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青く沈んだ夜明けの向こう【長編小説|完結済】

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青白い夜明けで足を止めたその世界で、俺は彼女に出会った。
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2022年12月の記事一覧

【長編小説】(終)青く沈んだ夜明けの向こう

向こうの世界を写していた水面が、流れ落ちる水流に引っ張られて渦を巻く。最後にボコボコと音を立て、シンクをいっぱいに満たしていた水は消えた。空っぽになったステンレスの表面には、もう”彼ら”の世界は写らない。 「それで、どうして僕は、この世界は壊れなかったんです?」 窓から差し込む透明な光が届かない部屋の隅、強い光の傍にできる深い闇の中にいる”それ”は、僕の問いに身体を震わせた。 「僕は願いを諦めた。姉さんと一緒にいたいという思いを果たそうと足掻くのをやめたのに」 黒い靄

【長編小説】(58)青く沈んだ夜明けの向こう

迎えなんていらないと何度伝えたかわからない。それでも自分の就業時間に合わせて閉まった図書館の正面玄関に現れる黒川玄に、青海瑠璃はもう何も言わないことにした。 自分の荷物くらい自分で持てると言っているのに、彼は彼女の肩からリュックを掠め取っていく。以前は生成りのトートバッグを使っていたが彼が最も容易く取り上げるのでリュックに変えたというのに、結局彼はそれさえ自分の肩にかけてしまう。もしも彼がこの国が凄惨な敗戦を迎えた”あの時代”に生きていたなら、ひったくりで生計を立てられたかも

【長編小説】(57)青く沈んだ夜明けの向こう

大学図書館の閉館時間を告げるメロディが流れて、まばらに残っていた来館者が次々にその場を後にする。館内に人が残っていないことを確認した司書が正面の自動ドアにロックをかけ、”CLOSED”の看板を立てた。職員たちは各々切りのいいところで仕事を片付け、鞄を手にして裏口へ。 ピンと伸びたほっそりとした背中に「青海さん」と声がかかる。 「ねえ、あなたをアルバイトから社員にって話が上がっているんだけど、どうかしら?」 年配司書の声に青海瑠璃は振り返った。肩の高さで揃えられた濃紺の髪が

【長編小説】(56)青く沈んだ夜明けの向こう

もう少しで俺の住まいであるボロアパートが見えてくるというところで警察官に呼び止められた。 人目の多い大通りで啜り泣く女性を背負ってしこたま走ったのだ。俺たちの様子がおかしいと思った人がいたのだろう。 2人組の警察官は、加害者に向けるような視線を揃って俺へ向けた。これはある程度仕方のないことだろう。かたや儚さ丸出しの小柄な女性、かたや目つきの悪いガタイのいい男。これが何らかの事件だったとして、加害者たるは俺の方だ。 この時にはもう泣き止んでいた瑠璃をそっと地面に降ろして、不躾な

【長編小説】(55)青く沈んだ夜明けの向こう

雑踏のざわめきと、ヒステリーな車のクラクション。子供の笑い声、女性のヒールの硬質な音、コンクリートと排気ガスの匂いと、青信号を伝える間の抜けたメロディ。 踏み出した先、太陽の透明な光に慣れた視界には、見慣れた街の大通りが広がっていた。 「……は?」 スマートフォンを耳に当てたサラリーマンが、煙たげな視線をこちらに向けつつ歩いていく。広い歩道のど真ん中に立つ俺たちを、邪魔そうな顔をした人並みが避けていく。ひとまず3歩後ろに下がって、薄暗い路地の日陰に立つ。 「……玄、ここ

【長編小説】(54)青く沈んだ夜明けの向こう

世界が終わろうとしている。目の前に広がる崩壊がすぐに収まるいつものそれとは異なることは、この世界の住人でない俺にもすぐにわかった。これはもう2度と元に戻らない、不可逆的な崩壊だ。 すぐにでもこの世界を脱出しなければと言う場面で、瑠璃はうずくまったまま動かない。どう声をかけたものかと悩んで、ひとまず軽く手を引いてみたが頑として動こうとしない。彼女の細い身体など簡単に抱え上げられるが、ここで無理をしては良くないと心の中の佐藤が叫んでいた。 「……瑠璃」 「……」 「瑠璃、おい。

【長編小説】(53)青く沈んだ夜明けの向こう

扉を抜けると、高い塔の天辺にあるはずのそれは青い地平に繋がっていた。 青い花畑を踏み締める。足元で死んだ花弁が舞う。振り返ると、通ってきたはずの扉は消えていた。もうこんなことに驚くような俺ではない。扉があったはずの場所、やがて死ぬ夜を背景に立つ白を睨め付ける。 「……鯨が好きなのは、瑠璃じゃない」 「ええ、そうです。僕ですよ」 淡く微笑む鈍色の瞳の向こうを流れていく鯨の腹から、赤い血が流れている。 「戦争で両親を亡くし、生きる場所を求めて陸を歩いた。でもそこに僕たちの生きる

