トラッキングエイムにおける安定性諸問題

トラッキングエイム諸問題に関して私から申し上げたいことがあり、今回は私の考えますところを一つの簡素な文章に認めることといたしました。敬語を省略させて頂くことがありますことをお許しください。

本文は、トラッキングエイム、とりわけ「切り返し」とよばれる、リアクティブトラッキングエイム(反応トラッキングエイム)と呼ぶべきようなエイムについての文章である。

一般的に「レレレ」と呼ばれる左右方向の弾除け動作に対して、ヒットボックスを追うようにトラッキングエイムをする際、重要となることがある。それは、標的が移動の方向を変えるとき(切り返すとき)に、素早く反応し、エイムする方向を変えることである。

その際に、人間は視覚を用いて標的を視認しているし、標的の切り返しに反応するということは、少なくともすでに、画面の中心(クロスヘア)から標的がずれているということを意味する。

ここで問題になるのが、視点の安定性である。標的の移動速度と視点の移動速度とも呼ぶべきもの(エイムの速度とする)が一致しているとき、標的は画面上にとどまって映るはずである(それが画面の中心にあるかないかに関わらず)。

我々が切り返しに対して反応できるのは、標的の移動速度がマイナスの値に一気に変化し(逆方向に移動を開始し)、画面上で動き始めるからだ。しかし、標的が一定の速度で動き続けていても、エイムの速度が一定でない場合、画面上の標的はとどまることなく動きつづけることになる。この場合、自分のエイムの速度が変化しているのか、標的の移動速度が変化したのかをはっきりと区別することは難しい。

エイムの速度が安定していない状態に馴れてしまうと、画面上の標的の速度が多少変化することに寛容な態度が身についてしまう。これは標的の速度変化に対して鈍感になると言ってもよい。

エイムアシストを使用せずに、反応トラッキングエイムを行おうとする者の多くが、標的の速度変化に対して素早く反応できないのは、このためであろうと私は考えている。

これは余談であるが、エイムアシストはエイムの速度に安定をもたらす。これはきちんと速度変化に反応する訓練を積んでいる者にとって、エイムアシストが自動で切り返しに対して反応するかどうかを無視するに足るといっていいほどの利点である。

わざと不安定にするエイムについての考察

たとえば、Hardecki選手のエイムを見てみよ。

至近距離の戦闘のとき、彼は意識的にエイムを揺らしているように見える。そして弾をかなり当てている。これはさきほど私が論じたことと矛盾するように思えるかもしれない。

反応トラッキングエイムをしようとする多くのプレイヤーも、至近距離の戦闘になったときに無意識的にエイムを揺らす癖がついているのではないかと思う。これは私も同じである。

我々は経験によって、速すぎる標的に対しては、エイムを揺らしたほうが、弾が当たると学んでいるのだ。

エイムを揺らすということが意味するのは、ぼんやりと画定した範囲のなかで不規則に弾を飛ばすということを意味する。そして、我々はこれによって自分の反応速度の限界を超えるのである。

ストレイフなどの素早い弾除けが可能なapex legends などのタイトルにおける至近距離の戦闘で、反応トラッキングエイムをするのは難しい。したがって、一つ一つの変化に丁寧に反応するよりも、エイムを揺らしたほうが多く弾を当てることができるという場合が発生しうるのである。

エイムを揺らすということが、有利になりうる場合が存在するのは上述のわけである。

しかし、これはゲームの問題であって、エイムの問題ではない。なぜなら、わざと不安定にエイムするとは、反応トラッキングエイムを放棄することと同義だからである。

つまるところ、反応トラッキングエイムをしようとする者にとっては、視点の安定性は依然として重要なままであるということだ。

エイムの速度を安定させる訓練を積み、その上で「落ち着いて」標的の速度変化を視認しようとする訓練が肝要である。

ゲーム特有の移動速度を身体で覚えてしまうということは、有効な習得過程といえるだろう。敵が自分の視点に対してだいたい垂直に移動する際、敵の移動速度はだいたい一定だからだ。

生得的トラッキングエイムについて。

私は特別に反応速度が早い体質を有しているわけではない。特別遅いわけでもないというのも事実であるが。

私はただ単に、敵の移動速度に反応する訓練を皆さんより多く積んでいるだけのように思える。

「トラッキングエイムの得手不得手は、才能に由来する」と言う場合、トラッキングエイムをする際に発動する脳機能に生得的な差があるとすることになる。

しかし、私がこれまで述べてきたことの中で、体質による差が発生しうるのは反応速度のみである。私がモバイルFPSの反応トラッキングエイムを最も良く行う者の一人にするに足るほど、私の反応速度は特別ではない。

確かに反応速度が遅い体質である人間にとって、反応トラッキングエイムで頂点に立つということは難しい。しかし、多くの人々にとっては、才能依存論に陥って諦めるまえに、改善し、向上することができる領域は多く残されていると私は考えている。

私にとって残る改善可能領域は、標的の移動速度が変化するタイミングを予測すること、プリディクティブトラッキングエイム(予測トラッキングエイム)とでも言うべきエイムの種類になるだろう。

しかし、一度落ち着いて考えればわかることだが、予測というのは往々にして外れるものである。予測トラッキングエイムが向上するということは、真にエイムが向上するということを意味しないのである。

競技エイムのリアクティブトラッキングエイムについて

先日、Strafe 360の記録を更新した。これが意味するのは、一見して更新不可能に思える記録も、改善可能領域を限りなく減らしていき、人類(私)の限界、飽和点(サチュレーションスコア)を追求することによって破ることができるということだ。私は自分の記録が他者によって破られたから記録を更新したわけではない。誰にも破ることのできなかった自分の記録を、自分で破ったのだ。人類の限界付近ですら、記録の更新は可能なのだ。

繰り返しになるが、才能依存論に陥って諦める前に、改善可能領域をもっと探るべきだ。私のスコアをも凌駕する者が現れることに期待したい。

おわりに

お時間を頂戴したこと、最後までお読みいただいたことに感謝します。自分の限界を押し上げる試みをする愚者より。

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