やっと「優しい」が板についてきた。自己分析と他者印象の違いと思い込み。
周りの人が私を形容してくれる言葉に「優しい」がある。
昔から「なっちゃんは優しい」と言われてきて今40歳目前だが、最近になって漸くその言葉に頷けるようになってきた自分に気付いた。
幼稚園の頃にいじめにあった記憶が大きく影響し、それこそ社会人になってからもしばらくは
「私の優しさは本物じゃない。嫌われたくないから優しくしているだけだ。」
と、自己分析していたのだった。
いじめを経て
「笑顔でいたら嫌われない」
ということを身を以て知った。
当時はとても表情が暗く大人しく、本を読むのが大好きな子どもだった。
「集団行動はできるが嫌い」なタイプで、気づけばひとりを選ぶような子どもだったし、今でもこれは変わっていない。
だからひとりでふらっと一人旅に行くのが大好きだ。
好かれたらいつか嫌われるかもしれないと恐れ、
「嫌われない立ち位置でいること」
に全力を注いだ学生時代だった。
まぁもともと自己主張の強いタイプではないので、誰かの主張を受け入れることはいとも簡単にできていた。
逆に誰かが主張してくれた方が私も対応しやすい。
だって、特に何のこだわりもなかったから。
そんなわけで「嫌われないポジション」を死守していたような私だったが、だからといってヘコヘコするようなタイプでは全くない。
何か変な駆け引きをしたり、誰かに仕えるようなことはしなかった。
私のことは何も気にしないで、空気のように扱ってほしいだけだったのだ。
とにもかくにも「嫌われないように」とだけ。
ただそれだけに全エネルギーを注いでいたのだった。
嫌われるなんて、耐えられない。
誰か陰で私の悪口を言ったり、あの子って嫌だよね、と思われることへの耐性がゼロ、皆無だった。
これは幼稚園の頃に散々経験したのでもう十分だ。
とにかく自分を守って生きていたように思う。
あの頃私が振る舞っていた優しさは、その人の為ではなく、あくまで私が嫌われないようにするため。
私が私のためだけに優しさを振りまいているのを、周りは勘違いして「なっちゃんは優しい」と言っているんだ。
その優しいように思える私の言動や行動はエゴの塊で、私のためだけにやっていることなんだ。
心は大きな声で、そんな風に叫び続けていた。
その「優しい」という形容詞は、まったく自分に似合わないと否定し続けていたのだった。
それでも人に恵まれ続けた私は、「ありのままの自分でいいんだ」と気付かせてくれた友人に出会った。
彼らは、私が思う「本当の優しさ」を持っていた。
優しいふりをしている私なんかとは器が違う、心から優しくユーモアに溢れた友人との出会いによって、その後の私が変わっていく。
それからどんどん自然に「ありのままの自分」を表現できるようになった。
いつしか長時間一緒に過ごしても無理なく「私」でいられる友人に恵まれ続けた。
昔は長時間人と一緒にいると無理がきかなくなり、苦痛になってしまっていたのだ。
実際、その無理をしていた(嫌われないように努めていた)頃付き合いのあった友人は、今やほとんど繋がっていない。
やはり、仮面を被った状態で付き合ったって、結局長くは続かないし無意味だということを自身の体験で学んだ。
実際、社会人になってから出会った友人=ありのままの自分で接してきた友人とは、もう長年交友関係に恵まれているし、私も心地良く共に時間を過ごせる大好きな友人たちだ。
彼ら彼女たちはきっと、嫌われないように努めていた私の姿は想像できないだろうと思う。
そんなことを思い出しながら、なんとも面白いことに気付いたのだ。
なんと、ありのままの私として出会い付き合いのある彼ら彼女たちが私を形容する言葉もまた、「優しい」が圧倒的に多いのである。
私の体感としては、学生時代に言われていた「優しさ」とは雲泥の差とも言えるほど別物なのだが、変わらず優しいと言われ続けていることに最近になって気付き、こうして文章にしているところだ。
きっと、実は私は昔からずっと「優しい人」なのだと思う。
感受性が高いが故に、起こったことに心が敏感に反応していたのだろう。
それで仮面をつけるという技を身に着けて、なんとか自分で自分を守ってきただけなのかもしれない。
もともとの優しさに、優しさの仮面をつけて。
なんと、私の正体はダブル優しさ仮面だったのだ。
自分は「この仮面を取ったら優しくないから嫌われる」と思い込んでいただけで、実は仮面を外したって優しかったんだ、というオチ!
こういう思い込みってあるよなぁ、と思う。
自己分析と印象が違うかも、と思ったら、周りの信頼できる人に聞いてみることをおすすめしたい。
「ねぇ正直に教えて、私ってどんな人?」って。
私自身が体験したように、それは根の深い思い込みで「実はこうだった」なんていう自分への新しい発見があるかもしれない。
私は最近になってそれに気付き、自分をまるっと全肯定できるようになった。
みんなが言ってくれる「優しいなっちゃん」が、この歳になってやっと板についてきたような気がして、ちょっと嬉しくなっている。