与えられるだけではなく 与えられるものがあれば
言葉の響きに寄り添いながら、自然と心地よい気分になるのは、なぜだろう。
同じ言葉を使っても、私も、他の誰にも、そんな空気を出せるようには思えない。
人柄、というものがどこから滲み出るのかはわからないけれど、少なくともこの言葉の感じは、やわらかく、ほぐされる。声の調子もあるのだろうか。声と言葉が合わさって、まさしく、旋律のように、感じるのだろうか
。
ひとつひとつの響きに意味を持たせ、その流れの中に、美しいものが見出される。それは感性の領域かもしれない、けれど、今、たしかに、私は、感じている。
心を癒したり、ほぐしたり、安心を与えたり、包みこんだり。不思議だ、本当に、不思議だ。
そんな言葉を操る人に、出会えてよかった。
縁がつながったことを、感謝します。
自分の未熟に、拙さに、気づかせてくれて、ありがとう。
そんな人がまだ、まだ、まだまだ、きっと、この世界のどこかに存在するから、おもしろい。
教えてくれる、気づかせてくれる。
未熟なんだ、拙いんだ。
満足している暇なんて、ないよ、って。
自分が完成しているなんて、傲慢なことだ、って。
終わりがない、終わりはない。
きっと、まだ、まだ、つながっている。
そんな私にも、誰かの気づきになれているだろうか。
誰かの手本に、誰かを導けるような、ものを、持っているだろうか。
そうあれたらいいな。
それが何かはわからないけれど、何か、何か。
私にもーー
与えられるものがあれば、それは、とても、うれしい、な。
いいなと思ったら応援しよう!
いつも、ありがとうございます。
何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。