nekoninja

誤解は芸術|darksideofwowly

nekoninja

誤解は芸術|darksideofwowly

最近の記事

布団の中でもできる、本気を出さずにTOEIC900点を超えるくそらくな方法

自分語りさせて 私は都内の私立大学に通う学部3年生です。2024年3月17日にはじめてTOEICを受験しました。私はエクストリームに怠惰なので、親の金で買ったTOEIC関連の参考書は、どれも三分の一くらい解き進めて飽きてしまいました。TOEICの公式模試に至っては、買ってから一度も開いていません。そう、私はTOEICにぶっつけ本番で挑んだのです。唯一最後まで通読したと言える「金フレ」ですが、これは例外でしょう。買ってパラパラめくっていたら、すでにほとんどの単語を知っていたこと

    • 合理的なFPSプレイヤーはエイムアシストについてどのように考えるべきか

      議論に参加する資格のある者 FPSについての議論、たとえばエイムアシストに関する議論に参加する資格のある者とは、どのような者か。以下は、FPSについての議論に参加するための条件である。 (1)合理的(Reasonable)である (2)論理的である (3)FPS・TPSゲーム(以下、FPS)について、誠実である (1)について、「合理的である」とは、自分の立場や行動について、理由を述べることができることである。 (2)について、「論理的である」とは、自分の立場を正当化するた

      • エイムの分類学の基本的な枠組みについて

        はじめに 私がエイムの性質そのものに関する記述的理論に注目しはじめたのは、二◯二一年ごろだった。競技エイムに取り組むうちに、シナリオごとに異なる意識を使い分けてエイムすることが、スコアの向上につながることを不思議に思い(不思議だなあ、というポジティブな感情というより、そんなことはおかしい、というような疑念だった)、エイムには種類があり、全てのエイムの種類を一つの理論で説明することはできないのではないか、という問いにたどり着いたのである。こうして、エイムの方法論的な試みには限界

        • 能力について

          「(完全な)天才は間違えない」、天才が犯しやすい間違い。 「とある行為の能力とは、その行為がなされるすべての場合にも普遍的に発揮される何かである」という前提に立っているすべての人々は、この前提ですでに誤りを犯している。しかし、私たちはこの前提を受け入れたいという欲求に駆られる。 私は、「私は足し算を行うことができる」というときに、たとえば、無限桁の数同士の足し算のことを考えているわけではない。可能なすべての足し算を想定するという行為はすでに、足し算を行うための要件を遥かに

          謙虚な知的孤独は深刻である

          なぜ私は孤独なのか 私の頭はとにかく変である。ある人は私を天才と呼ぶし、また別の人は私を愚かだと言う。私はしばしば、私のことを愚かだと言う人を愚かだと思う。私は優れた能力を持つ人で、私のことを愚かだと言う人にまだ出会ったことがない。  私は会話が下手だ。何を話せばよいのかわからない。私には話したいことがないし、相手が話すことにも興味がない。「そんなの、みんな一緒だよ。みんな友だちに話題を合わせているんだよ。」とあなたは言いたくなるかもしれない。だが、私は話題に文句をつけたいの

          謙虚な知的孤独は深刻である

          輪郭と稜線の研究

           目に見えるもののすべてに触れることができるわけではない。たとえば、光や色に触れることはできない。そして、見ることができ、触れることができるものが輪郭である。輪郭は光でも色でもない。このときに、無色や透明について考える必要はない。それらの対象は、見ることも触れることもできないものだ。山の稜線について考える。そもそも、山の稜線に触れるとは一体どういうことなのだろう。山の稜線に触れることができるほど近づいたとき、それは地面や崖、それらを覆う木々であり、それらに触れることと稜線に触

          輪郭と稜線の研究

          空間をエイムすることについて

          はじめに 私の最初の理論、最初の俗説との対峙、最初の先入見との格闘は「クロスヘア不要論」という、今から考えれば、説明不足な、明らかに奇をてらった、不十分な考察に裏打ちされた早合点の、出来損ないの理論だった。しかし、その奇妙で整合の取れていない考察の羅列は、明らかに何かを語っていた。それだけではなく、特定の問題について、何か意味のある先進性のようなものを持っていたし、何よりも、深遠な雰囲気を漂わせ、論理実証的な魅力を持ち、そして何か重大な発見の伏線を匂わせていた。少なくともかつ

          空間をエイムすることについて

          エイムに関するメモ

          0. はじめに この章はふつう、序章などと呼ばれるたぐいのものであるから、興味がなければ1章から読み進めてもよい。  0a. この文章の目的 この文章は極めて誠実なエイムへの眼差しとともに書かれている。しかし、誠実に書かれた文章こそ不誠実に読まれなければならないというのが、世の理である。この文章は談笑である。この文章を読むときは、あなたは哄笑しなければならない。この文章は冗談だからだ。  0b. この文章の役割 目的と役割は時に類似し、時に異なる。スピーカーのあらゆ

          エイムに関するメモ

          トラッキングエイムにおける安定性諸問題

          トラッキングエイム諸問題に関して私から申し上げたいことがあり、今回は私の考えますところを一つの簡素な文章に認めることといたしました。敬語を省略させて頂くことがありますことをお許しください。 本文は、トラッキングエイム、とりわけ「切り返し」とよばれる、リアクティブトラッキングエイム(反応トラッキングエイム)と呼ぶべきようなエイムについての文章である。 一般的に「レレレ」と呼ばれる左右方向の弾除け動作に対して、ヒットボックスを追うようにトラッキングエイムをする際、重要となるこ

          トラッキングエイムにおける安定性諸問題

          私は「私用言語」モノリンガルである

          本稿は章立てすることもない、メモ程度の文章である。過度な期待はしない方が良いかもしれない。 私は日英2ヶ国語の話者である。世間ではバイリンガルなどと呼ばれ持て囃される類の人間かもしれないが、実際には英語を喋ることができる日本人は星の数ほどいるということを、私は忘れてはいない。 言語を構成する基本的な要素とは一体何であろうか。文法か?発音か?それとも全く別の何かだろうか? 日本人のあなたが同僚に挨拶するとき「お疲れ様」と言いたくなるのは自然な衝動だろう。「お疲れ様」をさらに日本

          私は「私用言語」モノリンガルである