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霊感のある生活 【はじまり編】

霊とか、見えないものが見えるとか、

そんな話が苦手な方は、今すぐ回れ右をしていただきたい。


私は、中学生の頃から霊感がある。

突然、見えないはずのものが見えるようになったのだ。


霊感とは、物理的に目に見えるはずのないものを見たり、感じたりする力だと認識している。



家族の異変


小学校6年生の時に父が他界し、引き続き父方の家族と同居していた。

父が遺した新築3階建ての家が、主がいなくなった世界で温度を失っていた。

もともと折り合いのよくなかった父方の家族と母は、父という大きな存在がなくなり、悪化した。

言わば、母は”他人”として同居せざるを得なくなったのである。

血の繋がりのある私たち姉妹がいるから、というスレスレの状態だ。


父の死後、母は酷いうつ病だった。


そりゃ無理もない、37歳であれほど愛していた伴侶を亡くした世界は生き地獄でしかない。

どんな関係でも、生きていれば会える可能性は0%ではない。

焼かれた父の骨を拾って骨壺に納めた母は、もう二度とこの世で父に会えないのだ。



4歳離れた妹は、同じ頃に摂食障害になった。

たった9歳で、体重が一気に14kgも減り激痩せしてしまったのだ。


妹は「食べ物が恐い」と言って、食事を避けた。

ケラケラ笑う愉快な彼女だったが、みるみる内に頬がこけて無表情になってしまった。

社会の教科書で”発展途上国でエビの殻を剥く少女”というタイトルの写真を見つけ、あまりにも彼女にそっくりだったのが今でも鮮明に焼き付いている。

成長期の元気なイメージとは真逆の、希望を失った表情になりとても痛々しかった。


紹介してもらった大学病院の小児精神科を受診し、心理検査を繰り返していく内に、根本の原因は父方の祖母との関わり方にあるということが発覚したのである。


妹は、昔から祖母のことが大嫌いだった。

聞き分けがよく素直な当時のわたしと正反対で、妹はとても気が強くて主張が大きく、少しでも嫌だと思ったら「絶対に嫌!」と、ことごとく歯向かい続けた。

昔から母が冗談で「さすがこの子、13日の金曜日、仏滅の曇り空生まれだわ!」と言っていたほど、とにかく気性が激しいのである。


祖母も祖母でだいぶ気が強く潔癖で冷たい性格の人だった。

実の子どもである父と姉(私の伯母)への愛情もかなり差をつけていたように、孫の私たちにもそれは継承された。


彼女はとにかく、素直で聞き分けがいい子を好むのだ。

自分が言う通りに従ってくれる子を「いい子」と呼ぶのである。



母親は酷いうつ病、妹は摂食障害(拒食症)。


この時期に私は、突然「霊感」を授かった。



私だけに見えた女

ある日の夜、夕食を終えてダイニングにいた。


テーブルの奥、窓横の角の、何もないスペースに見知らぬ女性が立っていた。

ロングヘアで白いワンピースを着て、うつむいて立っている。


私は知らない人だったので、食器を洗っていた母に

「この女の人、誰?なんでうちにおるん?」


と尋ねると、母は眉間にシワを寄せて

「は?誰?何?なにもないやん!」


と、明らかに動揺しながら強く私にそう言った。



母の「信じたくない」という雰囲気を察し、私はもう一度その女性の方を向き、頭からゆっくり下に視線を降ろした。



そして、悟った。


「あ、人間じゃないんだ。」



彼女は足がなかったのだ。

膝下丈のワンピースの、ふくらはぎから下がぼやっとぼやけて消えていた。



「ちょっとーーーー気持ち悪いよ怖いよ!!」



奇妙な私の発言に、母はこう繰り返した。


私が見えないものを見てしまった瞬間に、遭遇してしまったのである。




見えるようになってからわかったことだが、いざ見えると霊って至極普通なのである。

ここで言う普通、というのは、特に特別なものでもなく、怖いものでもなく、私たち人間と変わらないという意味だ。

もちろんフルカラーで普通の人間に見えるので、あの女性のことも「知らない人が家の中にいる、なんで?」としか思わなかった。


それからというもの、人間と彼らの境界線がなくなってしまった。


十字路にいた親子

中学生の頃は音楽部でビオラを弾いていた。

常に全国コンクール上位に入っていたので、暑い日も寒い日も毎日練習の日々だった。

冬場は日が暮れるのが早い為、練習が終わると辺りは真っ暗だった。


練習を終えて先生の話を聞いていた時。

ふと窓から外に目をやると、100mほど向こうの十字路に人影が見えた。

