松本直也|きのこ

あわいのお坊さん → 旅(遊行・ご挨拶まわり)|芸人(愉快)|カジュアル(半僧半俗)|ジェンダー(性)|きのこ(胞子・法師・奉仕) テーマは生と死。散歩をしたり掃除をしたり。 よく寝ます。その辺にいます。

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あわいのお坊さん → 旅(遊行・ご挨拶まわり)|芸人(愉快)|カジュアル(半僧半俗)|ジェンダー(性)|きのこ(胞子・法師・奉仕) テーマは生と死。散歩をしたり掃除をしたり。 よく寝ます。その辺にいます。

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最近の記事

複雑で濃い味わいが好き

「すぐに、今すぐに・・・」見たい世界や望んでいる世界にいくというよりかは、そのための道順を追っていくということが大切なのだ。 巷では、見たい世界はすぐに見れるし行けるし、意識が変われば、そこにある・・・という文脈もある。風の時代とでも言おうか。 それはきのこ的には実感していて、そうだと思う部分もあるが、肉体が歩んできたこと、これまでに生きてきた、通ってきた道が、積み重なり、歴史、味、自分の色(個性)につながるのだと思っている。 だから、それ(道)を飛ばして、そこにいく行

    • 自分と身の丈にあったお金の動かし(関わり)方。

      数年前150万近くあったお金は8千円に。 でもやっとお金の実感が湧いてきた気がする。ちゃんと味わえてる感。 お金のことも否定せずに、お金がない世界、お布施やギフトみたいなことも体験している、この27年の人生を通して。 Uberでゲットしたお金を自分がピンときたことやしたいことに使う。お金はまだあまりゲットしてないから、あっちこっちには行けないけれど、それが直也の身の丈なんだと思う。お金に「生」が芽生えてきている? とてもめぐりがいい。ずっと保持しておこうというよりも、週

      • かぞくのいみ かぞくとは

        共生と共存、皆んなで生きる、持続的な関係性 を研究・探求しております。 皆んなと家族みたいな関係性を築ければ 各地に家族や故郷、大切な人や場があると どれだけ世界は生きやすいんだろう・・・と。 そういう意味で、かぞくづくり、故郷作りをしているんだろうと思います。 僕が我が家を無くして巡礼しているのも、各地を巡りながら、旅的に動きつつも、地域や家庭に根付くことをしているのも、定期的に皆んなのもとに会いに行くのも、 皆んなで生きる、皆んな健やかである、を体感できる対話の場

        • なんのために巡礼しているのか

          いま高千穂のとある集落にある場でお世話になっております。 去年から始まったまつりごとの当日を含む前後のプロセスをご一緒させてもらうことになりました。3年で完結する物語。去年は、参加者として味わったのですが、なにがどうということは一切言葉にはできないんですが、その時に痛烈に感じた『この営みは人類にとって大切』だということ。それを頼りに、たどり着きました。だからなぜここに来たのかすらも、自分もよくわかりません。これから徐々に明らかになるんだろうなと。 明日どこにいくのか、今日

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        記事

          巡礼というあり方を社会に伝える難しさ

          地に足をつくことを求める人がいる。 それが大人や立派、ゴール、ちゃんとしてる、というイメージに繋がるからなのか。 僕は、自分を本気で生きていたらなんでもいいし、人にはお役目や唯一無二の輝くなにかが皆んなあると思って生きているスタンス。 巡礼を本気でしてたら、それは地に足をついてることにもつながるし、旅人や放浪やニート=未熟、まだまだ、不安定みたいな扱いや概念が、年上世代の”あたりまえ”として多かれ少なかれあると思う。 よくその方程式にのせられるので、その時はできる限り

          巡礼というあり方を社会に伝える難しさ

          あるのにいただくことはできないのか

          この3年ほどお金を稼ぐ!ということはしていないため、確実にお金は減っていますが、もう少しあります。 対話の場や巡礼に対して、お金をお布施していただくこともありますが、交通費や生きるために必要なお金のお布施を募ったことはありません。 巡礼仲間が0円になった報告とともに、口座をオープンにしたり、また最近であれば、巡礼者でなくとも、なにかの場、イベントなどを投げ銭制にしたり、セルフのクラファンみたいにして、口座を開放して、いただこうとしてる方もお見受けします。 前者は本当に0

          あるのにいただくことはできないのか

          積極的にお布施していく

          昨日こんなことを書きました。 感じて自分と相談したうえで、一旦この言葉を置いてみて、一旦これをしよう!と決めること、モード(意識)に入ってみたことで、すんなりと昨日それを実行してあげられました。 お布施することへの戸惑いはまだあるんだけど、それはあたりまえにあることとして感じてつつ、その上で、この行動をしているんだ・・・みたいなフローがありました。だから、やりやすかったです。以前から気分でお布施してたんですが、どこかこの感情や戸惑いとごちゃまぜにしてきたので、スムーズでは

          積極的にお布施していく

          お金をアートするんだ!再発進!

          だいぶと、家や暮らし、ライフスタイル、性、家族、パートナーシップ・・・などなどを、アート、探求してきたので、お金アートも久しぶりに企んでいこう。そろそろ。 巡礼していて、なんなら生きていて、このテーマは常に世の中に投げられているから、触れる機会が多い。無意識無自覚だと、世の中のお金システムのテンプレについつい乗っちゃうから、やっぱ意識して、丁寧に味わいながら、実験していこう。 まとめるのがむずいので、がーーっとメモみたく最初は書いて、その後にまとめます。随時更新するかもで

          お金をアートするんだ!再発進!