【長編小説】(52)青く沈んだ夜明けの向こう

るりねえはいつも優しくて、彼女の柔らかい腕に抱かれると小さな僕は心の底から安心できた。ここには世界の温かさの全てがあって、どこよりも安全で、心地よかったから。生まれたばかりの僕を背負って焼け野原を歩いた彼女の強さも、両親も家も失ってなお生きるために必死だった彼女の強かさも、決して僕の手を離そうとしなかった彼女の優しさもちゃんと知っていた。 僕はまだ幼く無知で、言葉もろくに話せなかったけど、彼女の思いだけはきちんと感じ取っていた。 朝、るりねえはこちらに微笑みかけ、何かを言う

【長編小説】(51)青く沈んだ夜明けの向こう

溜息が出るほど巨大な円筒形の空間を見上げる。びっしりと本が収められた壁を螺旋状に這う階段は、空に昇っていく龍にも、この場を縛る大蛇にも見える。1番高い場所に見えるあの扉の前は龍の頭か、それとも大蛇の腹の中か。 木目調の板が壁から突き出しているだけの簡素な階段だ。金色の手すりはデザイン性を重視したような作りで、細く繊細な造形をしている。転落防止には心許ない。まるで見る者に転落をイメージさせて登ろうとするのを阻んでいるようだ。 最初の一段に足をかける。見かけよりずっと硬い素材でで

【長編小説】(50)青く沈んだ夜明けの向こう

中村は物静かで、いつも教室で飛び交うどうでもいい会話の外側にいて、日本人形のような黒髪が印象的な勉強のできるやつだ。いつも小テストでは100点を取り、授業で教師に当てられて答えられないことはないし、この前の中間試験では学年1位だった。 どう見ても社会人ではない。佐藤と同年代に見える彼女がなぜここにいるのか疑問に思い、たまたま会話をする機会があったときに訊ねたら「不登校だったから」と呟いた。 彼女の学力なら良い高校に行けただろうに、みんなと同じ時間に同じように学校に行けなかった

【長編小説】(49)青く沈んだ夜明けの向こう

定時制高校の1時間目、数学Ⅰの終業のチャイムが鳴った途端、前の席の佐藤がぐるりとこちらを向いたと思ったら「ゲンゲン、恋してるでしょ?」などと言い出した。振り向きざまに顔に当たった彼女の髪のせいでくしゃみが出そうになり、堪え、 「は?こ、恋?」 「顔に書いてある。あの人のことが好きで好きでしょうがないって」 「なんだよそれ、書いてあるわけねえだろ」 「とぼけちゃって、耳赤いよ?ゲンゲンってコワモテの癖にそういうとこ可愛いよね」 「うるせえ」 佐藤はヤンキーで、元いた高校を暴

【長編小説】(48)青く沈んだ夜明けの向こう

はっとして、辺りを見回す。所狭しと並ぶ重厚な本棚の間には、変わらぬ静寂が流れていた。自分が現実での意識を失ってどれくらいの時間が過ぎたのか気になって、反射的に外を見た。図書館のような城の外はやっぱり青白い明け方で固定されていて、太陽の動きから経過時間を窺い知ることはできない。では時計はどこかと探したが、そういえばこの世界を訪れるようになってから、一度も時計を見たことがないと気がついた。 「玄、大丈夫ですか?」 向かいに立つ白が心配そうに首を傾げた。と言ってもこいつの上半身

【長編小説】(47)青く沈んだ夜明けの向こう

小さな白い平家の扉を開けると、慎ましやかなリビングダイニングと青白い空間の向こうにキッチンが見えて、テーブルの上から昇る湯気からは美味しそうな匂いがした。 促されるまま椅子に座ると、ついさっき俺が彼女に呟いた食事メニューそのままが、ついさっき用意したように並んでいた。いつ作ったのだろう。誰が作ったのだろう。そんな疑問が脳内を飛び交ったが、向かいに座った彼女が「どうぞ」と言ったので俺は言葉を飲み込み箸を手にした。 温かい米の甘みが、味噌汁の塩気が、焼き鮭の香りと卵焼きの柔らかさ

【長編小説】(46)青く沈んだ夜明けの向こう

真っ黒で息苦しい、右も左もわからないトンネルのような空間をしこたま歩くと、やがて向かう先に淡い光が現れた。それが出口である事はすぐに察しがついたので、俺は疲れ果てた両足の力を振り絞った。死にたいと言っても、こんな訳のわからない場所で力尽きるのはごめんだと思っていたからだ。 できるなら、あの日の母のように、不遇に一死報いるような死に方をしたいと思っていた。憎む相手に壮絶な記憶を焼き付けるような、一生消えない傷を作るような。 光はすぐに大きくなり、俺はトンネルを飛び出した。開けた