お母さんと小さな息子さんが、二人で抱き合いしゃがみこんでいる。

こんな真っ暗の中、一体どうしたんだろう?と気になった。


この時間は滅多に人なんて通らないので不思議に思っていると、左側から大きなトラックがその十字路に向かって走ってきた。


トラックのライトに照らされた親子は、微動だにしない。


「危ない!!!」

声にこそ出さなかったが、あまりにも一瞬の出来事だったしトラックはすでに十字路に差し掛かっているのでどうすることもできない。



私は思わず目を伏せた。




恐る恐る目を開けてその十字路をもう一度見た。


何もなかった。



さっきまでいたはずの親子が、どこにもいないのだ。


つい今トラックが走ったので、幸い逃げられたのなら私の視界に入る範囲にまだいるはず。


不謹慎だが、仮にはねられたとしても親子はそこにいるはずだ。


「あ、そういうことか。」


これが初めてではないので、あの親子は家にいたあの白い女性と同じく「物理的に見えない人物」なんだと納得した。

そういえば二人とも、この時代に誰も着ていない日本昔話に登場するような着物を着ていたもんな。



それからしばらく、このようなことが起こり続けた。



同時期に、私は引きこもりの不登校になった。

もともと綺麗好きで整理整頓が得意なのだが、突然どうしたことか自分の部屋が片付けられなくなり、みるみる内に部屋が荒れ果てた。

所謂、汚部屋である。

足の踏み場がないほど物が散乱し、クローゼットは常に開けっぱなし。


しばらくそこで生活していたがいよいよどうしようもない状態になり、3階の自室から誰も使っていない2階の和室へ移動した。



そこで寝ていると、杖をついたおばあさんやらおじいさんやらが見えるようになった。

いつも決まって夜中に現れるので、完全に夜型になっていた私は違和感なく一緒に過ごしていた。

何も危害を加えてきたりはしないし、もう慣れてきていたので何もせずにただ存在を感じながら過ごす、という状態だ。


自分が「見える」ということは、断じて誰にも言ってなかった。

その能力があったところで何ができるわけでもないし、自分でもこれが本当に霊感なのかどうかもわからず不透明なものだったからだ。



キツネが化けた女性


調子のいい時は学校へ行ったり行かなかったりしながら、不安定な精神状態が続いていた頃のある日の部活の練習中のこと。


同じ部員の女の子の肩に、キツネが乗っているのが見えた。

キツネ、と言っても、正しくは「キツネが化けた女性」だった。

江戸時代の女性の風貌で、水が入った桶を肩に乗せて運んでいる。

どうやって”江戸時代”と特定できたのか今でも不思議なのだが、そういう情報もスッと入ってきたのだ。



もちろん、その子にも周りの子にも告げなかった。

もし「キツネが乗ってるよ」などと告げてしまったら、この子は恐怖に慄き生活に支障が出てしまうかもしれない。

眠れない日々が続いてしまうかもしれない。


そんな安易に「見えないものの目撃情報を共有してはいけない」、と思ったのだ。



心の中でひっそりとそう思っていた時。


「あ!◯◯ちゃんの肩にキツネが乗ってる!!」

耳を疑うような台詞が、私じゃない誰かから放たれたのだ。



声の主は、私と同じパートを担当していたAだった。


その当時Aも同じく精神状態が不安定で、奇行の兆候があったり、演奏中に突然泣き出して楽器を置いて部屋を出ていくこともあった。


Aは成績優秀で、地元ではとても有名な会社の娘だった。

「出来て当たり前」というプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、彼女なりの苦悩を抱えていたと思う。

親友、と呼べるわけではないが、しょっちゅう手紙のやり取りもしていたし、パートも同じなので関わることが多かった。


私だけが見えているはずの存在が、Aにも見えていたのだ。




私は咄嗟に、

「えっ!?Aも見えてるの?」

と尋ねると、


「うん、見えるよ。見た目は江戸時代の女の人だけど、キツネ!水を運んでる。」




驚きすぎて、時が止まった。

私は何も口にしていないのに。


二人に「キツネが乗っている」などと、なかなかのパワーワードを告げられながらも、当の本人は非常に落ち着いた状態で、「へー!そうなんだ。」とかなり冷静だったので安心した。

彼女がパニックになるのを恐れて言わなかったが、Aが発してくれたおかげで、私自身の霊感なるものが確信に変わったのである。


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