          お金を扱う、仕掛けていく、アートする上で お布施、寺、檀家文化は、激アツ。 賃労働はもういいかなっ感じ。 それは人類的に随分やってきたから。 父母、祖父母たちはモノの資源を担当してくれた。だから次のぼくは同じことをするのではなく、それを受けて、なにか別の部分を担当する。

          お金を扱う、仕掛けていく、アートする上で お布施、寺、檀家文化は、激アツ。 賃労働はもういいかなっ感じ。 それは人類的に随分やってきたから。 父母、祖父母たちはモノの資源を担当してくれた。だから次のぼくは同じことをするのではなく、それを受けて、なにか別の部分を担当する。

          友人をめぐる巡礼ってどうなの?という葛藤

          巡礼をしていて感じること 友人をめぐる巡礼ではないんだ!!と 厳しくしたがる自分がいる。どこまでOKとしようか。 遊びではない、厳しくないといけない・・・ 目の前で起こること、初めての場に行ったり、数奇な偶然な縁もゆかりもないところで、人に会ったりすることがイイのだ・・・! もう知り合っている人とはあまり近づかないでおこうという謎のこわばり 偏屈な自分がそこに入る 一人になりたがろう、一匹狼みたくなる昔からのクセが発生する その奥には 友人から生まれる縁だと

          友人をめぐる巡礼ってどうなの?という葛藤

          一日居るところもあれば、何ヶ月もいることになったり、村や町、その場との関わりが深まったりして、定期的に関わったり。目の前で起こること、人や色んなことを感じて、毎日最大値で生きたときに、それらは結果として目の前に起こる。だから基本何も決めてない。どれだけ居るのかもわからない。

          一日居るところもあれば、何ヶ月もいることになったり、村や町、その場との関わりが深まったりして、定期的に関わったり。目の前で起こること、人や色んなことを感じて、毎日最大値で生きたときに、それらは結果として目の前に起こる。だから基本何も決めてない。どれだけ居るのかもわからない。

          巡礼してると、たまに「歩きやヒッチハイクだけなの?」と聞かれることがある。基本様々な流れや声を感じながら、たった今、いちばん自然な決断をするだけなので (あえてその逆をすることもあるけど)、すべてが選択肢になる。だからバスも電車も使う。我慢旅や貧乏旅ではない。

          巡礼してると、たまに「歩きやヒッチハイクだけなの?」と聞かれることがある。基本様々な流れや声を感じながら、たった今、いちばん自然な決断をするだけなので (あえてその逆をすることもあるけど)、すべてが選択肢になる。だからバスも電車も使う。我慢旅や貧乏旅ではない。

          正直僕自身が、やりたいことはそんなにない。目の前にあらわれる人やことの、問題や悩みややりたいことを、一緒に取り組んでいくこと、叶えていくことを、やりたい。やり続けたい。いくらでもできる。

          正直僕自身が、やりたいことはそんなにない。目の前にあらわれる人やことの、問題や悩みややりたいことを、一緒に取り組んでいくこと、叶えていくことを、やりたい。やり続けたい。いくらでもできる。

          人や縁の巡りをよくするためにあえて意味や色をつける

          余白巡礼。 それは簡単にいえば、ただただ人に会う、場を巡ることなんだけど それだとシンプル過ぎて、取っかかりにくく、分かりにくかったり、入りにくかったり、参加しにくい。 おむすびお布施も、対話とお茶会、対話の場、余白巡礼から派生して関わらせてもらっている様々な活動たちは、 このとてつもなくシンプルな、KINOKO活動、ないしは余白巡礼を、なめらかにさせる、しやすくする、届けるための、変装というか、仮装というか、装置に過ぎないんだろうな。 あえて目的や色を付けること、

          人や縁の巡りをよくするためにあえて意味や色をつける

          ぼくが余白巡礼をする理由②

          一人じゃ生きられない状況を作るため。 助けてもらわないと、生きられない状況を作るため。 生かされている実感を持ちたい。皆んなと生きている実感を持ちたい。 日常の中でも、日々の中でも、それは体感できるけど、僕は、この極端な強制的にそれをしないと生きれないみたいなやり方がいいのだ。この巡礼は、それを常に体感しておける機会でもある。 対話の場にも似ている。誰かの声やいのちをかけての探求のシェアが、自分のいのちに響いて、助けになることがある。あらゆる違いがそこにはあって、その

          ぼくが余白巡礼をする理由②

          ぼくが余白巡礼をする理由 ①

          本気で思っていることです。ガチガチのガチです。 皆んなが皆んな、家を持ち、お金を持ち、モノを持ち、資源を持ち・・・ 皆んな持ち過ぎちゃう?余ってるやん!許容範囲超えてるやん!余ってるコたちがかわいそうやん!やのに、またそれを忘れて新たに買って、もうなにそれ!やのに、貧富の差が広がってるってどういうこと?人同士の、自然との、関係性の薄まり様、疎遠がすごいって、どういうこっちゃ! というきもち。 一人ひとりがいっぱい色々持っている量的な意味と 皆んな揃って持っている範囲的

          ぼくが余白巡礼をする理由 ①