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個別最適な学びについて考える(117)ー有田和正(1989)有田和正著作集「追究の鬼を育てる」6「教材発掘からネタづくりへ」ーから

おはようございます!
日が上がるのはまだまだ遅いですが,あったかくなってきたおかげで朝起きるのが辛くなくなってきた気がします。
気持ちだけかもしれませんが…笑
こうなると朝活が取り組みやすくなりますね。一緒に頑張りましょう。

本日は「有田和正(1989)有田和正著作集「追究の鬼を育てる」6「教材発掘からネタづくり」.明治図書,東京」です。では,早速読んでいきましょう!

子どもをとらえるとは
「子どもの事実」をとらえ、これにのっとった授業をしなければ、子どもは生き生きと追究しない。いくらよい教材だといわれるものでも、子どもの実態にマッチしていなければ、よい教材とはいえない。
子どもに生きる教材を発掘するには、子どもの興味のありかや、能力の実態をつかんでおく必要がある。
しかし、子どもをとらえることは容易ではない。
子どもの実態を調べ、これをもとに論を構成する心理学者たちも、最近は「子どもがとらえられない」となげいている。
実態調査をして、数字である傾向を出しても、それが機能しなくなっている。このため、おそまきながら心理学者たちは、研究室を飛び出して、現場の授業をみ、子どもにふれるようになってきている。
子どもの実態が多様化し、変化がはげしいため、とらえにくくなっているのである。
わたしは、「子どもの事実」を確かにとらえた、と思ったことは一度もない。とらえたように思っても、次の瞬間、子どもは変化していることを、何度も体験しているからである。
だから、「とらえようとして、とらえきれない」のが「子どもの事実」であると思っている。
子どもをとらえるのは、生まれたばかりの「ひよこ」をにぎるのに似ている。
確かにつかんだ、と思ったら、にぎりつぶして、ひよこは死んでいる。軽くつかんだと思ったら、するりと逃げられている。
ひよこを生きたままつかむにも、経験が必要であり、それなりのコツがいる。
子どもをとらえるのは、ひわよこの比ではない。
長年の経験と常識、それに、何よりも子どもを愛してやまない心がなければ、子どもをとらえることはできない。
なぜなら、子どもはなかなか心を開かないからである。チラリとしか本音をみせないからである。
じっと子どもをみているだけでは、とらえられない。
一番とらえやすいのは、子どもに、いろんな活動をさせてみることである。
活動の具合、子どもの動き方で、子どもの本音がどこにあるかわかる。
これを積み重ねていくと、ある傾向がつかめてくる。
それを使って、またさぐってみる。
新しいことにぶつけてみる。

有田和正(1989)有田和正著作集「追究の鬼を育てる」6「教材発掘からネタづくり」.明治図書,東京

一言で子どもをとらえるといっても難しいものだと思います。
簡単には分かりませんが、繰り返し見ているうちにその子の特徴が見えてくることがあるかもしれません。
しかし、その一面だけではなく、活動によっても変わることを考えましょう。

だからこそ、たくさん取り組んでみて、どの子に合った学習があるかを掴んでいかなければいけません。
そのように繰り返していくうちに、その子にフィットする活動を見つけ、教師が支援する方法も見つかるのかなと思います。

児童の見取りが教材研究の一つになってくるのかもしれませんね。

本日はここまで!また次回の記事でお会いしましょう!

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nanjolno
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