魔法が解けかけて。真反対の人と踊り続ければ、ガラスの靴は割れちゃうみたい。
彼との関係が本当によくない。
ただ今絶賛大喧嘩中なのだが、もうそんな喧嘩がどうのこうのという領域でもなくなってきている。
身の振り方、というものを改めてじっくりと考え始めたところだ。
私は今ロンドンで暮らしているが、そもそもここに辿り着いたのは私の意思ではない。
2年前に彼の転職が決まりここにやってきたわけだが、実はそれまで一度もイギリスという国に興味を持ったことがなかった。
2018年にワーホリでニュージーランドに行ってからずっと海外に縁があるわけだが、自分がイギリスに住むことを想像したこともなく、流れ着いた運命的な場所だと思っている。
約2カ月間の一時帰国から3月にこっちに戻り、手続き諸々を済ませ9月にやっと配偶者ビザを手に入れることができた。
リビング・1ベッドルーム・キッチン・バスルーム・パティオのアパートで家賃は日本円にして約35万円。
日本のアパートの相場からするとなんともクレイジーな家賃である。
ロンドンは英語圏で多種多様な人種の宝庫ということもあり、私が住んでいるエリアは便利な都市部でありながら閑静な住宅街で治安も良いため、住心地は良い。
パティオのすぐ裏に隣人の広いガーデンがあり、リスや猫が毎日挨拶しにくるので、住み始めた当初はまるでディズニープリンセスにでもなったような気分になった。
こんな自然もありながら、10分歩けばヨーロッパ1の規模とうたわれている(それは少し大袈裟な気がするが)ショッピングモールがあり、駅もバス停もたくさんあり大変便利でありがたい。
四国の田舎に生まれ育った私にとっては、人生で一番の都市部での暮らしがここである。
ミュージカルや美術館が大好きな私にとっては、ロンドンという場所は願ってもなかったほど最高の場所だとも思う。
ここに住まわせてもらっていることに、感謝している。
ただ、皆さんご存知の通り「霧のロンドン」とはよくいったもので、いかんせんお天気に恵まれない。
雨か曇りの日が圧倒的に多く、晴れていても突然雨が降り始めたりするので、1日中外に出ている日は折りたたみ傘が手放せない。
この夏の間、30℃を超えたのはたった2日間だけ。
湿気との闘いである日本の猛暑に比べるととても過ごしやすくてありがたいとは思うが、半袖やノースリーブで外を歩けたのは2週間程度だった。
基本的に少し肌寒いので、ジャケットかカーディガンは手放せなかった。
南の島沖縄を愛する私にとっては、まったく物足りない気温だ。
ただでさえ太陽を見る日が少ないのに加え、この秋〜冬の季節になるとサマータイムから切り替わることもあり、日照時間が驚くほど短いのだ。
最近だと、夕方4時をすぎるともう暗い。
どんよりとした空に耐えているところに、さらに夜が長いのだ。
私のようなうつ病経験者にとっては、かなり辛い季節である。
サプリでビタミンDを摂取しているが、それでも元気ハツラツ!!になる日はゼロに近い。
そんな環境の中、彼との暮らしもまさに「霧のロンドン」そのものである。
少し前の記事でも綴ったが、彼はロジカルな性格。
私はパッションが燃料のようなフィーリング人間だ。
まずはこの真反対の世界のお互いと一緒にいることを強い気持ちで選び、様々な修行に耐え忍んでいる二人を称賛したい(誰目線)。
一緒にいるだけでもう、軽い修行である。
もちろん、価値観もまったくといっていいほど合わない。
お互いに、同じものに対して同じような価値を感じられないのだ。
私はファッションも買い物も大好きだが、それ以上に「体験」にお金を使いたい人だと思う。
それこそ、パフォーマンスを愛でるミュージカルなんかがいい例で、「物質的に手元に残らないが感情が揺さぶられ思い出が残るもの」が大好きだ。
旅が好きなのもそう。
