまま天に昇った、主イエス・キリスト」という教義的に「具体性のあったキリスト教の神」は、このようなレトリックによって、どんどんとその具体性を剥奪され、定義を矮小化させられ、「隙間の神」へと変貌させられることで、暴力的に延命させられていったのだ。
しかし、これは実質的には「神殺し」でしかない。
要は「自分の信仰を守るために、神の定義をご都合主義的に変更する行為」でしかないからだ。彼は、世間から「神の存在を信じる愚か者」だと言われたくないがために、つまり「自分自身の世評」のために「神を変造するエセ信者」の一人に過ぎないのである。
「神」が、いくらでも定義変更できるようなもの、つまり「無定義なもの=何とでも呼べるもの」であるのならば、そんなものはもともと存在し得ないのだから、もう信者の頭の中でなら永遠に生きのびることができるだろうし、「無定義な神」とは「ウルトラマン」でも「ヒトラー」や「スターリン」でも「バモイドオキ神」でも「空飛ぶスパゲッティ・モンスター」でも、何でもかまわないのである。
カトリック信者である三田一郎が「信仰告白」して認めた神が、「人格神」であり「三位一体の神」であり「死後三日目に肉体を持って復活し、その身体のまま天に昇った、主イエス・キリスト」あり、かつ「単なる物理法則」でもあるような「無定義なもの=変幻自在の神」なのであれば、簡単に言えば、それは「嘘も誠、誠も嘘」だと保証してくれる「邪神=悪魔」ですらあり得る。
その意味では、「カトリックの神」は、「クトゥルフの神々」よりも余程タチが悪い存在だと言えるだろう。
初出:2019年5月25日「Amazonレビュー」
(2021年10月15日、管理者により削除)
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