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汚部屋への来客。

中学生の頃しばらくの間、私は不登校になった。

幼稚園の頃にも不登園児だったので「学校に行かないこと」自体人生初ではないのだが、思春期のそれはもっと心の複雑さを感じる。

小6で父が他界した後、母も妹も私も様子がおかしくなったのだ。



精神の健康というものはとても大切で、少しでもバランスが崩れると日々にちょっとした変化が現れる。


例えば私の場合、元々綺麗好きなのだが一切部屋が片付けられなくなった。

当時「汚部屋」「カタヅケラレネーゼ」などの言葉がトレンドだったりしたが、まさに私がこれだった。

とにかくあの頃は、何もかもが床に散らばっていた。

何と何が、とかを羅列できるレベルではなく、冗談抜きで”何もかも”なのだ。

「足の踏み場がない」とはまさにこのことである。


ある日、1匹のネズミがキッチンに現れた。

おそらく隣接する古い母屋的な場所からだろう。

潔癖症に近い祖母のおかげで家はいつも清潔に保たれていたので、私はこの時生まれて初めてネズミを見た。

この時に捕まえられず、見失ったのだ。



父が建ててくれた新築の3階に私の部屋はあったのだが、しばらくしてなんと、あのネズミがその自室にいることが発覚したのだ。


1階にいたはずのネズミが3階まで階段を登ってきたところを想像すると、なんともシュールな気分になる。

よりによって私の部屋が選ばれたなんて…とショックを受けたが、至極当然のチョイスである。

散らかり放題のあの部屋は、ネズミにとってはパラダイスに違いない。

静かなるエレクトリカルパレードが開催されたようなものだ。

私はそのテーマパークの扉をそっと閉め、近づかないように努めた。


この頃、自部屋の散らかり方がいよいよ深刻化し生活しづらくなっていたので、誰も使っていない2階の和室と併用して過ごしていた。

これを機に、私は2階の和室へ完全移住した。

片付けられないとはいえ、ネズミと共存は無理だった。



どのくらいの期間そうしていただろう。

数日だか1週間だか、よく覚えていないがそのまま放置していたのだ。

食べ物こそ置いていなかったが、ネズミは雑食と聞く。

ガサガサと音がしているのを聞いたので、余裕で生きていると踏んだ。


だが、”さすがにずっとこのままじゃまずい”とやっと思い立ち、母に頼んでネズミ捕り(入るとカゴが勝手に閉まるタイプ)を買ってもらった。

このグッズがあることも、金物屋さんに売っていることもこの時に知り、ネズミについて勉強した気分だった。



このことを母が祖母に話すと、この上なく怪訝な顔で

「カゴに入れたままドブに沈めたらいい!」

と言われたそうだ。



確かにネズミは害獣で、駆除する他ないのだ。

だが、ネズミには目と鼻と口があって瞬時に「動物」と判断できる生き物だ。


昔、私はハムスターを飼って可愛がっていたので、正直ネズミは彼らと親戚どころか兄弟にしか思えなかった。


なんでネズミがこれほど嫌われてハムスターが愛されるのかは、あの尻尾のフォルムなのだろうという結論に至った。

ネズミの長い尻尾はミミズに見えて気持ち悪いのかもしれない。

ハムスターの尻尾は丸くてかわいいので愛されるのかもしれない。

顔はよく似ているのに、尻尾の形が天国と地獄を分けるなんて、本当に神も仏もないなと思った。


私はその金属製のカゴの中にチーズを入れ、自室に置いてドアを閉めた。


翌朝見てみると、チーズがなくなったカゴの中に茶色のネズミがいた。

やはりあのネズミは元気に生きていて、私の代わりにここで生活していたのだ。

昔飼っていたジャンガリアンハムスターに似てかわいい顔をしていたが、尻尾はやはりミミズみたいだった。


祖母の言っていた「ドブに沈める」なんていう方法は、母には到底出来るはずもなかった。

その話を聞いただけで涙ぐんでいたような母なのだ。



母が幼い頃。

実家の古屋で死んだネズミを見つけ、思わず抱きかかえて「可哀想に…」と泣いていると、それを見つけた母(私からすると祖母)に

「早くどっか捨ててきて気持ち悪い!菌がつく!」

と怒られたそうだ。


この母方の祖母は心やさしく朗らかな人だったが、やはりネズミというのは嫌われ者なんだな、とこのエピソードを聞いてしみじみと思ったものだ。


ちなみに、母は子年である。

きっと干支が同じで親近感が湧いているのと、動物好きな相乗効果で「ネズミを駆除」することは彼女には不可能だったのだ。



母は車を走らせた。

父が遺した大きなダットサン(日産の、後ろに大きな荷台がついている車)に、ネズミを乗せて。

しばらく走らせて向かったのは、辺りに何もない広大な原っぱのような場所。

突然雨風凌げる家の中から、見たこともない謎の場所に連れて来られたネズミは、きっと混乱していただろう。



母は、カゴの扉を開けた。

ネズミは「待ってました!」と言わんばかりに飛び出し走っていったが、途中で一旦止まって母の方を見た。


「もう二度と帰ってくるんじゃないぞーーーーー!」

と、ネズミに向かって大きく叫び手を振ったそうだ。


私が学校に行っている間のことだったので、帰ってからこのエピソードを聞いた。


それからしばらくの間、母に何かラッキーなことが起こると”あのネズミの恩返しかな”と思っていた。

突然ワイルドなサバイバル生活を強いらることになったネズミだが、ドブに沈められるより、粘着ネズミ捕りで生け捕りにされて捨てられるより、人間とは隔離された場所で生きていける可能性はゼロではないはずだ。


母はたしかに、1匹のネズミの命を救ったのだ。



しばらくネズミが生活していたあの私の汚部屋は、もう見事なまでに荒れまくっていた。

ありとあらゆる布製品、ぬいぐるみなどがかじられ、無惨な姿になっていた。

木製の家具なども完全にアウトで、さすがネズミの前歯は強いんだなぁと感心した。

そして、至るところに散らばった小さな糞…。



今思い出して書いているだけで身の毛がよだつような、ある意味リアルホラーである。



私はこれを機に、遂に大掃除に至った。

さすがにもう耐えられるレベルを大きく超え、生理的に限界だった。



突然の来客のおかげで、私は晴れて汚部屋卒業となったのだ。

私の重い腰を上げてくれたこの出来事こそが、ネズミの最大の置き土産であり恩返しなのかもしれないなと思った。



あの小さなチーズが、私に大革命を起こしてくれることになったのである。

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