Natsumi

多分私は、あの頃の「わたし」をただ笑わせてあげたいだけなんだと思う。内気で人前に出るのが怖かった、小さい頃のわたし。30年後、世界中の人たちと出会い、今はロンドンで暮らす。この地球で、ただ感動し続けたいと想う人。

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多分私は、あの頃の「わたし」をただ笑わせてあげたいだけなんだと思う。内気で人前に出るのが怖かった、小さい頃のわたし。30年後、世界中の人たちと出会い、今はロンドンで暮らす。この地球で、ただ感動し続けたいと想う人。

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  • Little Natsumi

    おとなになる前のわたし。

最近の記事

大浄化のひとり旅、はじめました。

2つ前の記事に書いたが、彼との溝が今までとは比べ物にならないほど深まっている。 数日前のこと。 1日半ほど口をきいていなかった彼にところへ行き、 「気持ちをクリアにしたいから、しばらく物理的に距離をとりたい」 と伝えた。 彼は、人生で一度も一人旅をしたことがない。 旅&お金を使う場所に対する価値観がこれだけ違えば、私の人生においてどれだけ一人旅が必要で大切なことなのかはどうやっても伝わらない。 理解できなくてもいい。 ただ、 「そんな信念を持っている私」を受

    • やっと「優しい」が板についてきた。自己分析と他者印象の違いと思い込み。

      周りの人が私を形容してくれる言葉に「優しい」がある。 昔から「なっちゃんは優しい」と言われてきて今40歳目前だが、最近になって漸くその言葉に頷けるようになってきた自分に気付いた。 幼稚園の頃にいじめにあった記憶が大きく影響し、それこそ社会人になってからもしばらくは 「私の優しさは本物じゃない。嫌われたくないから優しくしているだけだ。」 と、自己分析していたのだった。 いじめを経て 「笑顔でいたら嫌われない」 ということを身を以て知った。 当時はとても表情が暗く

      • 魔法が解けかけて。真反対の人と踊り続ければ、ガラスの靴は割れちゃうみたい。

        彼との関係が本当によくない。 ただ今絶賛大喧嘩中なのだが、もうそんな喧嘩がどうのこうのという領域でもなくなってきている。 身の振り方、というものを改めてじっくりと考え始めたところだ。 私は今ロンドンで暮らしているが、そもそもここに辿り着いたのは私の意思ではない。 2年前に彼の転職が決まりここにやってきたわけだが、実はそれまで一度もイギリスという国に興味を持ったことがなかった。 2018年にワーホリでニュージーランドに行ってからずっと海外に縁があるわけだが、自分がイギ

        • ギリシャのダイナマイト義母

          年末年始ぶりに、ギリシャの義実家へ帰省した。 義実家はギリシャ北部のマケドニアに近い場所にある。 帰省の際は、テッサロニキの空港を利用する。 日本にも地域によって文化や人の違いがあるように、ギリシャのみならずヨーロッパにもそれはある。 日本でいうと、アテネが東京ならテッサロニキは大阪。 人がざっくばらんでフレンドリーなところが特に似ていると思う。 前回の記事で述べた通り、義実家への帰省はなかなかハードな面が多い。 義母はギリシャから一度も出たことがなく、伝統的な

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          7本

        記事

          私のパートナーはロジカルなギリシャ人。国際恋愛のあれこれ

          私は、とても感受性が高い方だと思う。 人が本当に空気のように何気なく扱うものに対して、大きく感情が揺さぶられたりする。 例えが謎で恐縮なのだが、大の虫嫌いなのに蚊や蟻など小さな虫も出来れば生かしたまま逃がしてあげたい。 小さいビニール袋を持って追いかけ、捕まえては外に逃がす。 共存できないだけで、彼らの命を奪いたいわけでもないし、どこか別の世界で生きていてくれればいいのだ。 そんな私の今のギリシャ人パートナーは、頭の堅いロジカルな人である。 私が何か感情的なことを

          私のパートナーはロジカルなギリシャ人。国際恋愛のあれこれ

          「#自分で選んでよかったこと」コンテスト、編集部さんの注目度が高かった作品として紹介していただきました!

          朝起きて、お知らせを見て驚いた。 ライフネット生命さん、noteさん、Voicyさんによる開催コンテスト、『#自分で選んでよかったこと』。 「編集部さんの注目度が高かった作品紹介」としてノミネートされたようで、6000件を超える記事から私の記事を紹介していただいたのだ。 ↑その私の記事はこちら。 ↑こんなコメントまでいただいて、感激している。 この夏、突然思い立ちnoteのアカウントを作成→取り憑かれたように様々な「想い」を綴り続けていた。 それまで約一年半ほどの

          「#自分で選んでよかったこと」コンテスト、編集部さんの注目度が高かった作品として紹介していただきました!

          誕生日は教会でクラシックコンサート。

          365日ある1年の中で、誕生日が一番好きだ。 0時を迎えた瞬間、なんとも言えないワクワク感に包まれる。 その内友人たちからメッセージが届き、おめでとう!のお祝いを浴びるのだ。 1年に1度、誕生日にだけ連絡を取り合う子もいる。 離れていても、お互いが元気で暮らしている様子をシェアできることは喜びでしかない。 逆に、普段よく連絡を取り合う友だちは私の誕生日を覚えてなかったり、わざわざ連絡を取らない子もいる。 それはそれで面白い。 私が特別「誕生日を覚えること」に長け

