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霊感のある生活【お稲荷さんの神棚編】


キツネ、といえばお稲荷さんだ。

私は、昔からお稲荷さんと呼ばれる神様が苦手である。

⬆️霊感を授かった話。先にこちらから読んでいただけるとスムーズかもしれません。



全国の稲荷神社にはたくさんの赤い鳥居が奉納されているが、極力訪れるのを避け、願い事はしないと決めている。


大人になってから得た知識だが、お稲荷さんはよく願い事を叶えてくれるが、見返りを求める、というものである。

つまり、願い事をしたならばずっと感謝を忘れず「ありがとうございます」と伝え続け、奉ることが大切だということだ。

もしも無碍に扱ったり、感謝を忘れようものならばお怒りになるという。

一度奉ると決めたら、一生どころか次の代にも引き継いで行くことが礼儀だそうだ。


それを知る前からお稲荷さんとは相性が合わないなと思ってはいたが、なるほど、と腑に落ちるエピソードを母から聞いたのだ。



お稲荷さんの怒り

私が幼い頃、祖父と祖母は小さな商店を営んでいた。

サイダーの製造販売もしており、大きな機械が裏にあったのを覚えている。

祖父の作るサイダーの味は絶品だったらしく、とても人気だったらしい。


商売をしていたのもあり、店の奥にある神棚にはお稲荷さんが奉られていた。


父の自営業が軌道に乗り、古くなった家を新築に建て替えることになった。

そのタイミングで、祖父母は店を畳むことにした。



計画は進み、さぁいよいよ明日この家を取り壊すぞとなった解体前日の夜。


突然そのお稲荷さんの神棚はガシャンッッ!!大きな音を立てて崩れ、床に落ちたのだそうだ。

地震があったわけでもなんでもない。

ほんとうに突然、誰も触っていないのに神聖な神棚が崩れ落ちてしまったのだ。



私はその場面を覚えていないが、明らかなお稲荷さんの怒りだ。

神棚を奉ってはいたものの全く信心深くなく信仰心もない祖父母は、明日この家を取り壊すことをお稲荷さんに報告していなかったはずだ。

長年この家を守ってくださっているお稲荷さんからしてみれば、無礼極まりない行為である。


本来、取り壊す前に神社にお願いをして祈りを捧げるのが礼儀だろう。

家の一部として紛れて、一緒に解体されるのをお稲荷さんは嫌がったのだろう。

「馬鹿にするな、邪険に扱うな」と思われたのだろうと、私は思うのだ。



家を解体したのと同時に、昔からあった井戸を埋めたらしい。

神棚が落下したのを受け、その井戸と一緒にお祓いしてもらったそうだ。


それほどの強い怒りを感じた神様が、ただの慣習に沿ったお祓いでお許しになるだろうか?

せめて、心からの謝罪であればもしかして届くかもしれない。

そうじゃなければ、お怒りになってからでは時すでに遅しと思う。



それからその土地に新築は完成し、たった数年後に父は37歳の若さでこの世を去った。


母は結婚生活中、毎日の頭痛や神経痛に襲われ、妹を出産した直後に子宮頸がん直前で子宮を摘出することになった。


新婚旅行中ずっと理由もなく涙が止まらなかったそうだ。


見えない世界との因果に確実なものはないが、何かが察知していたのかもしれない。



実は、この家の住所には「稲荷」が含まれているのだ。


しかも番地は、173を含む。

まさに”い1なり7さん3”である。


これに気付いた時は、さすがに身の毛がよだった。


長年縁があるどころか、此処を護っている土地の主なのだと思う。



私たち家族全員の様子がおかしくなり、私は霊感を授かることになった。


家庭不和は更に進行し、冷酷で自身の利益優先の父方の親戚との会議が毎週のように行われた。

私は中学生だったが、長女なりに四面楚歌の母と親戚の間に立ち精神をすり減らす日々だった。


さようなら、お稲荷さん。

「これ以上ここにいたら命を取られる」


母は遂に命の危険を感じ、父の死後3年が経つ頃、思い切って家を出てきたのである。


なんと母は、別の町に土地を購入し家を建て、引っ越しをたった1日で済ませ、私たち姉妹と愛犬3匹を連れて新しいスタートを切ったのだ。

歳を重ねれば重ねるほど、彼女はスーパー母ちゃんだと尊敬の念が増えていく。


もちろん、あのお稲荷さんと家族にはありがとうございましたと3人で感謝を述べ、母がこだわっていた”立つ鳥後を濁さず”を大切に区切りをつけた。


父方の家族とは縁を切ったのも同然で、家を出てから一度もコンタクトを取っていない。


母も妹もあの頃とは比べ物にならないほどに回復し、今も健康をいただいて元気に暮らしている。




霊感のある生活のその後


私もあれからというもの、生きている人間と区別がつかないような見え方をすることはなくなった。

しかし、人の後ろに背後霊や守護霊、スタンドのようなものの存在がはっきり見えていた時期がある。

希望があれば友人に告げたりすることもあった。



見えているもの以外に感じるものや事があれば伝えるのだが、


「え!?それ誰にも言ってないのになんでわかるの!?」


と、だいたいみんなに驚かれた。


なんでわかるのか、私が一番知りたい。



感じる能力は今もあり、一人旅の時や引っ越しの時にかなり役に立っている。

これは、どうしても嫌な場所のようなものを察知できる能力なので、自分で自分の身を守ることができるのだ。

中でも特にラブホテルは圧倒的に強烈な念を感じることが多く、入室してから「ここ駄目だ、別のところにしよう」と何度も空気をぶち壊しながら身を守ってきた。



はっきりと見えていた頃、私は完全にあちらの世界とチャンネルが合っていたのだ。


ラジオと同じようなもので、チューニングを合わせることでその番組が聴ける。

特に低い波動の霊の世界とぴったりチューニングが合ってしまっていた私は、精神を病み、部屋を片付けられず、家族みんなの波動も低く影響し合っていた。

波動は低くなると入り込むスキが出来るので、自分じゃない何かに取り憑かれていた可能性が高い。

しかし、自分の波動(チャンネル)が変わると彼らは同居できなくなるのだ。


自身の経験に基づく”高い波動を保つコツ”については、いつか別記事に記そうと思っている。



私のnoteはすべてノンフィクション、今回は霊感について記した。

これからも私は、この何かを感じる力と共存して生きていく。


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