37歳で他界した父を見て、「天国には思い出しか持っていけない」のを幼い頃からわかっているのだと思う。
彼はその真逆で、手元に残る「もの」にお金を使うタイプ。
不動産にも興味があり、いろんな家を検索してはコスパなどを考えている。
自分が気に入って、良質で長く使えるものを好むのだ。
私は、その価値観を否定したり批判するつもりはさらさらない。
地球上に、いろんな価値観の人がいるのは至極当たり前のことだ。
ただ、これほど振り切って別世界の二人が共に生きていくには、相当の歩み寄りと尊重と努力が必須である。
もちろん、私たちはそれを怠ってきたわけではない。
むしろ、体当たりでぶつかってきたという自負がある。
彼は極力喧嘩をしたくない人だが、私はパートナーでいるためには喧嘩は避けて通れないと思っている派である。
ここでも真反対なのだ。
彼は、自分の気持ちを言葉で表現するのがとても苦手な男性だ。
そして、基本的に謝らない(自分では「謝るのはいつも俺だ」と言っているが)。
ギリシャ人でいて、実に侍のような人である。
何か嫌だなと思ったことがあれば、私は言葉で表現する。
今までの恋愛経験上、言わずに我慢し溜め込んでよかった試しがないからだ。
10代20代半ばくらいまでは「嫌われないように」努めていた私だが、そんなことに何の意味もないことを悟ったのである。
結局最後に感情が爆発して、心が何も残っていない状態になるのだ。
特に海外に出るようになって「言葉で伝える大切さ」を学んだ。
「言わなくてもわかってほしい」というのは、甘えや怠惰だと思っている。
もちろん、相手の気持ちを想像することや思いやることはとても大事で、それは前提の上で、である。
私たちはあくまで人間で、まさかエスパーやメンタリストじゃあるまいし、人の心を100%読むことは不可能だと思っている。
いや、読めたとしたら付き合って言葉を交わす意味がない。
侍のような彼は、気持ちを表情で表現する。
ムスッとして、誰がどう見ても不機嫌な顔をするのが基本スタイル。
ぶっちゃけ私はこのタイプの男性が至極苦手であり、今まで付き合ってきた人の中にはいなかった。
私は「何かあるなら言ってくれよ」のタイプで、言いたいことをお互いに言い終わったらケロッと仲直り、が理想なのだ。
これは友だちでも同じで、あからさまに不機嫌な顔をするタイプの人があまり得意ではない。
その表情がどれだけ周りの人を不快にさせるか、一度鏡を見てチェックすることをおすすめしたいと思う。
私が尋ねてみても、「なんでもない」としか言わない。
彼は非常に心に秘めるのだ。
もし感情を言葉で表現したら、あまりにどストレートで直接的な物言いになってしまって私を傷つけてしまうとわかっているから押し殺しているんだとも思う。
しかし、押し殺すことがどれだけ心の健康によくないかを私はよく知っている。
私は、それが結果的に私を傷つけてしまうことになろうとも、まず外に出してぶつかってみた方がいいと思うタイプだ。
その言い方に傷ついたら私ははっきり伝えるし、そこでこの言い方は傷つくんだとわかれば「次から言い方を変えよう」、といった具合に、お互いを知り改善することができる。
そうやって傷つきながらもお互いを知って更に関係が深まっていくのだと思うし、一番近いところにいるからこそそうなって当たり前だと思っている。
先月、彼の実家への帰省中よくわかったことだが、彼は不機嫌な顔をしていたら機嫌をとってくれる、あのダイナマイト義母に慣れ切っているのだ。
義母はとにかく息子に甘い。
甘いだけではなく、彼女が昔から厳しく教育をしてくれたからこそ彼は常識をわきまえているし、しっかり自立した立派な大人の男だ。
しかし大切なことなので二度述べるが、いかんせん息子に甘いのだ。
私の目の前でもどこでももう本当にお構いなく、突然彼の顔中にぶちゅーーーーーーっとキスをする。
