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成長実感て、どうやったら感じることができるかわかった気がする

昔は「成長したね」と仕事の場で言われても実感を持てなかった。
できることは増えているはずなのに、他者から伝えてもらってもどこか腑に落ちない部分があって、「はあ、そうですかね…?」と心の中で思いつつ笑顔を浮かべていたこともあった。

私は性格診断テストを受けると、学習欲や達成欲が上位にランキングするように、新しいことを学び、吸収することが好きだ。そして自分が進化していると感じる状態がさらなる学びのエンジンになる。

逆に言えば、自分が成長実感を持てないと、他者から見て成長していたとしても、目に見えてやる気が減速してしまう。


会社に属し、働いていると評価を受ける機会がある。

今の職場は評価制度がしっかりしていて、きちんとそれに基づいて適切に評価されるので、評価内容も運用体系も納得感がある。

何より上司との定期的な面談で、日々の成長ポイントや課題をしっかりと伝えてもらえるのでありがたい。

でも、私がモチベーション高く働けているのは果たして評価制度が適切に運用されているからだけなのだろうか?

ふと振り返った時に、外的な評価だけではなくて、内定な要因も見えてきた。
それは自分が自分に対して、ちゃんと成長していると自覚を持っていることだ。

成長の自覚というのも、さらに深ぼってみる。

私にとってそれは「点」、つまり、たまたま(偶然)できた状態ではなく、「線」、できているのが当たり前な状態であることなのだ。

例えば、果物の皮剥き。

恥ずかしながら私はりんごなど皮を剥く果物は、ずっとピーラーを使っていた。
大人になっても横着をしていたので、包丁を使って上手に皮剥きができるようになったのはつい数年前だ。

初めてりんごの皮を包丁で一度も切れずに最後まで剥くことができたのは、いわゆる「点」の状態だった。

皮をつまみ上げて記念写真を撮るほどに興奮したしすごく嬉しかったが、それはたまたま成功したにすぎなかった。

そして日をおいて何度目かの皮剥き。

私はもうりんごの皮剥きに自信を持っていた。どんなりんごもどんとこいだ。

今日は出来ないかもしれない、ではなく、「私は皮剥きができる」状態 = 再現性がある状態になっていた。

このステップアップした状態が当たり前であり、いつでも同じ質で再現できることを、自分で実感できているのが、成長実感なのだと思う。

そして、私はりんごの皮剥きを応用(応用というほど物が違わないが...)して、梨の皮剥きだってできる。

梨の皮を包丁で剥くのはりんごと同じ時間をかけて練習したわけではない。

ただ「りんごの皮剥きの感覚やスキルを使ってこんな風にすればいける」という経験からくる自信があったし、実際にそれを元に皮剥きを成功させた。

この「できることを使って、さらに別のことも経験の深さに関わらず対応できる」という自信も、成長実感と繋がっているのだと思う。

自分で体験し、学び、納得しないと気がすまない性格が時には厄介に感じることもあるが、上手く使えば自分の成長実感をコントロールしながらどんどんチャレンジしていけるんだ...!
そんなことに気がついた9月だった。

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nekoyan
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