          誕生日は教会でクラシックコンサート。

          38歳の誕生日、ひまわり。

          今日は38歳の誕生日。 今日の内に言葉を書き留めて置きたくなった。 30歳を過ぎてから、猛烈に歳を重ねるのが速くなったなと思う。 35歳以降は、自分が一体今何歳になのかがわからなくなることが多い。 私の父は37歳でこの世を去った。 娘である私は今日、父が地球で過ごした寿命を超えたことになる。 すごく不思議な気持ち。 父の年齢を超えた私を、あの世で見つけてくれるよう祈るような想いだ。 一年の内で、誕生日という日が一番好きな日。 昨日は、ずっと食べたかったお寿司

          38歳の誕生日、ひまわり。

          「ただ、生きていたくなかった。」

          私は10代の頃、20歳でこの世を去ると本気で思っていた。 有り難いことに五体満足で健康を授かり、大した病気にかかったこともない。 だが、私は20歳であの世へ逝くんだと、限りなく確信に近く思っていた。 高校生から社会人にかけて、私はリストカッターだった。 “死にたい”とは少し違う。 ただ、生きていたくなかったのだ。 はじめは薄く線を引く程度だったが、次第に深く、線は多くなっていった。 皮膚の鈍い痛みが、精神を麻痺させてくれるような感覚だった。 手首程度の出血では

          「ただ、生きていたくなかった。」

          初彼氏は暴走族総長。

          人生で初めて「彼氏」と呼べる人が出来たのは、中学3年生の時だった。 当時では珍しかったのだが、私は小学6年生から携帯電話を持っていた。 父が他界した後、父のケータイを母が引き継いで使うことになった為、母のケータイを私が持つことになったのだ。 その初ケータイはまだ二つ折りでもなく、ストレートで小さくアンテナをぐんぐん伸ばせるタイプだった。 周りは誰も持ってなかったしメールも全然普及していなかったので、はじめはただ持っているだけの状態だった。 しかし中学2年生の時にiモ

          初彼氏は暴走族総長。

          汚部屋への来客。

          中学生の頃しばらくの間、私は不登校になった。 幼稚園の頃にも不登園児だったので「学校に行かないこと」自体人生初ではないのだが、思春期のそれはもっと心の複雑さを感じる。 小6で父が他界した後、母も妹も私も様子がおかしくなったのだ。 精神の健康というものはとても大切で、少しでもバランスが崩れると日々にちょっとした変化が現れる。 例えば私の場合、元々綺麗好きなのだが一切部屋が片付けられなくなった。 当時「汚部屋」「カタヅケラレネーゼ」などの言葉がトレンドだったりしたが、ま

          汚部屋への来客。

          伝記が読めない偉人たち。

          小学生の頃、伝記を読むのが大好きだった。 私は外で遊ぶのが嫌いで、ひたすらインドアな子どもだった。 みんなはドッジボールをしたり、一輪車に乗れるようになったりしているが、私はまったくもって興味がなかった。 図書室が好き 代わりに、図書室に行き好きな本を借りて読むのが習慣だった。 ドアを開けた時の、あのふわっと鼻に入ってくる古びた本の匂いが大好きだった。 古くなった本を見ていると、歴史をたどっているような気持ちになる。 一体どのくらいたくさんの人に読まれたんだろう

          伝記が読めない偉人たち。

          愛、LOVE、タバコ。

          私はもう長年の愛煙家である。 何よりも大好きな時間は、タバコタイムだ。 ちなみに、私の両親も愛煙家だった。 両親共に、お酒は飲んでいるのを見たことがない。 一滴も飲めないくらい弱いのだ。 だが、テーブルの上には必ず灰皿とPeaceのタバコが置かれていて、二人してヘビースモーカーだった。 そんな環境で育った私だが、小学生の頃はタバコの匂いが大嫌いでたまらなかった。 「タバコなんて臭いだけだから辞めた方がいいよ!」 と言い続けていた私が両親と同じく愛煙家になったの

          愛、LOVE、タバコ。

          霊感のある生活【お稲荷さんの神棚編】

          キツネ、といえばお稲荷さんだ。 私は、昔からお稲荷さんと呼ばれる神様が苦手である。 ⬆️霊感を授かった話。先にこちらから読んでいただけるとスムーズかもしれません。 全国の稲荷神社にはたくさんの赤い鳥居が奉納されているが、極力訪れるのを避け、願い事はしないと決めている。 大人になってから得た知識だが、お稲荷さんはよく願い事を叶えてくれるが、見返りを求める、というものである。 つまり、願い事をしたならばずっと感謝を忘れず「ありがとうございます」と伝え続け、奉ることが大切

          霊感のある生活【お稲荷さんの神棚編】

          霊感のある生活 【はじまり編】

          霊とか、見えないものが見えるとか、 そんな話が苦手な方は、今すぐ回れ右をしていただきたい。 私は、中学生の頃から霊感がある。 突然、見えないはずのものが見えるようになったのだ。 霊感とは、物理的に目に見えるはずのないものを見たり、感じたりする力だと認識している。 家族の異変 小学校6年生の時に父が他界し、引き続き父方の家族と同居していた。 父が遺した新築3階建ての家が、主がいなくなった世界で温度を失っていた。 もともと折り合いのよくなかった父方の家族と母は、父

          霊感のある生活 【はじまり編】

          父は、永遠の37歳。

          私の父は、37歳という若さで他界した。 当時、私は11歳で妹は8歳だった。 私は、今月26日に38歳の誕生日を迎え、遂に父がこの世で生きた年齢を超えてしまうことになるのだ。 生涯で二度と訪れない、父と同い年の私でいる内に、父について書きたくなった。 父は、母(私の祖母)と婿養子の父(私の祖父)の間に生まれた。 うちの家系は両方完全に女系が強い血筋で、祖母は三姉妹の長女、母方の祖母も姉弟5人中4人が女性だ。 父は2歳年上の姉(私の伯母)と二人姉弟だったが、祖父と祖母

          父は、永遠の37歳。