キスは家族の距離が近いヨーロッパの文化で、私も見慣れているし理解しているのだが、これほどまでにぶちゅぶちゅーーーーっとする人を私はいまだかつて見たことがない(”ちゅ”、と軽く表現していない所に注目していただきたい)。
それを嫌がりもせず自然に受け入れている彼を傍観する私の表情は、
「あ、私今ものすごい顔してるんだろうな」
と自覚するほど唖然とした顔だと思う。
ただ彼女は息子を溺愛しているのだ、なにも珍しいことではない、当たり前だ。
「うちの息子は最高よ!」と私にも言ってくる義母なので、その愛情が溢れ出しているだけだ。
この愛情表現に私が慣れてないだけだ。
ぶちゅーーーに関してはそんな風に「思おうとしていた」のだが、義母が機嫌を取ろうとする姿はとても見ていられなかった。
彼女は、無口で頑固一徹!みたいな義父の機嫌も取り、さらに彼と彼の弟の機嫌も取っている。
決して、日本人が想像するようなか弱い雰囲気の女性ではない。
「ダイナマイト義母」と私が名付けたそれにふさわしく、その真逆だ。
”機嫌を取る”というのは、なだめるというよりは”腫れ物に触る”という方がしっくりくる。
彼女は彼の機嫌を察し、突然優しくなる。
私は「自分の機嫌は自分で取る」というのを徹底しているようなタイプで、理由もなく虫の居所が悪いような自分の不機嫌さをぶっきらぼうに相手にぶつけるなんて、なんて思いやりのない人だろうと思ってしまうのだ。
この義母の溺愛っぷりに慣れて育った彼は、無意識レベルで人に気を遣わせていることに気付かずこの年齢になっている。
これは文化的背景あると思うが、せめて「こういう理由でこう思っている」と、無口で表情で察しろ、じゃなく言葉で伝えてほしい。
もちろん何度も何度も、もう飽きるほど伝えてきたが、長年付き合ってきた性格や習慣は簡単に修正できないことももちろんわかっている(私もそうだ)。
要は、「それさえ受け入れ、まるっとその人を愛せるかどうか」の、シンプルな話なのである。
そう。
「愛する」ということは、義母が包みこんでいるのと同じく、「受け入れる」ことなのだ。
うだうだ言ってないで、愛しちまおうぜ♪、ができてしまえばどんなに楽なことか。
もちろん、「こういう人もいるよね」と、彼の性格に関しては受け入れているし、尊敬するところも多い。
多分私が受け入れられていないのは、それが私のパートナーであり、生涯ずっとこの人といっしょに歩んでいくという覚悟だ。
これだけ真反対な人とのご縁を結んでくれた神様は、きっとドSなんだろう。
私たちに共通しているのは、頑固なところ。
こうと言ったら譲らないところがとっても似ていると思う。
もうこれは、相性。
ケミストリーの一言に尽きる。
昨日は1日中別室で過ごし、口もきいていない。
その前の夜の大喧嘩で、最後に私が放った一言
「あなたは私に、日本に帰ってほしいのね?」
がだいぶ効いているのか、昨夜は湯たんぽと風邪薬を部屋に届けてくれた。
私がキッチンでうどんを食べようとした時にわざわざキッチンに用事があったのかやってきて鉢合わせ、はじめて「同じ空間にいることへの嫌悪感」というものを感じた。
今までよくやってきたなという手応えはある。
早く別れて「もうちょい何かできたかも」と過去に思った経験があるから、今回はそれをしたくはなくてなんとか粘ってここまで来た。
物理的にしばらくの間、それこそ数日でもいいので距離を取りたい。
その間に自分が、相手が、どう感じるかを見てみたい。
それから決断を下しても遅くはない気もする。
どちらにせよ、話し合いは必要である。
私は彼と一緒になってから、ずっとお城で踊り続けていたのかもしれない。
踏ん張り過ぎたら、脆いガラスの靴は割れてしまうとは気付きもせずに。
12時になる直前に、魔法が完全に解けてしまう前に、私が今できることをし尽くしたい。
「あんなことがあったな」って思い出になる前に。